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ぎっくり腰!

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感情との対面が少しずつ進んでいる。

結婚生活で感じた不満や怒りや悲しさや寂しさを片っ端から書きだしていたら、
かなり大事な事実に気づいた。

たとえば元夫とのあいだに何かあって、
怒りや、悲しさや、不満や、寂しさを覚えたとき、
わたしはほぼ同時に自省する癖があった。
彼の前で怒ったり泣いたりしながらも、
その裏で、
「でもわたしがああしなかったから、彼がこうなるのも仕方ないのかも」
「わたしに魅力がないから、彼はわたしに興味を示さないのだろう」
「彼はわたしを愛しているのに表現がへたで、わたしがそれを悪く妄想してしまうのだろう」
なんてことを思ってしまうのだ。

何か感情を揺さぶられるできごとがあったときに、
怒ったり泣いたりするのは自然なことだ。
風邪をひいたら熱や鼻水や咳が出るのと同じこと。
それが人間の自然な反応だろう。

いったん感情を発散してから、
その事件を視点を変えて見てみればいい。

でもわたしの感情の裏側にはいつも同時進行で、
自分への批判や反省や劣等感がチューイングガムみたいにくっついていた。
だから怒ったり泣いたりして感情を発散しようとしても、
わーっと空気のなかに散っていくかわりに、
喉や胸のあたりにへばりついて詰まっていた。
それがたまってしまったのだろう。
しかもチューイングガムは時間がたてばたつほど硬くなってはがれにくくなる。

わたしの感情の抑圧というのは、
ひとつには、こういうパターンから生じていたのかもしれない。

チューイングガムをはがすのは大変だぞ・・・・



自分の怒りがどんなものなのかも、
少し見えてきた。
それはまた別の記事で書こうと思う。


※ ※ ※


この件で面白いのは、
18日の朝、ヨガをしていて腰がぐきっとなり、
それがどんどん悪化して、
19日も20日もちょっと動くたびに「あいたっ!」となって、
身動きがままならなくなったことだ。

19日に、ぎっくり腰を何度も経験している友だちに電話してきいたら、
たぶんそれはぎっくり腰だけど、
なんとか歩けるくらいだから軽いほうだろうとのこと。

ぎっくり腰なんて、生まれて初めてなった。
友だちはヨガ療法をやっているので、対処方法も教えてもらった。
もちろんレメディーもいろいろとった。

でも20日の朝、起きてみたら、ますますひどくなっていた。
前日はおむつの洗濯ができたし、
動かなければ痛みはなかったのに、
その朝はおむつの洗濯をしている途中から、
患部に絶え間なく焼けるような痛みが出てきて痛くてたまらなくなった。

思わず同じ友だちに愚痴の電話をかけた。

「それ、TMS じゃないのかな?」と言われた。
わたしも実はちらりとそれを考えていた。

TMSというのは、緊張性筋炎症候群 (Tension Myositis Syndrome)のこと。
この病名は、『サーノ博士のヒーリング・バックペイン―腰痛・肩こりの原因と治療』 の著者、
ジョン・サーノ博士が命名したもので、
どんな病気かといえば、
心の抑圧から生まれた緊張によって血流が滞り、酸素が欠乏して起こる、筋肉や腱の痛み、ということになる。
自分で感じたくない不快な感情、不安を引き起こす感情、人に知られたくない感情などがあるときに、
脳がそれをごまかそうとして身体に痛みを引き起こすのだそうだ。
いわば、痛みの煙幕。

サーノ博士によれば、
腰痛や四十肩や膝痛などの7割ぐらいが、
構造的な原因から生じる痛みではなく、
TMSだそうだ。
そして実際、患者が心の奥で感じている感情に気づくと、
痛みはお役目ごめんになってすーっと消えていくらしい。


痛みが起こった18日は、リーディングのことをこのブログに書いた翌日だ。
感情の解放という難題にとうとう取り組まなければならない、
ブログにも書いちゃったし、なんて思って、
前の晩に少しずつ過去を思い返してみたりしていた。
そんなことをしながら、
でもあのぐじゅぐじゅした泥沼みたいな時期に戻るのはいやだな、
あのぐじゅぐじゅした感情はもううんざり、
なんて思ってもいた。

だから友だちにTMSではないかと指摘されたとき、
そうかも、と思った。
そして前の晩に気づいたことなどを少し話しているうちに、
涙が出てきた。
朝だったので長くは話さなかったけど、
電話を切ったら、あら不思議、焼けるような痛みがなくなっていた。

話したことで感情を空気にさらしたことと、
涙が出たことがよかったのかもしれない。

身体と心の関係、ほんとに不思議で面白い。

身体を動かす瞬間の 「あいたっ!」 という痛みもそれで消えたかというと、
そう簡単ではなかった。
なにせ長年へばりついて硬くなったチューイングガムだから。
でも、それからさらに少しずつ記憶と感情の掘り起こしをやってきて、
今は痛みもだんだん軽くなっている。

身体はすごいな。
わたしたちのために、こんな小ずるいことまでしてくれる。
一方で、心もすごい。
こんなふうに身体をコントロールしてしまうんだから。

びっくり、びっくり。



関係ないけど、
以前から左脇の下の腫瘍を圧迫しないように、
歩くときは左手を左腰にあてて歩いていたのが、
今度は右腰の筋肉をかばうために右手を右腰にあてて歩くので、
身体の両側に腕がくの字に出っぱって、
カイトみたい。
やせてるくせに、やたらに幅をとる。




(以下、上の本からの引用)

この疾患名の 「緊張」 は、無意識下で生み出され、ほとんど無意識の外に出ることのない感情を指す。・・・・その多くは、不快、苦痛、きまり悪さを伴う感情で、本人にも社会にも受け入れられず抑圧される。該当するのは、不安、怒り、劣等感だ。抑圧が起きるのは、これらの感情を味わいたくない、これらの感情を抱いていることを周りに知られたくないと心が思うからだ。自覚できるのであれば真正面から向き合おうとするのだろうが、いかんせん、人間の心は無意識下の感情を自覚するようにはできていない。またたくまに、それも自動的に、これらの感情を抑圧してしまう。選択の余地はない。




自覚している性格特性は、意識的な心に属する。意識的な心は、自覚できる感情が属する領域でもある。そこでは、悲しい、嬉しい、うきうきする、がっかりするといった感情が実感できるし、自分が良心的、勤勉、心配性、強迫観念にとらわれやすい、完全主義者であると自覚できる。苛立ちを自覚することもあれば、自己主張の必要を自覚していることもある。・・・・こうした意識的な心に属する感情によって、意識的な自分ができ上がり、人生でなすべきことや行動様式が決まってくると思われる。しかし、本当にそうだろうか? 表に現れた性格特性は、本人がまったく意識していない内面の衝動を映し出しているとよくいわれる。




無意識はあらゆる感情の倉庫だ。その感情を社会や本人が受け入れられるかどうかは問題にしない。無意識の何たるかを知るのは大変重要なことだ。その奥深くで起きていることが、覚醒時の行動を支配する性格特性に大きな影響を与えている可能性があるからだ。無意識こそ、TMSやその類似疾患が生み出される場所である。




心の奥底に劣等感を抱いている人がどんなに多いかを知って、わたしは少々驚いている。・・・・人間は不快な感情に対して 「過剰補償」 しようとするため、たとえば自分が弱いと感じていれば、いかにも強そうに行動する。




いい成績を上げたい、目標を達成したいという強迫的な欲求は、深く根づいた劣等感の裏返しであることが多い。欲求の出所はいざ知らず、業績を上げたいという欲求、最高の親でありたい、生徒であり従業員でありたいという欲求を抱くのも、TMS患者の特徴である。




(劣等感と)同じように心の奥底に潜み、劣等感に匹敵するほど重要なのが 「自己愛(ナルシシズム)」 だ。これは人間の持つ自己を愛する気持ちであり、過剰なくらい自己中心的になる状態を意味する。・・・・自己愛は程度の差こそあれ誰にもあるが、度を越すと問題が生じる。自分の命令に従わなかったり命令どおりにやりこなせない相手に対し、すぐ苛立つようになる。このとき怒りが生じる。自己愛が強すぎると四六時中怒っていることになるが、この怒りは不安同様に抑圧されるため、本人は怒りが生じていることに気づかない。怒りが抑圧される先は無意識的な心である。・・・・劣等感に苛まれる一方で、自己愛に動かされて心は暴君のような振る舞いをする。・・・・対局にある二つの感情が同時に存在するとは、いかにも奇妙に感じられるかもしれないが、これはまさに一枚のコインの表と裏なのだ。




怒る理由は他にもある。それどころか、不安を(無意識下に)引き起こすものなら、どれも怒りを引き起こすといってもいい。たとえば、いい仕事をしようとして努力し、立派に責任を果たしたいと(不安を感じつつ)願いながら、その仕事にも、周囲の人にも、周囲からの要求にも腹を立てる(怒り)ことがある。




不安は唯一人間だけに生じる現象で、恐怖と強く結びついてはいるものの、恐怖よりはるかに複雑な感情だ。不安は、人間だけに備わった予期する能力によって生まれる。明らかに危険を感じれば当然不安が生まれるが、危険がないのに不安が生じる場合がある。・・・・それほど危険でなくても、まったく危険でなくても、次から次に不安が生まれてくるのだ。これは人類特有の性質といえる。ところが、この不安というもの、生じていても気づかないことが多い。無意識下で生まれ、例の操作によって無意識下に留め置かれるからだ。無意識下で生まれるときも、本人が意識していない感情が原因となっていることが多い。原因となった感情は不快で、きまりが悪く、もっぱら苦痛を伴ううえ、不安まで生み出したというので、心はなんとかしてその感情も不安も意識の外に追い出してしまいたいと思う。「抑圧」はこの欲求を満たすための作用であり、この「抑圧」に手を貸すためにTMSが発症するのである。




自覚していない怒りや憤りの原因として重要なものに、両親や配偶者、子供などの身近な者に対する責任感がある。相手のことを大事に思ってはいても、いろいろな面で重荷になることがあり、その結果、怒りは内在化する。年老いた両親や赤ん坊にどうして怒りをぶつけられよう。




家族を心から心配し愛する気持ちと、家族であるがゆえの義務と責任から生じた内在的な怒りが結びつくと、強い心理的葛藤が生まれ、これがTMSを引き起こす。




無意識下に葛藤が生じるのは、主に、前述した自己愛の衝動から生じる感情や欲求と、現実に即した部分を担当する心との間で激しい戦いが繰り広げられるからだ。後者は、何が正しく、何が理に適い、何が分別のある行動なのか、さらに厳しくは何をすべきなのかなどを担当する心を指す。・・・・精神分析医カレン・ホーナイは、この心の動きを 「『べき思考』による暴政 tyranny of the should」と呼んで書を残したが、確かに、あれをすべき、これをすべきと考えていたら、それに一生を支配されかねない。患者の話を聞いていると、その生活がどれほどこの行動律に縛られているかがよくわかる。




TMSとの取り組みが長くなればなるだけ、怒りのもつ役割の大きさを強く感じるようになってきた。怒りは完璧に抑圧されるため、その存在にまったく気づいていない場合が多い。実は最近、症状を根源的に引き起こしているのは、不安よりむしろ怒りのほうではないか、不安自体、抑圧された怒りから生じたのかもしれないと考えはじめている。




(以下は上の本で引用されているフロイトの伝記から)

厳密な意味での無意識は、厳重警備の刑務所になぞらえることができよう。そこには、社会に馴染めず何年も獄中暮らしをつづける者もいれば、入ってきたばかりの者もいる。ひどい扱いを受けたり、厳重に監視されている者もいる。しかし、どの囚人も現在拘留中というだけで、常に脱獄を企てている。



う~~ん、どれも自分に当てはまる。
ヨネコさんも同じような役目を果たしてきたのかな・・・?

ちなみに著者がTMSと同じ役目を果たす疾患として挙げているものは次のとおり;
胃酸過多、胃十二指腸潰瘍、裂孔ヘルニア、けいれん性大腸、過敏性大腸症候群、花粉症、喘息、
前立腺炎、緊張性頭痛、偏頭痛、湿疹、乾癬、ニキビ、じんましん、めまい、耳鳴り、頻尿。






At Last by Phoebe Snow♪








by homeopa | 2016-05-22 07:59 | わたしの乳ガン