pimboke6

trouble

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悩みというものは解決不能だから悩みなのだが、
悩むときというのはまた解決不能なこととか、
ものごとの解決不能な面をわざわざ選んで悩む傾向がある。

身体状況がある特定のバランスのときにそのようになってしまう。
胸椎2番の硬直、胸椎7番のねじれ、胸鎖乳突筋の緊張、
そしてみぞおちが硬くなり、胃とくに十二指腸の動きが鈍くなる状態。
眉間の間が緊張して縮み、たてじわの寄った表情になる。
腰椎2番と3番がくっついて硬くなり、
腹部へいくべきエネルギーが頭部に集まり、
体は腰を中心に重く感じる。

こういう体勢になるとものごとの否定的側面に、
意識がどうしても集まってしまう。
解決のつかないことを解決のつかない仕方でくり返し考える。
打ち消しても、知らないうちに同じことを考えている。
しかも人から見れば、
どうでもいいというような問題であることが多い。

誰にとっても、常に解決のつかない問題はどこかにある。
ふつうはそういうことについて、
無意識に考えないようにしているのだ。
解決がつかないということは、
今とりあえず考えうるあらゆる要素を動員してもどうにもならないということだ。

誰でも経験することだが、結局何らかの形で解決はついてしまう。
どうにかなる。良いにしろ悪いにしろ終わりがある。
悩んでいるときは、それが一生続くような気分がするものだ。
それはむしろ体のバランスによっていると見ることができる。
実際に体のバランスが良くなってくると、
同じ環境にあっても解決のつく問題に意識が向きはじめ、
元気になってくる。
そしてまた、どうにもならないように思えることは、
予測のつかないファクターがやってくることによって、
結局はかならず解決がつく。



と、こんなことをカメさんが言っていました。
というのはウソで、
これは下の本からの引用です。
「整体。共鳴から始まる―気ウォッチング」 (ちくま文庫)





Lianne La Havas | No Room For Doubt | A Take Away Show ♪








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by homeopa | 2013-06-25 20:26 |