pimboke6

learning from the war

                                                             (またしても季節はずれー)
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このところ、安倍晋三君のおばかないたずらが止まらない。

特定秘密保護法案で国民の知る権利や表現の自由を封じることや、
一機100億円のオスプレイをたくさん買い込んで、陸上自衛隊員を5千人増員することや、
武器の輸出や技術移転を禁じている「武器輸出三原則」を緩和することや、
憲法の解釈を変えて集団的自衛権の行使を認めさせることや、
憲法を改定し、緊急事態には国民の人権を停止できる仕組みをつくることや、
そんなことばっかり考えている。
日本を軍事国家にしたくてたまらないんだな。

それにしても、人権停止って・・・・へ?
人権というのは、常にそこにあるもんじゃあないの?
稼働したり停止したりできるものなの? 
原発じゃあるまいし。


人権が停止されたら困るわたしら一般人は、こんなとき、ぼけーっとしていてはいけないのだ。
ぼけーっとしていると、いつの間にか人権がなくなって、子どもが戦場に駆りだされていたりするのだ。
この前の戦争だってそうだった。






「過去に目を閉ざす者は結局のところ現在にも盲目となります。
 非人間的な行為を心に刻もうとしない者は、またそうした危険に陥りやすいのです」
                                  ---- R.v.ヴァイツゼッカー

「君たちに過去の戦争の責任はない。
 ただし、将来それを繰りかえさない責任はある」
         ---- ナチスの収容所を体験した人の言葉






繰りかえさないためには、過去の事実を知ってそこから学ぶしかない。

なんて思っていたときに、
うちの近所のBook Off が閉店することになり、
閉店セールであらゆる本を二束三文で売っているなかに、
この本を見つけた。

「新編 あの戦争を伝えたい」(岩波現代文庫)

これは2005年から東京新聞に連載された記事をまとめたもので、
73編の戦争体験者の証言が載っている。

沖縄戦、集団自決、原爆、東京大空襲、キリスト教徒弾圧、サイパン陥落、回天特攻、中国戦線、
朝鮮統治、シベリア抑留、満洲棄民、南方戦線、BC級戦犯、日本人「逃亡兵」、戦時下の報道など、
先の大戦のさまざまな現場にいた人々がその体験を語っている。

体験者の言葉はずっしり重い。
どんなにうまく書かれた歴史本よりも、歴史の現実を如実に語っている。
読んでいて泣けてきたり、怒りがこみあげてきたり、切なくなったり、理不尽さにもだえたりする。
だから決して心地よい本ではないのに、
読みだしたら止まらなくなった。
真実があるからだろう。

   「南京までの行軍は、雨の後のぬかるみをひたすら歩いた。食糧補給は追いつかず、兵士たちは皆、
    空腹だった。十二月、南京の市街地へ。「残っていたのは女性や子ども、お年寄り、病人が多かった。
    行軍で殺気立っていた日本の兵隊は手当たり次第に略立つし、女性を強姦した。多くの市民が無残
    に殺された。ひどいものだった・・・・感覚は完全に狂っていました」」

   「幼いころから大和民族は優秀だと教え込まれ、劣等民族の中国人には何をしてもいいと思っていた。
    何百年謝っても償えないことをしてしまった」



上の本にも取りあげられた近藤一さんという方は、
自分の体験を次世代に残さなければとあちこちで講演をなさっている。
その講演記録をネットで見つけた。

※中国戦線、沖縄戦を戦った元兵士の体験談

※山西省から沖縄へ-近藤一さんの戦場体験を聞く会-

  「当時は『戦陣釧』というものがあり、捕虜になってはいけない、なるくらいなら死ね、と教えられていま
   した。 みんな本当は死にたくないと思っていましたが、そうするしかなかったのです」

  「あの戦争は間違っていたと思います。 現場の兵士にしわ寄せをして、自分達は安全な所にいて、
   無茶な作戦を立てていた司令官や軍令部は許せません。 その上にいた天皇にも戦争責任があると
   思います。
   軍隊だけでなくて政治も間違っていました。 中国人は劣った民族だとか、捕虜になるなとか、おかしな
   教育をしていたのは軍隊だけではありません。 当時は学校もみんなそのようなことを教えていました。
   戦争でみんな負けてしまってからは、捕虜になって帰っても何も言われませんでしたが、戦争をしてい
   る当時は、そんなことをしたら大変なことになりました。 みんな内心では死にたくないな、戦いたくない
   なと思っていたのだと思いますが、決して口に出せなかったのです。 そのような空気を作っていたの
   は政治や教育の問題です」

  「戦後、戦争体験者の多くが口を閉ざしたために、戦後世代はほとんど戦争の実態を知りません。それ
   をいいことに教育をゆがめるような動きが出てきています。若い人が過去の戦争の事実を正しく知って
   平和な日本を造っていくためにも、戦争の加害の側面を語ることが重要だとの思いもありました」

  「村を襲った場合は、まず金目のものやロバ、牛などの略奪を行いました。女性がいれば輪姦し、その
   後で、憲兵に知られないように殺害することが普通に行われていました。最初の討伐の行軍の時、あ
   る村で赤ん坊のいる女性を古兵が輪姦しましたが、その時は女性を殺さずに裸にして大行山脈の険
   しい山道を連行しました。途中女性が弱ってきたのを見て、一人の古兵が赤ん坊を掴んで谷底に投げ
   捨てると、女性もその後を追って身を投げるという事件があり、その現場を私は目の前で目撃しました」

  「そこまで堕ちざるを得なかった兵士もやはり哀れであり、被害者であるということも理解してほしいと思
   います。アメリカ軍のように前線勤務は3~6ヶ月で交代するのと異なり、3年、4年、さらにそれ以上も
   非人間的な軍組織の中、明日のことはわからない前線に置かれて、聖人君子でいられる方がおかしい」




下は何年か前に制作されたNHKスペシャル。
NHKスペシャル <証言記録 日本人の戦争> 第1回 「アジア 民衆に包囲された戦場」

上の映画の最後のほうで話している男性は、
戦後60年間、戦地での体験を家族にさえ話すことができなかった。
それだけ重いものを抱えて過ごす60年はどれほど苦しいものだっただろう。

  「軍隊では悩むも何もない。命令に従わなければならない。従わなければ殺される」

  「いかに戦争とはいえ、いかに軍事教育とはいえ、フィリピンの人たちには申し訳ない。とんでもないこと
   をしてしまった。自分の今の生活を思うと、家族がいきなり連れ去られて殺されるなど考えられない」

  「(戦場では) 生きたいとは思わなかった。生きることはこんなに苦しいものかと思った」





NHKスペシャル <日本人はなぜ戦争へと向かったのか> 戦中編 「果てしなき戦線拡大の悲劇」

NHKスペシャル <日本人はなぜ戦争へと向かったのか> 第3回 「“熱狂”はこうして作られた」

※「ごちそうさん」 でなぜ悠太郎は逮捕されたのか





これらの本や映像から感じたのは、
いったん戦争になってしまったら容易には引きかえせないこと。
戦争は人の醜悪な部分を容赦なく引きだすこと。
そして戦時下では個人の感情や権利など存在し得なくなること。

晋三君がわざわざ人権停止なんかしなくても、
戦争になれば人々の人権はなくなる。
敵も味方も。


こういうことを、わたしたちは学校ではほとんど教わっていない。
わたし自身、日本が中国の一部や韓国を占領統治していたことや、
日本政府が韓国の人々に日本語を強制し、名前を日本名に変えさせたことなどを知ったのは、
いい大人になってからロンドンに住んでいたときに、
仲良くなった中国人から聞かされたときだった。

学校で教えないなら、せめて親のわたしたちが子どもに伝えてあげなければと思う。
過去にとらわれるのではなく、
過去から解放されて現在を健やかに生きられるように。
過去から解放されるというのは、過去のあやまちを繰りかえさない国になるということだ。




「どんなに悪い平和でも、いい戦争に勝る。
 平和は意識的な戦いの中でしかつかめない」
                   ---- むのたけじ




【追記】 
※戦争責任者の問題 by 伊丹万作

「さて、多くの人が、今度の戦争でだまされていたという。みながみな口を揃えてだまされていたという。私の知つている範囲ではおれがだましたのだといつた人間はまだ一人もいない」

「すなわち、だましていた人間の数は、一般に考えられているよりもはるかに多かつたにちがいないのである。しかもそれは、「だまし」の専門家と「だまされ」の専門家とに劃然と分れていたわけではなく、いま、一人の人間がだれかにだまされると、次の瞬間には、もうその男が別のだれかをつかまえてだますというようなことを際限なくくりかえしていたので、つまり日本人全体が夢中になつて互にだましたりだまされたりしていたのだろうと思う」

「少なくとも戦争の期間をつうじて、だれが一番直接に、そして連続的に我々を圧迫しつづけたか、苦しめつづけたかということを考えるとき、だれの記憶にも直ぐ蘇つてくるのは、直ぐ近所の小商人の顔であり、隣組長や町会長の顔であり、あるいは郊外の百姓の顔であり、あるいは区役所や郵便局や交通機関や配給機関などの小役人や雇員や労働者であり、あるいは学校の先生であり、といつたように、我々が日常的な生活を営むうえにおいていやでも接触しなければならない、あらゆる身近な人々であつたということはいつたい何を意味するのであろうか。 いうまでもなく、これは無計画な癲狂戦争の必然の結果として、国民同士が相互に苦しめ合うことなしには生きて行けない状態に追い込まれてしまつたためにほかならぬのである」

「私はさらに進んで、「だまされるということ自体がすでに一つの悪である」ことを主張したいのである」

「つまりだますものだけでは戦争は起らない。だますものとだまされるものとがそろわなければ戦争は起らないということになると、戦争の責任もまた(たとえ軽重の差はあるにしても)当然両方にあるものと考えるほかはないのである」
by homeopa | 2014-03-04 13:05