amane 訪問記 (2)
amane の遠景。
右側の白い家がマルコさんとマルオさんの家。
そのさらに右側に敷地が広がっている。
下は居間からキッチンを見たところ。
マルコさんがキッチンに立つと、
モモタはかならずついていって、じっとそこで待っている。
食べられるものを。
わたしが東京から着いて、おしゃべりなんかしているあいだに、
マルコさんがちょこちょこっとこんなおいしそうなパンを焼いてくれた。
昨年収穫したイセヒカリの玄米酵母でふくらましたパン。
ランチのメニューは、
マルコさんのパン、敷地内の小川に繁茂するクレソンとトマトのサラダ、発酵バター、自家製の桃ジャム、紅茶。
どれもこれも美味しかった~! (こればっかり)
amane の三人の住人。
モモタは自分を人間だと思っている。
食事が始まると、頻繁にモモタの手がテーブルに載る。
叱られても載る。
そんなモモタを見ていて、
以前に読んだ 『ああ息子』 という本に書いてあった、
人間の男の子の特徴を思いだした。
食いしん坊。
すけべ。
やらなくてもいいことをやって、やらなきゃいけないことをやらない。
やりはじめると止まらない。
単純または無邪気。
モモタはそういう人間の男の子みたいな犬だと思った。
そのせいかな、犬が苦手なわたしもモモタをそれほど苦手には感じなかった。
モモタは猫っぽいところがある、とマルコさんも言っていた。
そしてモモタを見ていて、自分がどうして犬が苦手なのかわかった気がした。
わたしから見て、犬は優等生なのだ。
飼い主の命が危ういとなれば火の中でも水の中でも飛びこんでいくような、
そういう誠実さ、忠実さ、善良さ。
どうも犬にはそういうイメージがあって、それが苦手だったのだ。
猫だったら、自分だけ勝手にさっさと逃げるだろう。
そして戻ってきて飼い主が死んでいるのを見て、
その顔をぺろぺろなめて悲しがるだろう。
自分はどう考えても猫タイプなので、だから犬に劣等感を覚えるのかもしれない。
でもモモタのそばでは、あんまり劣等感を感じなかった。
ごめん、モモタ・・・・
それはそうと、モモタは匂いも犬らしくない。
というより、全然匂わない。
わたしの加齢臭のほうがくさいくらい。
モモタのご飯はおかゆと野菜、たま~に魚。
そういう食事のせいかな。
毛並つやつやで、元気いっぱい。
予防接種をしていないせいもあるかな。
「不整脈があるので・・・」 とご近所の人には言い訳しているそうだ。
実際、不整脈はあるみたいだけど、でも元気いっぱい。
これは昨日見つけたむかしのモモタ。
別人みたい! かわいい! いや、今もかわいいけど・・・・
これは帰りの電車を待つときに駅で撮った写真。
電車を待ちながら思いだしたのは、
最近マルコさんとマルオさんがほぼ同時に、
「amane を売ってどこか別の場所を買ってもいいかな」 と思ったというはなしだった。
わたしだったら、あそこまで手をかけて自分の好きな空間をつくりあげたら、
そこを手放そうなんて思わないだろうと思った。
でもマルコさんは amane にそれほど執着はしていないと言うし、
マルオさんは、今度は改築ではなく一からストローベイルハウスを造ってみたいと言う。
これはわたしの想像だけど、
たぶんマルコさんとマルオさんは、そのときそのときを大切にして楽しんできただけなのだろう。
何かを達成したり手に入れるためにがんばってきた、というのとは違うのかもしれない。
結果を得ることより、その過程にいつも満足しているのかもしれない。
ふたりとも、以前に働いて貯めたお金で今の現金支出をまかなっているけれど、
それがなくなったらまた働けばいいや、と思っているそうだ。
マルオさんが大事にしている言葉は、「いまここに」。
amane のあの清涼な空気は、
大自然とともに、そんなふたりの心が循環させているのかもしれない、
と思ったところで電車が来た。
マルコさん、マルオさん、そしてモモタさん、幸せな二日間をありがとう~。
by homeopa
| 2014-10-23 13:50
| 旅