pimboke6

a whole muscular death

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明日から8月だというのに、梅雨みたいな今日の天気。

ガガが少し前からやっと受験勉強に本腰を入れはじめた。
あまり大きくない頭に、毎日ひたすら詰めこんでいる。
そしてそのころから、朝早く起きて近くの川べりを走るようになった。
タイミングが合うときは夕方にプールに行ってひと泳ぎすることもある。

そして最近、
「今のわたしには、走っている時間と泳いでいる時間がものすごい幸せなの」
と言うようになった。

ほう、とか思いながら見ていたら、
先日、ある本で引用されている養老孟司さんの言葉が目にとまった。

    出力装置というものを人間はひとつしかもっていません。
    骨格筋がだめになると、人間の出力が全部なくなるということは一般に意識されていません。
    私はこれを脳死に対して 『全筋肉死』 と呼んでいますが、
    全筋肉死になると、他がすべて大丈夫でも
    人間としてははなはだ耐えられない状態になります。
                             ---- 「まともバカ」 (大和書房)

つまりこういうことらしい。
生き物にはインプット (知覚) とアウトプット (運動) のバランスが大事である。
ところが人間にとってインプットの道具は、目・耳・鼻・口・皮膚などたくさんあるのに、
アウトプットの道具は筋肉しかない。
その筋肉が衰えてしまうと、入力だけできて出力ができなくなる、
それは人間にとって危機的状態である。

ガガが走りはじめたのは、
おもに余分なお肉をふるい落とすためだったのだと推測するけれど、
ひたすら入力ばかりしている今、
走ることは筋肉からの出力でバランスをとるという意味で、
とても理にかなった行為だったのだ。
だからこそ、走っているときや泳いでいるときに、そんなに幸せになるのだろう。
ただやせるためだったら、きっと苦しくてすぐに挫折する。
やっぱり身体はかしこいな。

でもね、先日、高校の三者面談なるものに行ってきた。
当事者、指導者、傍観者の三者による対談。

指導者の先生によると、
夏休みほどまとまった時間がとれるときはない、
だから夏休みのあいだは、
午前3時間、午後3時間、夜4時間で、最低10時間は勉強しないといけない、
らしい。

傍観者のわたしは、
ふーん、大変だな~とか思って聞いていたけど、
あとから考えたら、これって明らかにインプットだけの生活である。

しかも当事者は、指導者にそう言われているもんだから、
何がなんでも10時間勉強しなければならぬと思いこんでしまって、
それができないときは自己嫌悪と罪悪感にさいなまれ、
翌日は前日の分までがんばらなきゃと焦り、
焦るあまりにどこから手をつけていいかわからなくなり、
ついには爆発して、「もう勉強なんかしたくないーーー!」 となる。

傍観者から見れば、
これは全筋肉死へまっしぐらだ。



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そもそも、こういう受験て、どうなの?

ガガのやってることは、すべて単語やら年号やら名前やらを頭に詰めlこむこと。
わたしも大学受験で同じことをやったけど、そんなの、試験が終わったら全部わすれちゃう。

それより、たとえば歴史では、
ものごとが起こった経過とか、理由とか、それに関わった人の人物像とか、
そういうものを学びたいよね。
年号なんかは、十八世紀の中頃ぐらい、とか覚えていれば、それで十分でしょ。

入学試験にそういう問題が出れば、
学校での教え方もちがってくると思うんだけど。
たぶん試験後の採点を能率よく進めるためと、
審査基準があいまいになるってことで、今のような試験内容になってるんだろう。
でもそれじゃあ、日本の学校教育は永遠に役立たずだ。

ともかく、そんな受験勉強で全筋肉死にならないために、
いや、それ以前に気が狂わないために、
「50パできたら、大喜び」
という標語を墨と筆で書いて、ガガの机の前に貼ってあげようかと提案したら、
遠慮すると言われた。
美観の問題らしい。

やっぱり100パーセントの子なのだ。
100パーセントめざすと病気になるぞー。









そんなガガが見つけた動画。
けっこう感動。





全筋肉死にならないための体操。
5年前に流行したらしい。
楽しそう。
わたしも仕事の合間にやってみよ。





おまけ。
わたしはABだけど。

by homeopa | 2013-08-01 09:18 | 身体のこと