pimboke6

タグ:ROKKOR-PF 1.7 55mm ( 395 ) タグの人気記事

なかなか理解してもらえないこと

b0170947_03255911.jpg
早いもので、ホメオパスになってもう14年が経つ。
その間、クライアントさんに何度も言いつづけてきたのは、
こういうことだった。

だれのなかにも治癒力というすごい力があること。
病気が治るのは、
薬やレメディのおかげではなく、
治癒力のおかげであること、
だから病気を治したかったら、
治癒力を弱めるようなことをやめて、
治癒力を高めるようなことをしなければならないこと。

これ自体はとても単純なことだと思うのだけれど、
なぜかなかなか理解してもらえない。

なぜなのだろう?

横になってぼーっとしていたら、
あ、そうか、と思いついた。
( 横になってぼーっとしているといろいろなことを思いつく。
 これも書きたい、あれも書きたいと楽しくなるのだけど、
今の腰の状態ではキーボードを打ちつづけるのが難しい。
両手でキーボードを打つには両手を自由にしなければならない。
そのためには、背筋を伸ばしてまっすぐ座らなければならない。
私の腰の筋肉には、今その力がないので、すぐに疲れて痛くなるのだ。
ああ、悲しいわあ。)

もっと悲しいのは、
友だちの至れり尽くせりの世話を受けながら、
これ以上ありえないほどたっぷり休んでいるのに、
筋力や体力が回復している感じがあまりないことだ。

そもそも初期の段階でちゃんと安静にしなかったから、
そんなに回復に時間がかかるのだ、それは自業自得というものだ、
と、優しい友だちに言われて、返す言葉がなかった。


それはともかく、
ぼーっとしていて何を思いついたかというと、

わたしが繰りかえし言ってきたことを理解しなかった人たちは、
理解できなかったのではなく、
了解したくなかったのかもしれない、ということ。

だって了解したら、あとがけっこう大変だもの。
ただレメディを飲んでいるだけでは病気は治らないってことで、
大好物のドーナツを食べるのをやめなければならないかもしれないし、
ストレス満載で自分には向いていないけれど給料だけは高い仕事を
辞めなければならないかもしれない。
幼い子どもを抱えてDV夫と離婚しなければならないかもしれない。
これがなければ生きていけないと思うものを、
手放さなければならないかもしれない。
理想の自分像を捨てて別人にならなければならないかもしれない。
断ち切れない思いを断たなければならないかもしれない。



もしそれらが治癒力を弱めているならば。

こういうことは、そう簡単にできるものではない。
薬やレメディをぽんと口に放り込むほうがはるかに楽ちんだ。
だから多くの人はそれだけに意識を向けるのだろう。
苦しみから自分を解放してくれるレメディーを求めて、
ホメオパスに相談する。
自分の治癒力に相談する前に。
そのほうが楽ちんだから。

※おわび
最近、お見舞いのメールや温かい励ましのメールをよくいただきます。
わたしの知らないところでこんなにたくさんの方がわたしの身を案じ、わたしをみまもっていてくださると思うと、
ありがたくて、ありがたくて、
温かいものに包まれているような気持ちになります。
ひたすら感謝です。
ただ体調のせいで、
個々のメールにていねいに迅速にたいおうすることができず、
それが気がかりです。
本当に申し訳ありません。
でもみなさまのお気持ちは、ずしんとこの胸で受けとめております。
どうかその点をご理解の上、わたしの無礼をお許しください。
本当に申し訳ありません。そして本当にありがとうございます!















※北欧デンマークからの警告「その手術と薬、はっきりいってムダです」高齢者医療の最先端に学ぶ








by homeopa | 2016-09-10 03:26 | 自然のちから

踏んだり蹴ったり

b0170947_09230128.jpg
洗濯機がこわれた日の翌日、
左脚付け根の関節に、グキッとかコキッとかいう感じの軽い衝撃があって、
以来、左脚に体重をかけることができなくなった。
すごく痛いわけではないのだけれど、
とにかく体重をかけることがはばかられる感じ。

そこにはもともと痛みがあって、
とくに脚を上げようとすると痛んだ。
パンツをはくときも左脚を上げてパンツの穴に足を入れることができず、
床に置いたパンツの穴に左足を入れてからパンツを引きあげていた。
歩くときも脚がちゃんと上がらず、つまずきそうになることがよくあった。
右脚から踏みだしたときに、
それについていこうとしても左脚が上がらず、ついていけないことがあった。

でも鍼灸治療のおかげでだいぶそれが改善し、
施術をしたその晩には、
左脚を上げて、手に持ったパンツの穴に足を通すことができた。
コキッとなったのは、その翌日のことだ。




余談だけれど、この鍼灸治療には多いに助けられている。
一ヶ月ほど前、数年ぶりに相談会に来てくださったクライアントさんが、
今年4月に鍼灸師の資格をとられたところだった。
その方が、週に1回~2週間に1回、うちまで施術の出前をしてくださることになったのだ。
まだ普通に歩けないわたしにとって、
それは本当にありがたいことだった。
ずっと相談会から遠ざかっていたその方が、
このタイミングでまた相談会に来てくださったというのは、
きっと何かのご縁だろう。
この世はご縁に満ちている、と、病気になってから何度思ったことか。
おかげでフニャフニャしていた腰がだいぶしっかりしてきた。




とにかく、左脚がそんな状態なので、
今は前以上に歩くことが困難で、
家の中でも杖をついて歩いている。

その状態で立ちつづけて、
洗濯と排水(ここまではできる)が終わった洗濯物を、
一枚ずつ手でしぼって干すという作業は、
なかなかつらいものがある。

自転車で5分ほどのところにコインランドリーがあるので、
普段ならそこに行って脱水をすればいい。
でも今のわたしは自転車には乗れないし、
自転車を引いてそこまで歩くこともできない。

その間にも、おむつや、汗に濡れたタオルや、くさい汁でシミになった衣類が、
どんどんたまっていく。

あ~あ、踏んだり蹴ったり、泣きっ面に蜂だわ~~!
と、泣きたくなった。
神様、仏様、観音様、地獄の閻魔様、イエス様、マリア様、シバ神様、ムハンマド様、
大国主命様、天照大神様、サイババ様、ダライラマ様・・・
どこのだれでも、どんなにブサイクでも構わないから、とにかく助けて~~~!

と、こんな状態でも、幸せを感じるひとときがあるのが不思議だ。

うちの洗濯機はベランダにある。
洗濯物をしぼって干す作業を昼間にやるとえらく暑いので、
夕方、日が落ちるころにヨタヨタと出ていってその作業を始めたら、
二日間連続で、夕日と夕暮れの雲がすごく美しかった。
心が洗われるようだった。
うちは3階だから、さえぎるものもなくその空が見える。
涼しい風も吹いて、得も言われぬ心地よさ。
ああ、天国だと思った。
天国と地獄、幸せと不幸せ、喜びと苦痛はどうもセットになっているらしいと、
前からちょくちょく思ったけど、
やっぱりそうらしいと、今度も思った。



今日は左脚のぐあいも少しいいので、
きっと時間とともによくなっていくだろう。
明後日には新しい洗濯機が届くので、
明日一日を乗り切れば、
もう大丈夫。

それにこれからガガが、
大学の人類学のフィールドワークで滞在していた五島列島のおみやげを持ってきてくれるそうだ。
買いものも頼めるし、
びちょびちょの洗濯物をコインランドリーに行って脱水してきてもらうこともできる。
ナイスタイミングだな。
でもそれより、ガガに会えること自体がうれしいし。
なんか幸せ♪


あ、そうそう、
新しく買う洗濯機は二槽式にした。
これも楽しみ♪
美麻に送った新しい洗濯機は1槽式の全自動なので、
同じものを買うのはなあ・・・とためらった末、
思いついたのがこれだった。
ネットの口コミをいろいろ見ていたら、
へそまがりでアナログ好きで、シンプルで実力のあるものが好きなわたしには、
ぴったりだと思った。
何よりも、スイッチがダイヤルなのがいい!
まわすとギリギリギリギリという音で動きだす。
最近のタッチパネルのピッピッという音はどうも嫌いだ。
なんか機械におちょくられている気がする。
こちらには理解できないところで何かが進行している感じ。
とにかく、毎日愛着をもって使えそうなこの洗濯機、来るのが待ち遠しいわあ。

※二層式洗濯機が今でも愛用される理由、メリットとデメリッ
※リバイバル!二槽式洗濯機


【追記】
「今度来る洗濯機は二槽式だよ」 とガガに言ったら、
「え、うそでしょ? 母ちゃんのことだから、もしかしてと思ったけど、本当に?」 という反応。
いったいどんな洗濯機を想像しているのかときいたら、
洗濯の終わった衣類を2本のローラーの間にはさみ、
そのローラーに連結したハンドルを手でまわして絞るというもの。
ああ、あった、あった、そういうの。→ http://www.mokeden.jp/kousaku/isuzuwasp/isuzuwasp-04.htm
子どものころ実家にあって、
ときどき手伝わされて、絞るのをやったけれど、
あれはけっこう大変だった。
いくら古いものが好きなわたしでも、そこまでは戻れないわ。
でも自分の娘にそこまで変人として信頼されているとわかって、
うれしかった。








※映画「余命1ヶ月の花嫁」の驚愕の真相!

※医師が薬の代わりの果物や野菜を処方し始める



by homeopa | 2016-08-24 11:49 | つぶやき

禁断の熟女、真夜中のもだえ --- ああ、それでも尿はほとばしる!

b0170947_07272381.jpg


おとといの晩は午後9時ごろ寝て、真夜中12時ごろに目が覚めた。
暑くて、喉が渇いて、尿意もあった。


ちょっくら起きて、扇風機の風量を上げて、おしっこをして、水を飲んでこよう、
と思って起きようとしたが、
右肩後ろの筋肉が痛くて起きあがれない。

その日の夕方頃からそこがこわばって痛くなりはじめていたので、
またかな、というイヤな予感はあった。
以前に一度、そのあたりと背中の筋肉がバリバリに張って痛くなったことがある。
でも鍼灸の治療でわりとすぐに痛みが消えた。

デスクの椅子に座っているとき、どうしても右腕を肘掛けについて身体を支えたり、
階段を上るときも左脚を補うために右手で手すりをつかんで体重を引きあげたりする。
ものを運ぶのはいつも右腕だし。
だからそのあたりの筋肉にかなり負担がかかっていたのかな。
いつもご苦労さま。ありがとう。



左脇の下のセツコさんが大きくなってから、
それを守るために、
寝返りはもっぱら右に打つようになっていた。
セッちゃんを圧迫したら痛そうな気がして。

しかもぎっくり腰やら何やらで腰を傷めてからは、
仰向けに寝たまま腹筋と背筋を使って前に起きあがるというのはむずかしくなっていた。

だからいつも起きあがるときは、
まず右側にごろんと寝返りを打ち、
左腕と右腕で布団をプッシュして上半身を持ちあげて起きあがるのが普通だった。

でもその動作をしようと力を入れると、
右肩後ろと背中の筋肉が引き裂かれるように激しく痛むのだ。

筋肉がそげ落ち、声帯までやせ細った熟女は、
蚊の鳴くような声でうめき、もだえた。
「ああ、痛い! 痛い! 痛い! 痛い! 痛い! 痛い! 痛い!・・・」
そればっかり。

「う~~~ん! あああ~~~! もうだめ~~~! ああ、やめて~~!
わあお~~! オオ、マイ、ゴッド! 死ぬ~~~! そこよ、そこ~!!」
など、もっと気の利いた語彙がありそうなものだが、
なにしろ最近とんと使っていないものだからとっさに出てこない。


そうこうするうち、膀胱がますます尿でふくらんでくるのがわかった。
このままどっかからだれかが助けに来るまで、
垂れ流しの尿の海につかることになるのだろうか?

オリンピック選手とちがって、
わたしにはこういう痛みをハッ!と気合いで乗り越えるような気迫はない。
だから痛みを避ける方法を見つけだすしかない。

そこでまず、折り曲げていた右腕を頭の上に伸ばし、
それを軸にしてさらに寝返りを打ち、うつぶせに近い状態になった。
その状態から、肩の両側に両手をつき、
両手で布団を押して身体を起こそうとしたが、
これがまた痛かった!

「ああ、痛い! 痛い! 痛い! 痛い! 痛い! 痛い! 痛い!・・・」
とまた気の利かないもだえ声の繰りかえし。

じゃあ、どうしようかと考えた末、
今までやったことのないこと、
つまり左に寝返りを打ってみようと考えた。
実際やってみると、思ったほど痛くなかった。
熟女の苦悶ぶりを見るに見かねて、
セッちゃんが口をつぐんでいてくれたのかもしれない。

左にごろんとなった状態で、右手で布団を押し、
左腕でぐいと状態を押しあげると、さほど痛みもなく起きられた!

ちょっと感動。

喜び勇んでトイレに行くと、
ほとばしるように尿が出た。
安堵と解放の放尿だった・・・ああ、快感!

しばらくエクスタシー状態でぼおっとしているうちに、
不安になってきた。

疲れたし、眠りたいので、横になりたいけれど、
横になったらまた起きあがれなくなるかもしれない。
それが怖い。

そのうち今度は胃の真ん中がずーんと痛くなってきた。
そこを触ると、石のように硬くなっている。
胃けいれんだ。
レメディーをとったり、お湯を飲んだり、熱いタオルで胃を温めたりして、
やっとその部分が柔らかくなり、痛みも治まってきた。
胃けいれんでますます疲れてしまったので、
もう後は野となれ山となれ、かまわず横になることにした。

夜間の睡眠中はおっぱいのおむつを交換できないので、
大人用のおむつフラットタイプ(高齢者の排尿用)を買って使っている。
もしまた膀胱が破裂しそうになったら、
それを使えばいい。
そう気づいたら急に気が楽になり、
すぐに眠りこんだ。

翌朝、起きたときは、左に寝返りを打つ方法で起きあがることができた。
そしてその日の夕方頃には右肩後ろと背中の痛みもだいぶ柔らぎ、
次の朝には、いつものように右に寝返りを打って起きあがることができた。



いったいあの痛みはなんだったのだろう?
とそのときは思ったけれど、
今は明白な気がする。

夜遅くまでパソコンで映画を見ていたのがいけなかったのだ。
腰が悪くなくなって、なかなか回復しなくてイライラする時期が過ぎたあと、
熟女は開きなおって、
そうだ、今までやりたくてできなかった映画三昧をしよう、と決めた。

夜ずっとパソコン画面を見ているのはよくないので、
時間があるときは昼間から映画を見ることにした。
なんだかすごい贅沢な時間を過ごしているような気がした。

とはいえ、まだ腰は万全ではないので、
長時間座りつづけていると、
どうしても右肘で身体を支えるような姿勢になる。
それが何日も続き、
しかも夕方観ていた映画が面白くて途中でやめられず、
夜までもつれこんで、
就寝時間が遅くなるなんてことも頻発した。

その無理がたたってあの痛みが出たのだろう。
そして、いくら痛い思いをしてもそういうバカな無理を重ねてしまうことへの、
警告でもあったのだろう。

おかげで昨日は夕方に映画を打ちきり、
だいぶ早く布団に入った。
そのせいか、今朝はだいぶ気分がよかった。

単純なことなんだ。
熟女になるまで生きてきて、そんな単純なことに今ごろ気づくなんてね。

症状はわたしのために出てくれるのだということを、
また痛感させられたできごとだった。





Kroke - ten pieces to save the world (Full Album) ♪






by homeopa | 2016-08-18 20:34 | 身体のこと

近況報告

b0170947_11024434.jpg


ホメオパシーの相談会、
しばらく直接相談 (直接お会いしてお話しすること) をお断りしています。
ぎっくり腰以来、なかなか腰の調子が回復しないとはいえ、
クライアントさんにはほんとうに申し訳ありません。

直接相談の再開を待っていてくださる方たちのために、
今のわたしの体調をお知らせしておこうと思います。

おかげさまで腰の不調はだいぶよくなって、
かなり長いあいだ座っていることができるようになりました。
ただし、座席が柔らかくないと、お尻の肉がないのでお尻が痛くなります。
(人生初の体験! お尻のクッションに不自由したことはこれまで一度もなかった)、
そして肘掛けがある椅子でないと、そのうち身体を支えきれなくなって、
腰が痛いというほどでなくても、つらくなります。
なのでうちのデスク前の椅子がいちばん快適です。

おむつを干したり、料理をしたりという立ち仕事も、
だいぶ長い時間できるようになりました。
でも流し台に向かっているときなど微妙な前屈姿勢を続けていると、
腰がこわばってきて、あ、ヤバイ、と思います。
両手で顔を洗うのはまだちょっと苦痛です。

重い物を持ちあげたり運んだりするのも、
まだ不安です。
直接相談では会場の椅子やテーブルを移動しなければならないので、
まだ無理かなという感じ。

というわけで、まだしばらくは電話相談のみで、対応させていただきます。
スカイプ相談も可能ですが、
長いあいだ座っているとデスクに肘をついたり、椅子の背にもたれたり、
だらしない格好になってしまうので、
そういう姿はあまりお見せしたくないという気持ちがあって、
気が進みません(この期におよんでこんなことを気にしているチッチャイわたし)。
でもスカイプは通信料が無料、電話相談は電話料金がかかります。
そんな理由もあって、
クライアントさんのなかにはどうしてもスカイプがいい、
という方もいらっしゃるでしょう。
その場合にはご相談ください。
検討させていただきます。
音声だけのスカイプ相談という方法もありますし。


     ※  ※  ※  ※  ※  ※



側溝に転落して仙骨を打って以来、
歩くと痛かった右の仙腸関節や股関節や膝は、
ほとんど回復しました。

ただ、ずっと右脚をかばっていたせいか、
今度は左脚の付け根(そけい部の下あたり)が痛くなって、
左脚を上げようとすると痛みます。
体重をかけても痛みます。
なので歩くのが苦痛。
こっちが治れば、あっちが痛む、という感じで、キリがありません。
よくもまあ、次から次へと多様な症状が出せるものです。
変な意味で、身体ってすごい。

なにしろガンの腫瘍に栄養やエネルギーをとられて、
筋肉や腱、関節や骨などに十分な栄養が行きわたらないので、
身体を支えるのに必要なそういう部分がとても脆弱になっているのでしょう。
だからちょっとしたことでけがをしたり、
一度けがをするとなかなか治らない。

しかも痛みのせいであまり動かずにいると、
どんどん脚腰の筋肉が弱っていく。


二日前、左脚の調子がよかったので、数日ぶりに買いものに出ました。
大きめのあじ二尾、キウイ4個、豆乳ヨーグルト、ピーナツバター一ビンが入った袋を下げて、
普段なら徒歩5分の道のりを帰宅しただけで、
疲れきりました。
たった数日のあいだにこんなに筋力が衰えるものかと妙な感動。

そのあとそれを持って3階まで階段を上るのが至難のわざで、
一歩上っては荷物を一段上に置き、また一歩上っては荷物を上げ、
という感じで、
部屋の前に着いたときには、
エベレストの登頂に成功したような達成感!

どんなところにも感動はころがっているようです。
でも、毎日エベレスト登頂っていうのもね・・・



Bobby Mcferrin & The Motion Trio♪





by homeopa | 2016-08-15 09:42 | 身体のこと

おまえはバカか!

b0170947_12100499.jpg
(まだ美麻の写真は現像していないので、以前に撮った写真を)



どうしていい休暇を過ごしたのに腰や脚がびょんびょん弾んでくれないのか。
それについて書こうと思う。
これは今回の休暇のテーマのようなものかもしれない。

休暇に出る前、わたしは大河の水面にゆらゆらと浮かんで流れていくような日々を予想していた。
でもふたを開けてみたら、ゴーカートで急カーブを下るような日々だった。
だれのせいでもなく、自分のせいで。




b0170947_12584098.jpg


まず、美麻に着いた翌日の地域の草刈りが、
はんぱなくつらかった!
参加するのはこれで3回目だけど、
あんなにつらいと思ったのは初めてだ。

男性陣が草刈り機で草を刈り、女性陣がそれを集めて近くの沢に投げすてるのだけれど、
途中から、草を積んだ手箕(てみ)を持って立ちあがろうとして、
びくりとも身体が動かないことに気づいた。
立ちあがって歩けと頭は命令しているのに、
どこかで身体がその信号を遮断してしまった感じ。

その前に発熱やぎっくり腰であまり身体を動かさない時期が続いたので、
体力・筋力が落ちているのは自覚していた。
その状態で自分の能力以上の労働を要求されて、
身体がストライキを起こしたのだろう。

それでも地区長さんが頻繁に休憩時間を設けてくれたので、
そのたびに気を取りなおし、身体をなだめすかして、
なんとか最後まで続けることができた。
最後はほとんどゾンビだったけど。





b0170947_12584098.jpg


そのあと三日間、あまりにも疲れてまったく動けなかった。
いったん腰を下ろすと、
次に立ちあがるまでに何時間もかかる。
だからほとんどの時間、
揺り椅子に座ってぼーっとして過ごした。

いま思えば、休むという点では申し分のない日々だったけれど、
わたしの中では不安が渦巻いていた。
なにしろ生まれて初めて感じる、
地の底に引きずりこまれたような疲労感。

これはただの疲労?
それともガンという病気に特有の消耗感?
このまま生命力が枯渇してしまうの?




b0170947_12584098.jpg

さいわい、四日目にはだいぶ身体が動くようになった。
あんなに疲れても回復できるんだ。
と、うれしくなった。
そしたらやりたいことが次から次へと浮かんできた。

畑の準備を始めたいし、
トイレの仕切りのドアをはずしたいし床もなんとかしたい、
浴槽のカメムシの汁のシミもきれいにしたい。

といっても疲労から完全に回復したわけではないので、
いざ始めてみると、すぐに疲れる。
そこで休めばいいのに、
キリのいいところまで、とやり続けて、
毎晩、布団に入るときには、
「ああ、疲れた! 今日もがんばりすぎた」
とつぶやくことになる。
休むつもりで来たのに、ぜんぜん休めていない。

そんなことが三日ぐらい続いたとき、
ちょっと自分と向きあってみたら、
どなられた。
「おまえはバカか!」




b0170947_12584098.jpg



それでやっと目が覚めた。
そして決意した。

疲れているときは何もしない。
何かしていて疲れたらすぐ休む。
今回の滞在では何も達成しなくていい。
とにかくここの空気や緑や鳥のさえずりをじっくり味わい、
何もしない時間を楽しもう。

ということで、翌日はごはんを作ったり洗濯をしたり本を読む以外、
何もしないで過ごすことにした・・・・はずだった。

ところが11時過ぎにふと時計を見たときに、
「まだ12時のバスに間に合う・・・」
という考えが浮かんできた。
要するに、買い出しに出かけようという考えだ。
ちょうど果物がなくなったところだし、と。




b0170947_12584098.jpg


あの家から買い出しに出かけるということは、
20~30分かけて舗装路をくだり、
バスに乗り、
買いものをしてまたバスに乗り、
バスから降りたら、
野菜や果物が詰まったずっしり重い車輪つきのスーツケースを引っぱるか押すかしながら、
30~40分かけて登り坂の舗装路をのぼるということだ。

あの時点で、欠けている食材は果物だけだった。
がんばって出かける必要は何もなかった。
なのにわたしは出かけた。

バカは死ななきゃ治らない!



b0170947_12584098.jpg


死ななきゃ治らないバカでも、
もう一度チャンスを与えてみようと宇宙は思ったのかもしれない。

バス停のすぐ前には側溝があり、
そこに橋のように金属のグリッドが渡してある。

買いものをして帰りのバスを降りたわたしは、
そのグリッドの端っこを渡ろうと左足を踏みだした。
でもそこにはグリッドはなかった。
ただ草が生えているだけだった。
草がたくさん茂っていたので、
グリッドがそこで途切れていることが見えなかったのだ。

わたしは足を踏みはずし、
横ざまに倒れて側溝にすっぽりはまった。
こんな感じ↓

b0170947_16044647.jpg

倒れた拍子に、
尾てい骨の少し上の骨(仙骨?)を側溝の縁にぶつけた。
ショックと痛みでしばらく動けず、
側溝の中から空を見あげていた。
横をすごいスピードでビュンビュンと車が走りすぎていく。
田舎のドライバーはなぜか飛ばすのだ。

「わかりました、今度こそわかりました」
とわたしは宇宙に向かってつぶやいていた。



b0170947_12584098.jpg


以来、何もしない時間をやっと本気で味わおうとするようになった。
何もしないでいると、
しばしば動きたくてムズムズしてくる。
でもそのとき身体のキモチに注意を向けてみると、
ムズムズしているのは身体ではなくて、
頭だということもわかってきた。

つまり本当に動きたいわけではないのだ。
今の自分に何か不足や不満を感じていて、
あそこに行けばそれが満たされるかもしれない、
あれができあがればそれが満たされるかもしれない、
と頭が妄想しているだけなのだ。

本当に自分を満足させられるとしたら、
それは今ここでしかあり得ない。
未来も過去もまぼろしだから。



今回の休暇では本を二冊持っていった。
一冊は、『これならできる! 自然菜園』
もう一冊は『The Power of Now』

『The Power of Now』を通して読むのは3回目だけれど、
読むたびに新たな発見があって、
理解が深まる。
何度でも何度でも読みたい本。
このころ体験していたことと、この本で読んでいたことが折々重なって、
自分の頭の妄想のからくりを実感することができた。

それでもいまだにバカだけど。


b0170947_12584098.jpg


とまあ、そんなわけで、
仙骨の打撲の腫れはわりとすぐにひいたのに、
そのうち、歩くときに右脚に体重がかかると、
右の仙腸関節のあたりが痛くてふつうに歩けなくなった。

それが少しずつ悪化して、
今は右股関節~右膝にかけても痛みが出ている。

ふだんのわたしの歩行速度がゴキブリ並みだとしたら、
今の速度はカタツムリ。
赤ん坊みたいにヨタヨタと歩いている。
モデルさんみたいな歩行は絶対不可能!
びょんびょん弾むことも不可能!

このことについてはまた後日、書きます。










by homeopa | 2016-07-16 17:14 | ボケ

銀バエ

b0170947_09103428.jpg

休暇から戻ってきました!
長いお休みをいただき、ありがとうございました。
メールでのお問い合わせやご予約には今日から応じられますので、
何かご用のある方はどうぞ。


さてそれで、予想どおり弾むゴムまりのようになれたかどうかですが・・・
あいにく、心はびよんびよんと弾んでいるのに、
身体が弾んでくれません。
元気ではあるんですが、文字どおり弾めないんです、腰と脚が悪くて。
だから弾むゴムまりは半分だけ実現した感じです。
このことについてはまた後日、別の記事で。


今回の記事は、前の記事とのつながりで、
くさいわたしのこと。
東京に帰ってきてこのブログを開いたら、
出てきたのが「くさいわたし」というタイトルで、
笑っちゃいました。
そろそろ帰ってきたかな、ブログをアップしてるかな、
とか思ってアクセスしてくださる方々も、
そのたびに「くさいわたし」というタイトルを目にしていたのかと思うと、
おかしいような申し訳ないような。


今回は生きているカメムシには一度も遭遇しませんでした。
カメムシの死骸はときどきどこかからポトンと落ちてくることはありましたが、
匂いはないので、家もあんなにカメムシがいたのがうそのように無臭でした。


今回、頻繁にたくさん目にしたのは銀バエ。
ぷっくりふくれたおなかが青色に光るあのハエです。
ブーン、ブンブン!!とうるさい音を立てながら飛びまわり、
いかにも自己顕示欲が強そうなその様子が、
暴走族と似ているなと思い、
そういえば暴走族にそんな名前のグループがいたような・・・
と思ってググったら、
「横浜銀蝿」は暴走族ではなくロックンロールバンドでした。

いずれにしても、うっとおしい。
それに銀バエは糞便や動物の死骸や腐敗したものにたかることが多いので、
衛生面からもなんとなくイヤな印象があります。

この銀バエが、ブーン、ブン、ブン!!とわたしのまわりを飛びまわっては、
やたらに左胸や左腕に止まるのです。
彼らの大好きなウンコや腐った有機物に通じる匂いがするのでしょう。
そんなことが毎日続くうちに、
なんだかウンコの気持ちがわかるような気がしてきました。

毎日うっとおしいだろうな、気が滅入るだろうな。
でも反面、少し誇らしいんじゃないかな。
なぜってあのうるさい銀バエも、
ウンコに止まっているあいだだけは静かなのだから。
実際、わたしの腕や胸に止まっているときも静かなのです。

自己顕示欲のカタマリのような銀バエを、
一瞬でだまらせることのできるこのわたし、あのウンコ。


とはいえ、わたしの左胸に止まってその匂いにうっとりと酔いしれている銀バエの顔を見ていると、
思わず「殺すぞ・・・」とつぶやいている自分がいました。
そして実際、3秒ほど数えてから、パン!と手でハエをたたきつぶそうとする自分もいました。
(さすがに胸はたたけないけど、腕とか)
もしほんとにグチャッとつぶしちゃったら、どうするつもりだったんだろう?
ああ、気持ち悪い。

なんでしょうね。
わたしの中のサディスティックな衝動を刺激するのです、やつらは。
カメムシにこういう衝動を覚えることはまずないのですが。


ともかく、自分の中のサディストにも遭遇することのできた、
なかなか密度の濃い休暇でした。
密度が濃いだけに、何から書いていいのかわかりませんが、
まあ、ぼちぼちと。








by homeopa | 2016-07-15 14:09 | おもしろいこと

オバマさんの冗談

b0170947_13182714.jpg

もうすぐ任期が終わる米国のオバマ大統領の自虐ビデオ。
「大統領でなくなったら何をすれば・・・・」
http://www.bbc.com/japanese/video-36185534?SThisFB
かなり笑える。
なかなか役者だな。引退後は映画とかに出演すればいい。


もうひとつ、最後のホワイトハウス記者会夕食会でのオバマ大統領のスピーチ。
http://www.bbc.com/japanese/video-36184841
これには、もっと笑った。


オバマ大統領には最初から好感を抱いていた。
わたしは革新好きだし、面食いだから。
実際に大統領としてどんな仕事をしたのか、正直よく知らないけれど、
この動画を見て、人間としてはやっぱり魅力のある人だと思った。
それに引き替え安倍晋三はハエみたいなもんだな。
ハエとしてもまるで魅力を感じない。
すり足の仕草さえ、うそっぽく見える・・・ハエのふりして、とか。
ただうっとおしくて迷惑なだけだ。

でも安倍晋三にかぎらず、
日本の政治家でオバマさんみたいなユーモアのセンスのある人はいるだろうか?
これまでいただろうか?



なんて考えていたら、
ちょうど読んでいた河合隼雄著 『生と死の対話』 という本に、
日本人と欧米人のジョークに対する思いの違いが書いてあって、
なるほど、そういう見方もあるかと思った。

その部分を引用しようと思って書きだしはじめたけど、
やたらに長いので要約することにした。

・何かを笑うためには、笑われるものと、笑う人とが分離し、
 笑う人が笑われるものを「対象化」しなければならない。
 そしてこの対象と適切な距離を置く必要がある。

・何かに真剣になっていたり夢中になっていたり緊張しているときは、
 自分自身がその状況にはまりこんで一体化しているので、
 その状況や自分自身を「対象化」するようなゆとりはない。
 だから笑えない。

・スピーチに際して、日本人は弁解からはじまり、欧米人はジョークによってはじまる、とよく言われる。

・日本人の場合は人が集まると、そこに暗黙のうちに一体感が生まれる。
 それは一種の絶対的平等感に根ざしている。
 そのため演壇に立つ人は、自分が特別でないということを示して、
 一体となっている聴衆に溶け込む努力をしなければいけない。
 そこで「私などはこのような場でお話しさせていただくべき人間ではありませんが・・・」
 などという出だしになる。

・欧米人の場合はたとえ集団になっても、個々人が他と区別されるものであることを、
 はっきりと意識しているので、簡単に一体感は生まれない。
 そこで講演者はジョークで聴衆と笑いを共有して、ある程度の一体感を生み出そうとする。
 さらに、自分が話の主題に対して、笑いを誘いだせるだけの距離をもっていることを示して、
 聴衆を安心させようとする。

・このように日本的一体感は、対人距離をかなり狭めるので、「対象化」を好まず、
 そこには笑いの入りこむ余地がない。
 だから日本人にはジョークを言う人を「フマジメ」と決めつけたりする傾向がある。


この説が正しいかどうかは置いておいて、
この一節を読みながらふと思った。
そういえば安倍晋三はよくジョーク(とおぼしきもの)を飛ばしてひとりでほくそ笑んでいるな、と。

彼にそれだけの余裕や距離感があるのは、
国民との一体感などみじんもないからだろう。
大学を卒業しても低賃金で非正規社員や派遣社員として働くしかない若者たちや、
働きたくても子どもを保育園に預けられず働けない貧乏所帯のお母さんや、
遠い異国で銃弾の脅威にさらされることになる自衛隊員や、
今も毎日、恐怖におびえ、生活の不便に苦しみながら過ごしている熊本地震の被災者や、
5年間も怒りと悲しみと不安とジレンマに苦しみ続けてきた福島原発事故の被災者や、
何十年も自分たちの島を蹂躙されてきた沖縄県民などに対して、
ひじょーーーに大きな距離を感じているだろう。
自分とは別世界の人々、
いやもしかしたら、別の種の生きものだと思っているかもしれない。
それだけ距離があれば、余裕こいてジョークのひとつも飛ばせるのは当然だろう。

でも安倍晋三のジョークは全然面白くない。
なぜなら現実を見ていないからだ。
見当違いだからだ。

面白いジョークを飛ばすには、まず現実を鋭く把握した上で、
ほんの少し視点をはずしてそれを茶化す必要がある。
大政治家の御曹司として雲の上で育てられた晋三くんには、
一般社会の現実なんてないも同然なのだ。

なぜそんな人が総理大臣になってしまったのだろう?
もしかしたら日本人は、意外とでっかいブラックジョークが好きなのかもしれない・・・・


FBで流れてきたオバマさんの動画が面白くて、
ただそれをアップしようと思っただけなのに、
なぜか安倍晋三をこきおろす記事になってしまった。
それはそれで気持ちよかったけど。









by homeopa | 2016-05-29 21:10 | おもしろいこと

ぎっくり腰!

b0170947_07214013.jpg

感情との対面が少しずつ進んでいる。

結婚生活で感じた不満や怒りや悲しさや寂しさを片っ端から書きだしていたら、
かなり大事な事実に気づいた。

たとえば元夫とのあいだに何かあって、
怒りや、悲しさや、不満や、寂しさを覚えたとき、
わたしはほぼ同時に自省する癖があった。
彼の前で怒ったり泣いたりしながらも、
その裏で、
「でもわたしがああしなかったから、彼がこうなるのも仕方ないのかも」
「わたしに魅力がないから、彼はわたしに興味を示さないのだろう」
「彼はわたしを愛しているのに表現がへたで、わたしがそれを悪く妄想してしまうのだろう」
なんてことを思ってしまうのだ。

何か感情を揺さぶられるできごとがあったときに、
怒ったり泣いたりするのは自然なことだ。
風邪をひいたら熱や鼻水や咳が出るのと同じこと。
それが人間の自然な反応だろう。

いったん感情を発散してから、
その事件を視点を変えて見てみればいい。

でもわたしの感情の裏側にはいつも同時進行で、
自分への批判や反省や劣等感がチューイングガムみたいにくっついていた。
だから怒ったり泣いたりして感情を発散しようとしても、
わーっと空気のなかに散っていくかわりに、
喉や胸のあたりにへばりついて詰まっていた。
それがたまってしまったのだろう。
しかもチューイングガムは時間がたてばたつほど硬くなってはがれにくくなる。

わたしの感情の抑圧というのは、
ひとつには、こういうパターンから生じていたのかもしれない。

チューイングガムをはがすのは大変だぞ・・・・



自分の怒りがどんなものなのかも、
少し見えてきた。
それはまた別の記事で書こうと思う。


※ ※ ※


この件で面白いのは、
18日の朝、ヨガをしていて腰がぐきっとなり、
それがどんどん悪化して、
19日も20日もちょっと動くたびに「あいたっ!」となって、
身動きがままならなくなったことだ。

19日に、ぎっくり腰を何度も経験している友だちに電話してきいたら、
たぶんそれはぎっくり腰だけど、
なんとか歩けるくらいだから軽いほうだろうとのこと。

ぎっくり腰なんて、生まれて初めてなった。
友だちはヨガ療法をやっているので、対処方法も教えてもらった。
もちろんレメディーもいろいろとった。

でも20日の朝、起きてみたら、ますますひどくなっていた。
前日はおむつの洗濯ができたし、
動かなければ痛みはなかったのに、
その朝はおむつの洗濯をしている途中から、
患部に絶え間なく焼けるような痛みが出てきて痛くてたまらなくなった。

思わず同じ友だちに愚痴の電話をかけた。

「それ、TMS じゃないのかな?」と言われた。
わたしも実はちらりとそれを考えていた。

TMSというのは、緊張性筋炎症候群 (Tension Myositis Syndrome)のこと。
この病名は、『サーノ博士のヒーリング・バックペイン―腰痛・肩こりの原因と治療』 の著者、
ジョン・サーノ博士が命名したもので、
どんな病気かといえば、
心の抑圧から生まれた緊張によって血流が滞り、酸素が欠乏して起こる、筋肉や腱の痛み、ということになる。
自分で感じたくない不快な感情、不安を引き起こす感情、人に知られたくない感情などがあるときに、
脳がそれをごまかそうとして身体に痛みを引き起こすのだそうだ。
いわば、痛みの煙幕。

サーノ博士によれば、
腰痛や四十肩や膝痛などの7割ぐらいが、
構造的な原因から生じる痛みではなく、
TMSだそうだ。
そして実際、患者が心の奥で感じている感情に気づくと、
痛みはお役目ごめんになってすーっと消えていくらしい。


痛みが起こった18日は、リーディングのことをこのブログに書いた翌日だ。
感情の解放という難題にとうとう取り組まなければならない、
ブログにも書いちゃったし、なんて思って、
前の晩に少しずつ過去を思い返してみたりしていた。
そんなことをしながら、
でもあのぐじゅぐじゅした泥沼みたいな時期に戻るのはいやだな、
あのぐじゅぐじゅした感情はもううんざり、
なんて思ってもいた。

だから友だちにTMSではないかと指摘されたとき、
そうかも、と思った。
そして前の晩に気づいたことなどを少し話しているうちに、
涙が出てきた。
朝だったので長くは話さなかったけど、
電話を切ったら、あら不思議、焼けるような痛みがなくなっていた。

話したことで感情を空気にさらしたことと、
涙が出たことがよかったのかもしれない。

身体と心の関係、ほんとに不思議で面白い。

身体を動かす瞬間の 「あいたっ!」 という痛みもそれで消えたかというと、
そう簡単ではなかった。
なにせ長年へばりついて硬くなったチューイングガムだから。
でも、それからさらに少しずつ記憶と感情の掘り起こしをやってきて、
今は痛みもだんだん軽くなっている。

身体はすごいな。
わたしたちのために、こんな小ずるいことまでしてくれる。
一方で、心もすごい。
こんなふうに身体をコントロールしてしまうんだから。

びっくり、びっくり。



関係ないけど、
以前から左脇の下の腫瘍を圧迫しないように、
歩くときは左手を左腰にあてて歩いていたのが、
今度は右腰の筋肉をかばうために右手を右腰にあてて歩くので、
身体の両側に腕がくの字に出っぱって、
カイトみたい。
やせてるくせに、やたらに幅をとる。




(以下、上の本からの引用)

この疾患名の 「緊張」 は、無意識下で生み出され、ほとんど無意識の外に出ることのない感情を指す。・・・・その多くは、不快、苦痛、きまり悪さを伴う感情で、本人にも社会にも受け入れられず抑圧される。該当するのは、不安、怒り、劣等感だ。抑圧が起きるのは、これらの感情を味わいたくない、これらの感情を抱いていることを周りに知られたくないと心が思うからだ。自覚できるのであれば真正面から向き合おうとするのだろうが、いかんせん、人間の心は無意識下の感情を自覚するようにはできていない。またたくまに、それも自動的に、これらの感情を抑圧してしまう。選択の余地はない。




自覚している性格特性は、意識的な心に属する。意識的な心は、自覚できる感情が属する領域でもある。そこでは、悲しい、嬉しい、うきうきする、がっかりするといった感情が実感できるし、自分が良心的、勤勉、心配性、強迫観念にとらわれやすい、完全主義者であると自覚できる。苛立ちを自覚することもあれば、自己主張の必要を自覚していることもある。・・・・こうした意識的な心に属する感情によって、意識的な自分ができ上がり、人生でなすべきことや行動様式が決まってくると思われる。しかし、本当にそうだろうか? 表に現れた性格特性は、本人がまったく意識していない内面の衝動を映し出しているとよくいわれる。




無意識はあらゆる感情の倉庫だ。その感情を社会や本人が受け入れられるかどうかは問題にしない。無意識の何たるかを知るのは大変重要なことだ。その奥深くで起きていることが、覚醒時の行動を支配する性格特性に大きな影響を与えている可能性があるからだ。無意識こそ、TMSやその類似疾患が生み出される場所である。




心の奥底に劣等感を抱いている人がどんなに多いかを知って、わたしは少々驚いている。・・・・人間は不快な感情に対して 「過剰補償」 しようとするため、たとえば自分が弱いと感じていれば、いかにも強そうに行動する。




いい成績を上げたい、目標を達成したいという強迫的な欲求は、深く根づいた劣等感の裏返しであることが多い。欲求の出所はいざ知らず、業績を上げたいという欲求、最高の親でありたい、生徒であり従業員でありたいという欲求を抱くのも、TMS患者の特徴である。




(劣等感と)同じように心の奥底に潜み、劣等感に匹敵するほど重要なのが 「自己愛(ナルシシズム)」 だ。これは人間の持つ自己を愛する気持ちであり、過剰なくらい自己中心的になる状態を意味する。・・・・自己愛は程度の差こそあれ誰にもあるが、度を越すと問題が生じる。自分の命令に従わなかったり命令どおりにやりこなせない相手に対し、すぐ苛立つようになる。このとき怒りが生じる。自己愛が強すぎると四六時中怒っていることになるが、この怒りは不安同様に抑圧されるため、本人は怒りが生じていることに気づかない。怒りが抑圧される先は無意識的な心である。・・・・劣等感に苛まれる一方で、自己愛に動かされて心は暴君のような振る舞いをする。・・・・対局にある二つの感情が同時に存在するとは、いかにも奇妙に感じられるかもしれないが、これはまさに一枚のコインの表と裏なのだ。




怒る理由は他にもある。それどころか、不安を(無意識下に)引き起こすものなら、どれも怒りを引き起こすといってもいい。たとえば、いい仕事をしようとして努力し、立派に責任を果たしたいと(不安を感じつつ)願いながら、その仕事にも、周囲の人にも、周囲からの要求にも腹を立てる(怒り)ことがある。




不安は唯一人間だけに生じる現象で、恐怖と強く結びついてはいるものの、恐怖よりはるかに複雑な感情だ。不安は、人間だけに備わった予期する能力によって生まれる。明らかに危険を感じれば当然不安が生まれるが、危険がないのに不安が生じる場合がある。・・・・それほど危険でなくても、まったく危険でなくても、次から次に不安が生まれてくるのだ。これは人類特有の性質といえる。ところが、この不安というもの、生じていても気づかないことが多い。無意識下で生まれ、例の操作によって無意識下に留め置かれるからだ。無意識下で生まれるときも、本人が意識していない感情が原因となっていることが多い。原因となった感情は不快で、きまりが悪く、もっぱら苦痛を伴ううえ、不安まで生み出したというので、心はなんとかしてその感情も不安も意識の外に追い出してしまいたいと思う。「抑圧」はこの欲求を満たすための作用であり、この「抑圧」に手を貸すためにTMSが発症するのである。




自覚していない怒りや憤りの原因として重要なものに、両親や配偶者、子供などの身近な者に対する責任感がある。相手のことを大事に思ってはいても、いろいろな面で重荷になることがあり、その結果、怒りは内在化する。年老いた両親や赤ん坊にどうして怒りをぶつけられよう。




家族を心から心配し愛する気持ちと、家族であるがゆえの義務と責任から生じた内在的な怒りが結びつくと、強い心理的葛藤が生まれ、これがTMSを引き起こす。




無意識下に葛藤が生じるのは、主に、前述した自己愛の衝動から生じる感情や欲求と、現実に即した部分を担当する心との間で激しい戦いが繰り広げられるからだ。後者は、何が正しく、何が理に適い、何が分別のある行動なのか、さらに厳しくは何をすべきなのかなどを担当する心を指す。・・・・精神分析医カレン・ホーナイは、この心の動きを 「『べき思考』による暴政 tyranny of the should」と呼んで書を残したが、確かに、あれをすべき、これをすべきと考えていたら、それに一生を支配されかねない。患者の話を聞いていると、その生活がどれほどこの行動律に縛られているかがよくわかる。




TMSとの取り組みが長くなればなるだけ、怒りのもつ役割の大きさを強く感じるようになってきた。怒りは完璧に抑圧されるため、その存在にまったく気づいていない場合が多い。実は最近、症状を根源的に引き起こしているのは、不安よりむしろ怒りのほうではないか、不安自体、抑圧された怒りから生じたのかもしれないと考えはじめている。




(以下は上の本で引用されているフロイトの伝記から)

厳密な意味での無意識は、厳重警備の刑務所になぞらえることができよう。そこには、社会に馴染めず何年も獄中暮らしをつづける者もいれば、入ってきたばかりの者もいる。ひどい扱いを受けたり、厳重に監視されている者もいる。しかし、どの囚人も現在拘留中というだけで、常に脱獄を企てている。



う~~ん、どれも自分に当てはまる。
ヨネコさんも同じような役目を果たしてきたのかな・・・?

ちなみに著者がTMSと同じ役目を果たす疾患として挙げているものは次のとおり;
胃酸過多、胃十二指腸潰瘍、裂孔ヘルニア、けいれん性大腸、過敏性大腸症候群、花粉症、喘息、
前立腺炎、緊張性頭痛、偏頭痛、湿疹、乾癬、ニキビ、じんましん、めまい、耳鳴り、頻尿。






At Last by Phoebe Snow♪








by homeopa | 2016-05-22 07:59 | わたしの乳ガン

リセット

b0170947_09195322.jpg

7月いっぱいセンターをお休みするというお知らせを見て、
今日相談会を受けてくださったクライアントさんが、
「大丈夫ですか?」とわたしの体調を心配してくださった。

そうか、体調が悪化してとうとう休業に至ったのだと思う人たちもいるのだ、
と初めて気づいた。
なのでちょっと説明しておこうと思う。

ヨネコさんとその子供セツコさんは、
日々変化していて、
とくにセツコさんは日増しに大きくなっているけれど、
痛みはさほどではなく、
体調も以前とほとんど変わっていない。
つまり普通に動ける状態。
相談会はもちろん、畑で作業したり、散歩をしたり、おむつの洗濯や食事作りができる状態。

それでも休業に踏みきったのは、
休むという目的のほかに、
リセットという要素が大きかった。



普通、ガンになった人は、
まず病院で診断を受けて、そのときに非常なショックを受ける。
もし症状が進んでいたり、転移が見つかったりすれば、
余命宣告なんてものも受けるだろう。

その段階で、ひたすら恐怖におののく人もいれば、
それをきっかけに自分の人生を見直し、
どうせすぐに死ぬなら何もかも捨てて旅に出よう!
なんて方向に生き方を転換する人も多い。
ガンが治った人の多くはそんなふうに人生の転換をしている。

もし現代医学の治療を受けたりすれば、
1ヶ月間入院ということもあったりして、
その間に今までの人生を見直したり、
自分と対話したりということをするかもしれない。
そして治療と入院がひとつの区切りになって、
退院後は新たな気持ちで人生に向かうかもしれない。



でもわたしの場合はガン宣告をうけていないので、
最初のショックというのも中途半端なショックだった。
しこりがある・・・ガンかな、ガンもどきかな・・・

だんだんしこりが大きくなってきて、
やっぱりガンだな、と思いはじめたときも、
何月何日にそう確信したのかわからない。

要するに境目がないのだ。
区切りがついていない。

ガンを確信してからも、
それまでと同じ日常がだらだら続いていた。
そのなかでいろいろ気づいたことはあったけれど、
すべてをチャラにするみたいなドラスティックな変化がなかった。

だからリーディングのときに 「リセット」 という言葉を聞いたとき、
それこそわたしに必要なものかもしれないと思った。
今までの人生と新しい人生をはっきり分けるもの。
今までのわたしとこれからのわたしをすっぱり分断するもの。

長いあいだにできあがった心の癖や行動パターンを捨てるのは難しい。
それは条件反射になってしまっているので、
つい同じことを繰りかえしてしまう。

腫瘍が1センチぐらいに成長するのに10~20年かかるという。
わたしがしこりを見つけたとき、それは1~2センチだった。
つまりそれまで20年間の生活や行動パターンや心の抑圧から病気が生まれ、
その病気を解消しようとしてガンが成長したわけだ。

だから生活をがらりと変えてみたいと思った。
自分で変えられないものも、環境で変わることがある。
(休養中はなるべく長いあいだ美麻に滞在するつもり)
14年間わたしの人生で大きな位置をしめてきたホメオパシー相談会をまったくやらないというのも、
きっといい変化のきっかけになるだろう。
わたしはホメオパスに向いていないから、もうやめる、
なんて結論に達したとしても(それは99パーセントないと思うけれど)、
それはそれですごいリセットだ。



というわけで、死にそうな状態なのでとうとう休業を決意した、
ということではありませんので、
どうぞご心配なく。
というより、今後のわたしに期待してください。
たぶんもうちょっと気が抜けて、子どもみたいにアホになっていると思います。
というか、そうなりたいです。





※日本ホメオパシーセンター世田谷喜多見からのお知らせ。

2016年7月1日から7月31日まで、センター業務をすべてお休みさせていただきます。

その間、好転反応などでお困りになった方は、
日本ホメオパシーセンター世田谷梅ヶ丘のまつもりくにこホメオパスに、
応急相談としてご相談ください。

ご不便をおかけして申し訳ありませんが、
業務再開の際には、はずむゴムまりのようになって、
新しい境地でお仕事に取り組ませていただくつもりです。
どうぞ楽しみにしていてください。
よろしくお願いいたします。







Evey Breath You Take by Breathless Choir ♪

ブレスレス・クワイヤ
(動画の解説から)
アメリカ、ニューヨーク州マンハッタン。 ここに、オープンから150年を数え、観光名所としても知られるコンサートホール「ア
­ポロシアター」はある。 これまでにスティービーワンダーやローリンヒルなど、多くの世界的なスーパースターを­輩出してきた伝統あるこのホールで、昨年9月、ある風変わりな合唱団のコンサートが行­われた。 実はその合唱団は結成されてから、まだたったの5日。 しかもメンバーの中にプロの歌手は1人もおらず、全員が一般人だという。
photo  さらに…「片方の肺がつぶれています」「声帯出血を起こしました」「ぜんそくと自己免
­疫疾患です」
その合唱団の名前は…『ブレスレス・クワイア(息を切らせた合唱団)』 そう、実は全員が肺や気管など、呼吸器に障害をかかえていたのだ。
 普段は息をすることさえも苦しい…そんな彼らがなぜ合唱団を結成し、さらに、名門アポ
­ロシアターでコンサートを開くことが出来たのか? そこには、あるカリスマ音楽家と夢を諦めきれなかった人々との、熱い出会いが秘められ­ていた。
photo  今回のコンサートを企画したのは、近年医療機器開発に力を入れている、電機メーカーの
­フィリップス社。 我々はこのプロジェクトを企画した、広報責任者のエヴァさんに話を聞くことができた。
「もともとは去年、私たちが新しい呼吸補助機器を開発した際に、呼吸器に障害を抱える
­人たちと出会ったことがきっかけでした。その時いい製品を開発するだけでなく、彼らに­何か勇気を与えられるようなことができないかと思ったんです。」
 呼吸器障害の人たちに、勇気を与えたい。 そんなエヴァさんたちが目をつけたのが、イギリスで放送されていたあるテレビ番組だっ
­た。
photo  タイトルは「ザ・クワイア」 英国王立音楽院出身の合唱指揮者ギャレス・マローンが貧困地域の人々や戦争へ向かう軍
­人の家族たちを訪ね合唱団を結成。 歌を通し地域や家族の絆を深めて行くという人気ドキュメンタリー番組だ。 見所はなんといっても、カリスマ指揮者ギャレスの指導によって、それまで人前で歌など­歌ったこともない人達がまるで魔法にかかったように、見事な歌声を披露できるようにな­ること。
 彼だったら、呼吸器に問題を抱え、歌うことを諦めてしまった人達にも希望を持たせるこ
­とが出来るのではないか? そう考えたエヴァさんはギャレスに連絡をとった。 すると彼はこのチャレンジを二つ返事で快諾、しかも、4日も練習すれば5日目にはコン­サートが開けるといってのけたのだ。
photo  こうして、天才音楽家を引き入れた彼らのプロジェクトはスタートした。 集められたのは、フィリップスの医療機器を使用している患者など18名の男女。
 クレア・ワインランドさん。CF症という先天性の難病を患い、人生の大半を病院で過ご
­してきた彼女は、歌うことが何より好きだった。 だが…数年前から断続的に肺機能が低下、吸入器が手放せなくなり、大好きだった歌はも­う歌えなくなった。











by homeopa | 2016-05-19 20:55 | わたしの乳ガン

風の強い日

b0170947_21583466.jpg

今日は風が強かった。

ビル風に逆らいながら歩いているとき、
ふと、横のショーウィンドーに移った自分の顔が目に入った。
前髪が後ろに吹きなぶられて、
生え際がやたらに後ろに引っこんだように見えた。

そういえば、過去数ヶ月、朝髪をとかすとやたらにたくさん毛が抜けるような気がした。

そういえば、この前街で撮ったスナップ写真でも、
おでこだけが目立って、なんだか寂しい感じに写っていた。

ハゲに向かってる・・・・?










ちょと安心した。
毛髪は去っていっても、頭は離れはしないって。





※日本ホメオパシーセンター世田谷喜多見からのお知らせ。
 5月1日(日)の朝早くに東京を出て、3日(火)の夜遅くに帰宅します。
 その間、メールや電話が通じません。
 ご不便をおかけしますが、よろしくお願いいたします。
 みなさまもどうぞよいゴールデンウィークを。





※4月15日、参議院で“国民発言禁止法”が可決・成立

※安倍政権が、「核の保有・使用は合憲」に続いて、化学・生物兵器の使用を「憲法9条は禁止していない」と閣議決定

※8000ベクレル/kg以下の汚染土を全国の公共事業で再利用へ!

※マスコミが被災地で繰り返し暴走するのはなぜか
 







by homeopa | 2016-04-29 21:52 | ボケ