明日はピアノの発表会
「愛情不足」 は 「愛され足りていない」 のではなく 「自分が愛を外へ表現したりていない」 というのが本当の意味であるのだ。
にもかかわらず、外からの 「愛」 をかき集めようとするほうへ誘導され、本人も求めてしまうから、いつまでも満たされない。
体は本人の発散・放出する 「愛の量」 で判断しているのだ。
---- 夏目祭子 『性に秘められた超スピリチュアルパワー』
上はフェイスブックでだれかが取りあげていた言葉。
呼吸と同じね。
しっかり吐かないと、たっぷり吸えない。
ガガはこの夏休みのあいだに急成長した。
もうほんとにおとな。
もう彼女には母親としてのわたしは必要ないんだ、と思ったら、
ものすごく寂しくなって落ちこんだ。
寂しくなったら、急に意地悪な気持ちになって、
寮に戻るんならちゃんと部屋かたづけていきなさいよ、
荷物は自分で運びなさい、
なんてやたらにつっけんどんになったりしていた。
そしてますます落ちこんだ。
そういうときに上の言葉が降ってきた。
好きなのにすねて意地悪しちゃうという、小学生レベルの問題を、
一気に解明されてしまった。
穏やかなときには深い呼吸ができていても、
何かにつまずいた拍子に息が浅くなって、苦しくなって、吸うことばかりに集中してしまう。
というのとよく似ている。
(上の引用元の本は読んでいないので、著者がこういう意味で書いたのかどうかわからない。
たぶん元の意味は、性愛に関するものなのだろうけど、わたしの気持ちにぴぴっと反応したから、
これはこれでよしとしとこう)
こういうふうにつまずいたときは、
いろいろ発見するものだ。
わたしは人間的魅力で愛される自信がないから、
必要とされることで愛されているかのように感じたがっていた。
今回はそれに気づいた。
うすうす気づいていながら意識の下に閉じこめていたものが、
あぶりだされてしまった。
やれやれ。
ひつじでも数えながら寝よう。
by homeopa
| 2014-09-08 08:47
| おもしろいこと