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懐かしい未来 ancient futures

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だいぶ前に読んで、それについてずっと書きたいと思っていた本。
「懐かしい未来---ラダックから学ぶ」





娘が手を離れたら、わたしは田舎に住んで、自給自足に近い生活をしよう、
と5~6年前から思っていた。

その理由の70パーセントは経済的なこと。
わずかな蓄えと雀の涙ほどの年金で死ぬまで自立生活を保っていくには、
それが唯一の方法だと思ったからだ。
あとの30パーセントは、
死ぬなら土の上で死にたいし、死ぬまでの年月を森や川のそばで過ごしたい、
という好みの問題だった。

でもこの本を読んでから、そこに少し筋のようなものが通った。
「まっとうな生活」 はそっち方向だろう、という感覚がめばえたのだ。

何をするべきだとか、何が正しいとか、
そういう考え方はもともとあんまり好まない。
人それぞれ、正しいと思うことはちがうのが自然だからだ。

ただ、3.11以後の今、日本で、という条件下でものを見ると、
暮らしを田舎方向に変えるのは、
多くの人にとって、日本にとって、正解なんじゃないかと思えてくる。

原発事故以後、原発から再生可能エネルギーへの転換を求める人が多くなった。
わたしもそのひとり。
でも再生可能エネルギーが普及して原発がなくなって、
ああ、これでまた心置きなく電気が使える、となったら、
それでめでたしめでたしなんだろうか?
原発事故以前の日本は、そんなに幸せだったんだろうか?

世界でひとにぎりの人たちがあふれんばかりの物質を所有し、
そのかたわらで大勢の人たちが飢えている。
その中間にいる人たちは、自分もひとにぎりの中に入ろうと、
お金を稼ぐことに専念し、暮らしを楽しむゆとりもない。
物質の豊かさが、幸せの代名詞になり、
その豊かさをどんどん成長させていくことが人間社会の目的になった。
そのためにはもっと商品を売らなければならないし、
そのためには同じものを大量につくらなければならないし、
そのためには電気をたくさん使って大きな工場を動かさなければならない。
野菜だって、肉だって、魚だって、
農薬・化学肥料・遺伝子組み換え技術・抗生剤・ホルモン剤をつかって、
効率的に生産しなければならない。
もっとたくさん、もっと速く、もっと大きく、もっと安く。
そして豊かさの恩恵をこうむって、生活はどんどん便利になり、
人間の手足がやらなければならないことはどんどん少なくなり、
気がついたら脚の筋肉がなくなって、
トイレにさえ自分で行けなくなっていた。
そしてふとまわりを見まわせば、
あの人は欝病、この人は自律神経失調症、その子は発達障害。
あの人はガン、この人は不妊、その子はアレルギー。
人がよりどころとしていた森はなくなり、土は汚れ、海は濁っている。

こんなふうに、原発事故が起こる前から日本はなんだかおかしかった。
そして日本をおかしくしてきた張本人は、つまり貨幣経済と物質文明は、
原発をつくりだした張本人でもあった。
だとしたらそこが変わらなければ、
また原発と同じような愚かな技術が生まれるだろう。

だったら変わらなければ、わたしも。
とりあえず自分の生活を物質文明から離れたところに移してみるのは、
かなりいい変化をもたらしてくれるんじゃないか?
と思いはじめたところでこの本に出会って、
背中を押されたような気がしたのだった。



で、この本について。

 (勇んで書いたらすごく長くなっちゃった! 読むのめんどくさい人は本を買ってください。
  このブログを読んでくださるぐらい変な人なら、きっと気に入っていただけます)

著者のヘレナさんはスウェーデン人の言語学者。
インド北端のラダックという地域で言語調査を行ったのがきっかけで、
ラダックの人々や社会に深く魅了されるようになった。

しかしヘレナさんが初めてラダックに入った1975年ごろ、
インド政府はこの地域を観光地として開発する方針を決めた。
以来、大きな道路が通り、水力発電所ができ、先進諸国からの観光客が増え、
便利な電化製品や西欧風のファッションがどんどん入ってきて、
ラダックの人や社会が変わっていくのを、
ヘレナさんは16年間の滞在中につぶさに見ることになる。

その変化と、それに関する分析と、未来への道筋を示したのが、この本だ。
前半では、変わる前のラダックの社会が描かれている。
読んでいてとても幸せになる部分。
後半では、変わっていくラダックの様子が描かれている。
読んでいて胸が痛くなる部分。
そして最後に、ラダックの未来と、世界の未来を、
幸せなものに変えていくための提言が書かれている。
読んでいて勇気がわいてくる部分。


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たとえば、変わる前のラダックはこんな感じ。

北インドのヒマラヤ山中にあるこの地域は、
夏は太陽ギラギラ、冬はマイナス40度の世界。
作物がつくれるのは夏の4ヶ月間だけだ。
そんな厳しい環境のなかで、人々の顔にはいつも笑いがある。

ここではゴミになるものがほとんどない。
家畜の糞から、人糞、穀物のカス、杏の種、羊毛まで、
すべてが活用され、リサイクルされる。

食物も家も衣服も、その地域で得られる材料からつくる。
外から買い求めるのは、塩と装飾品ぐらい。
だからお金はほとんど必要ない。

貧富の差は小さく、飢えも貧困もない。
豊かとはいえない資源を、
長い歴史のなかで獲得してきた智恵によって活用し、
すべての住民を養えるだけの恵みに変えている。

小さな共同体で助けあって暮らしていくために、
人々はめったにけんかをしない。
争い事が起こると、自然発生的にだれかが仲裁に入り、
話しあいで解決する。

作業には簡単な道具を使い、多くの時間をかける。
それでも生活を楽しむ時間はたっぷりある。
労働と遊びにははっきりとした区別がない。
夏は働き、冬は祭りや宴で過ごす。

人々は健康で、生命力にあふれ、
老いて死ぬ寸前まで元気に動いている。
乳児死亡率は高いが、その時期を過ぎた人はとても健康。
精神的に穏やかで、ストレスは少なく、神経症がとても少ない。

小さな共同体なので、みなが自分の責任を意識している。
自分の行為が社会全体にどう反映するかがよくわかる。
他者を助けることは、結果的に自分を助けることになる。

夫婦の多くは一妻多夫婚で、これが人口増加を防いでいる。
男女の役割にはっきりした区別はなく、
家庭の中でやれる人がやれることをする。
女性は大らかで、堂々としている。

子供はつねに母親と肌を触れあっている。
子供はまわりのだれからも無条件でかわいがられ、
大きくなると今度は自分が小さな子をかわいがる。
子供は老人から赤ん坊までさまざまな世代と接して育つ。

土地は売買されず、
土地を所有するというより管理する権利が
世代から世代へ受け継がれる。

住民の大部分は仏教徒で、執着心が少なく、
物事をあるがままに受けいれることがうまい。
生も死も大きな循環のひとつの節目として受けいれている。
イスラム教徒の数も多く、仏教徒と仲よく暮らしている。

人々はまわりの人間や環境と密接につながり、
そこに帰属していると感じている。
そこから深い自尊心と、満足と、安心が生まれ、
生きる喜びが生まれる。


現代社会の複雑さや醜悪さに慣れた目で見ると、
こんなユートピアがあるわけないと思いたくなる。
しかしヘレナさんはラダックの辞書を作ったぐらいだから、
ラダック語に通じていて、ラダック語で人々と語りあう。
だからここに書かれていることは、
長年ラダックの人々と生活をともにし、
ラダックの人々の気持ちを深く理解した上で
書かれたことなのだ。

ヘレナさんはこう書いている。

「ラダックの人には、押えきれない生きる喜びがある。
 喜びの感覚は彼らの内部にとても深く根づいているため、
 周りの状況によって揺らぐようなことはないようである。
 ラダックに住んでいると、周りにつられて笑わされることがよくある」

「ラダックの人たちは広い寛容な自我を持っているようである。
 彼らは私たちがするように、恐れや自己防衛の囲いに逃げ込むということをしない。
 彼らは私たちのいうプライドというものを、まったく持っていないように見える。
 これは、彼らが自尊心を持っていないということではない。
 その反対に、彼らの自尊心が深いところに根ざしていることは、疑う余地はない」

「いちばん大きな要因は、自分自身がより大きな何かの一部であり、
 自分は他の人や周りの環境と分かちがたく結びついているという感覚である。
 ラダックの人たちは、この地球上に彼らの居場所をしっかりと持っている」


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そして開発で変化したラダックはこんな感じ。

大きな道路ができて物資の往来が増えるにつれ、
地域の中で生産・消費していた生活必需品を、
輸入や遠隔地からの供給に頼るようになった。
政府が貿易に助成金を出すので、
地元で生産する穀物より輸入したもののほうが安い。

世界規模の貨幣経済システムに組みこまれ、
お金がなければ生きられない社会になった。
地域で助けあってやってきた畑仕事も、労働者を雇って行うようになり、
遠隔地で売るための換金作物がふえて、自給のための作物が減った。
人々は貪欲になり、お金のことばかり考えている。

自然の産物とちがってお金は無制限に貯蓄できる。
そのため金持ちはもっと金持ちになり、貧富の差が拡大した。

テクノロジーが入ってきて、人間が機械の時間で生活するようになった。
時間を節約するために新しい技術を使えば使うほど、
かえって生活のペースは速まり、時間は商品になった。

西洋式の教育が導入され、
地元の資源を生かす知恵が学べなくなった。
地域特有の資源の代わりに、
世界共通の資源 (石油とか) を使う文化に根ざした一般的な教育が行われる。
ラダックでは石油や電気がなくてもだれも困っていなかったのに、
それを欠乏だと思うようになった。

学校では子供たちは年齢別に分けられ、
同年代の子供とくらべられ、競争心をあおられる。
世代と世代のつながりが希薄になり、
下の世代が上の世代から伝統的な知恵を学ぶことも、
上の世代が下の世代を見守りはぐくむことも少なくなった。

先進国から来る観光客は、
お金持ちで、優雅で、働かずに暮らしているように見える。
彼らの世界はすばらしく、自分たちは遅れているという、劣等感が芽生えた。

とくに若者は自分たちの文化をすべて否定し、
新しい文化を急いで取りこもうとする。
映画やテレビの世界にあこがれ、暴力にさえカッコよさを見いだす。

16年間で人口が倍増した。
社会の規模が大きくなるにつれて、
住民は自分の社会的影響力に自信がもてなくなる。
政治に対して消極的になり、無関心になり、責任を放棄する。
水路が水漏れすれば、以前はみんなで直したが、
今は政府がやってくれるまで待っている。

人と人とのつながりが薄れ、人と自然のつながりも薄れ、
土地に帰属する安心感がなくなって、
自分が何ものなのかわからなくなる。
その不安のなかで物質的なステータスシンボルを求めるようになる。

女性と自給農民は賃金収入がないため、
国民総生産に含まれず、「非労働者」とみなされ、自尊心を喪失した。
立派な家に住み、子供は学校に行き、夫は仕事に行き、
欲しい物はすべて持っているのに、
地域の中で存在価値を失った女性は、以前のように幸せではない。

ガン、脳卒中、糖尿病、肥満などの文明病が増えた。
西洋医学の病院が建てられても資本が十分にないので、中身はお粗末。
伝統医(アムチ)は養成するのに時間がかかり、その仕事もまた時間がかかるので、
能率重視の社会で消滅していく。

リサイクルが機能しなくなった。
遠距離輸送に必要なプラスチック、ガラス、金属などのゴミが、
どんどんたまっていく。
肥料に使われていた人間の排泄物も、
水洗トイレに流されることが多くなった。
そのために水が使われ、水を汲みあげるために電力が使われる。

社会で尊敬されるのは、僧侶から技術者に代わった。
あらゆる生命の調和と依存関係を重視する世界観は、
すべてのものを分離・分割する世界観へと変わっていく。

ラダックの人たちは現代文明の悪いところについて知らされていないため、
無批判にそれを取りいれ、誤用する。
殺虫剤の缶を塩入れに使ったり、
農薬をたくさん使うほどいい作物ができると思いこんだり。
ラダックには害虫がほとんどいなかったが、
強力な殺虫剤を使うようになったら害虫がふえてしまった。

宗教紛争や民族紛争が増加した。
経済発展によって欲望が生みだされ、それによって欠乏が生みだされ、
競争が激化したことがその原因だ。



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とこうなると、昔ながらのラダックは天国で、
開発後のラダックは地獄のように見える。
しかし昔ながらのラダックにも改善できる点はあった、とヘレナさんは言う。

「開発は必ず破壊につながるのだろうか。私はそうは思わない。
 ラダックの人たちは何世紀ものあいだ大切にしてきた社会的、環境的なバランスを
 犠牲にすることなく、生活水準を上げることができると私は確信している。
 だがそうするためには、ラダックの人たちは、
 自分たちの古来からの基盤の上に新しいものを築いていく必要がある。
 基盤をつき崩してから新しいものを築くというのは、従来の開発の発想である」

問題はこれまでの開発が、
とても一面的・一方的・短期的な視点で行われていたことだった。
お金を必要としなかった地域でも貨幣経済を導入すればもっと生活がよくなるという前提、
国民の満足度はGNPではかれるという前提、
西欧流の尺度がどこの国にもあてはまるという前提、
資源は無限に開発しつづけられるという前提、
科学・技術が進めば進むほど生活は改善するという前提、
こういう前提をもとにして成り立っているのが従来の開発だった。

それに対してヘレナさんは「カウンター・デベロップメント」を提唱する。
従来型の開発を根本から見なおし、
それとは別の方法を見つけだすという取り組みだ。

そのなかでヘレナさんはさまざまなことを提案し、実行してきた。
たとえば……

・第三世界の人々に、自ら判断して未来を選択できるだけの情報を与える。
 たとえば先進国の現状について(病気、社会不安、貧富の差、人口過密、家庭崩壊など)。
 化学薬品や工業製品がもたらす害について。
 開発によって自然が壊され、資源が減っていることについて。
 
・第三世界の人々を先進国に招き、現状を見てもらう。

・第三世界を援助する側の人々に、援助の結果を見てもらう。
 たとえば建設された道路や病院が、生活の改善に役立っているのかどうか。
 その国の産物を購入することで本当にその国が豊かになっているのかどうか。

・持続可能な社会をめざすさまざまな試みについて世界に発信する。
 たとえば、パーマカルチャー、生物ダイナミックス、有機農業、生物地域主義、
 地域経済システム、再生可能エネルギー、鍼治療やホメオパシー、環境保護、
 土壌保全など。

・先進国の人々を短期間ラダックに送り、そこの生活を学んでもらう。

・ロビー活動
 たとえばラダックでは、、
 太陽光発電を普及させるための試験的プロジェクトを立ちあげ、
 インド政府に働きかけて認可を得た。
 このプロジェクトで考案された簡単なソーラーシステムでは、
 ラダックの伝統家屋の壁を利用して太陽エネルギーを吸収し蓄えることができる。
 晴れの日が年に300日もあるラダックでは、
 このシステムを使うと年間の暖房日は石炭や薪を使うより200ドルも安くなる。

などなど……

ヘレナさんは1983年にラダックで、
「レデッグ Ladakh Ecological Development Group」というNGOを設立し、
さまざまな分野の適正技術を開発・宣伝する活動を続けてきた。

また1991年にはイギリスを拠点に、
「エコロジーと文化のための国際教会 ISEC」を設立し、
さまざまな広報活動、研究会、講演会、教育用ビデオや出版物の制作などを行っている。

こうした業績が日本でも認められ、
2012年度の五井平和賞を受賞した。



日本は資源が少ない、と言う人がいる。
その人たちの言う資源は、単に石油や天然ガスのことだろう。

それ以外の資源に関して言えば、日本は本当に豊かだ。
野菜や米を育てられる土があり、その土をうるおす川があり、川をつくる森があり、
豊富な雨を降らせる海が四方にあって、魚がたくさん泳いでいる。
そういう資源をそこなわず、ありがたく活用させていただけば、
日本の人々はもっと健康に幸せに豊かに生きていけるはずだ。
遠くの土地でできたものをはるばる運んでこなくても。
原発なんかなくても。

カルティエの時計がなければ生きる楽しみがないとか、
ポルシェに乗れないなら死んだほうがましだという人は別にして。

わたしは人間の本性について懐疑的だった。
自然の一部でありがなら自然にそむくようなことばっかりしている人間は、
地球のおじゃま虫ではないか。
人間が消えてしまえば地球はもっとよくなるんじゃないか。

でもヘレナさんは30年間ラダックに関わってきて、
それとは別の視点を得ることができたという。

「私たちの危機の第一の原因は、人間の本性でもなければ進化でもなく、
 この地球と人びとの双方を圧倒しながら執拗に拡張し続ける経済システムなのだ」

「より広い視野を持つことができれば、
 私たちが変えるべきなのは政策や人間の作った制度であって、
 人間の本性や進化の性質ではないことに気づくはずだ」

そういう経済システムを生みだしたのも人間だってことで、
わたしの懐疑はまだすっきり晴れてはいないけれど、
でもこの本に書かれているラダックの人々を思うと、
人間は本当はもっといいものなのかもしれないという気持ちもわいてくる。

いずれにしても、子どもたちの未来が今よりましなものになるために、
できることはたくさんありそうだとわかっただけでも、
とってもうれしかった。



この本をもとにした 「幸せの経済学」 という映画もできています。

下はその予告編


 
※日本でこの本を翻訳出版し、
 懐かしい未来のためのさまざまなプロジェクトを応援している団体があります。
 NPO法人 懐かしい未来
by homeopa | 2012-07-29 10:05 |