pimboke6

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kiosk

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by homeopa | 2012-04-29 07:05 | 風景

bulldozer

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瓦礫の処理に関する画像ふたつ。


考・震災 森の力
「日本の再生は、森林の再生からはじまる」
「人間は自然に寄生する存在としてしか生きられない」




もっと瓦礫が欲しいのに・・・・
「広域がれき処理は、被災県で受け入れる想定はしていません」(環境省)
想定を変えましょう。





Kogan Plays Paganini Caprice 24 ♪
by homeopa | 2012-03-26 22:50 | 風景

swing

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by homeopa | 2012-03-23 21:36 | 風景

死にぎわの後悔トップ5

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このあいだ、死ぬことについて書いたけど
それに関連してもうひとつ。

オーストラリアの Bronnie Ware さんという看護士さんが書いた本
The Top Five Regrets of Dyingによると、
死にぎわの人たちが後悔することはだいたい同じで、
そのトップ5は下のようなことらしい。
Pouchというウェブサイトの記事から引用)


1. 「自分自身に忠実に生きれば良かった」  
2. 「あんなに一生懸命働かなくても良かった」
3. 「もっと自分の気持ちを表す勇気を持てば良かった」
4. 「友人関係を続けていれば良かった」
5. 「自分をもっと幸せにしてあげればよかった」



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イージーゴーイングに見えるオージーでも、
自分を殺して生きる人が多いんだ。
きまじめな日本人は言わずもがな。





sudara bushi by ueki hitoshi ♪


これは前にも載せた↓ でもわかっちゃいるけど、やめられない。
sudara bushi with michael ♪
by homeopa | 2012-03-18 08:55 | 人間

ready to die

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母がいる特別養護老人ホームに行く途中に、
こんな畑が延々と続いている場所がある。
母に会いにいった帰りはいつもバスを途中下車して、
畑の中の道を歩きながら、
いつかわたしもこの半分の広さでいいから畑が欲しい、と思う。
所有しなくてもいいの、お借りするだけで。

年寄りひとり分の野菜がつくれればそれでいい。
冷暖房はつかわなくて済むように今から訓練しているし、
衣服は、リサイクルショップで掘り出し物を見つける術を着々と磨いている。
風呂ではシャンプー・石鹸つかわないし、部屋着なんか何日着ても平気だから、
水もあまりつかわないはず。
米代と、本代と、フィルム代と、現像代と、煮炊きする燃料代と、インターネットの通信費、
あとは家賃代 (できれば田舎で2万円ぐらい。甘いかな?) があれば、
すずめの涙ほどの国民年金と、少しの収入で、
なんとか死ぬまでやっていけるだろう。
よっぽど痛かったり苦しかったりしないかぎり、
病院も行かないし。

わが娘ももう自分で生きていける年まで育ったので (もう結婚だってできる!)、
これからのわたしはなるべく社会のお邪魔にならないように、
限りなく透明に近い茶色になって、
少しだけ社会に恩返しみたいなこともしながら、
いつ死んでもいい毎日を過ごしていきたい (つまり毎日写真をとるってことだけど)。

そしてお迎えが来たと感じたら、あらがわずに素直に死んで、
体を焼いてもらって、
家族でよく遊んだ式根島あたりの海に骨をまいてもらいたい。

なんてことを思っているわたしなので、
この前、下の本を読んで、
とてもとても共感した。(ここからが長い)



この本は、ひととことでいえば、 「みんなで自然死しよう」 という本です。

「病気は、医者や薬で力ずくで治せるものではない、
病気やけがを治すのは、本人の回復力とホメオスターシス (生命を保つ力) である」
と著者は言います。
そして回復力とホメオスターシスがもはや働かなくなったときに寿命がやってくる、と。

これは至極あたりまえのことなんだけど、
なぜか世の中ではあたりまえに思われていない。
それをお医者さん (著者) が言ってくれるのはとってもうれしい。
だって、わたしら少数派のホメオパスがこんなこと言っても、
みんなあんまり聞いてくれないもの。
あたりまえのことなのに。

で、治癒力もホメオスタシスも弱って寿命が来てそのまま死んでいくのが自然死なんですが、
それは具体的には、餓死である、と著者の中村先生は言います。
何も食べられなくなり、食べたくもなくなり、
水も飲めなくなり、飲みたくもなくなり、
呼吸をする意欲も体力もなくなる。
老人がこのようになったら、寿命が来たということです。

「食べられないから死ぬのではない、死に時が来たから食べないのだ」

そして、
飢餓状態になると、脳内にモルヒネ様の物質が分泌される。
脱水状態になると、血液が濃くなって意識がもうろうとする。
酸欠状態になると、やはり脳内にモルヒネ様の物質が分泌される。
酸欠状態で体にたまった一酸化炭素は、麻酔のような働きをする。

つまり生物が飲まず食わずになってから死ぬまでの期間というのは、
(人間の場合、7~10日ぐらいだそうです)
はたで見ていると、かわいそうで、つらそうで、惨めかもしれないけど、
本人は最高級の麻薬でももられたみたいに、穏やかな至福の気分なんですね。

でもここで、その至福をはばむものがあります。
それは、できることはすべてしなければならないと考える、医者の使命感と、
愛する人を見殺しにはできないと考える、家族の罪悪感または愛着心。
そこで、食べたがらない口に無理やり食物を押しこみ、胃に穴をあけ、
血管に注入したりすることになる。

むかしは、できることが限られていたから、
医師や家族の葛藤もさほどではなかったのでしょうが、
今はできることがいっぱいある。
だから困る。
胃ろう、鼻チューブ栄養、点滴、人工呼吸器、人工透析、輸血……
「死に時」が来た人に対してこういうことをするのは、
眠りたがっている赤ちゃんに、あれやこれやとちょっかいを出すようなものだ、
と中村先生は言います。
その感じ、すごくよくわかる。
もう、眠いよー、ほっといてよ-! てね。

中村先生は、ガンで死にたいそうです。
なぜなら高齢者のガンは、老化という自然の流れの究極だから。
つまり治癒力とホメオスタシスが働かなくなってガンに席をゆずったということ。
ということは、もう何をしてもガンは治らない。

ガン死の利点として、中村先生は次の3点をあげています。
・じわじわ弱る。
・まわりの人たちに死んでいく姿を見せられる。
 (これはとても重要なことなのだと、この本を読んでわかった)
・最期まで意識を保ち、意思表示をすることができる。

わたしはここに、あまり苦しまずに死ねる、という一項も加えたいと思います。

中村先生は12年ほど前から特別養護老人ホームの常勤医をつとめてきて、
60~70人のガン患者さんを看取ってきたそうですが、
モルヒネが必要になるほどの痛みに苦しんだ人はひとりもいなかったそうです。
ただしこれは、放射線・抗癌剤・手術などの治療をしなかった場合のこと。
ガンと聞くと、ひどい痛みを想像する人が多いのですが、
高齢者では、治療をしなければ、痛みが生じることはめったにないらしい。

わたしの友人の母上も今年はじめに末期の膵臓ガンで亡くなりましたが、
開業医にときどき往診に来てもらうだけで治療は受けず、
自宅で介護されて安らかに亡くなりました。
痛みに苦しむこともなく。
80代後半でした。
こういうガンを 「天寿ガン」 と呼ぶそうです。

自然死をしたいと思ったら、
前もって準備しておかなければならないことがたくさんある。
とくに人生の折り返し地点を過ぎた人は、
つねに死を前提として、これからどう生きるかを考えなくちゃ、
と中村先生は言います。
「折り返し地点」 というのは、女性ならだいたい閉経後ということらしい。
男性もそのくらいか、それより少し遅いぐらい。

わたしも50歳すぎから、死を見てものごとを選ぶようになりました。
もうすぐ死ぬと思うと、やりたいことと、やりたくないこと、
大事なことと、どうでもいいことがはっきりしてきて、
世界がとてもシンプルになりました。
会話のなかで 「どうせもうすぐ死ぬから」 とわたしが言ったら、
「そういうネガティブなことをいう人はきらい!」
と年下のともだちに一喝されたことがあったけど、
あれはむしろポジティブな発言だったと思います。
どうせ死ぬからもういいの、とあきらめたのではなく、
どうせ死ぬからそれは要らないの、と積極的に選択したというか。

日本人は死を前提にして生きていない、だから死が目の前にちらつくとジタバタするのだ、
ということで、
中村先生は16年前から 「自分の死を考える集い」 というのをやってきたそうです。
その集いが4年目に入ったとき、みんなで記念イベントをやろうということになった。
そして考えだしたのが、「死装束ファッションショーと模擬葬儀の集い」 でした。
会場の都合で死装束ファッションショーは実現できなかったようですが、
当日は200人もの人が参加して、模擬葬儀を行ったそうです。
そして用意された棺桶に、
「あたしも入る!」 「わしにも入らせとくれ!」
と次から次に死体役を買ってでる人たちが出てきて、
それはそれは楽しいお葬式の練習になったとか。
ちなみにこのイベントのキャッチフレーズは、
「あなたもお棺に入って、人生の軌道修正をしてみませんか」

人生の折り返し地点を過ぎたらやるべきことのひとつとして、
中村先生は棺桶を買って、ときどきそこに入ってみることを勧めています。
死んだあかつきには、
「寝返りも打てないほど狭い、畳半畳分ほどの空間に押し込められてしまい、
 そこには、地位、名誉も権力も財産も何一つ持っていけないことが実感できるからです」
そうすると執着心が薄れ、人生観が変わって、整理もしやすくなるというわけ。

実際に、中村先生はお棺を買って家に備えているそうです。
段ボール製で組み立て式の 「エコクラフィン」 消費税込み5万2500円。
普段は折りたたんでおけるので、場所もとらない。
ときどきどころか、本当はこれに毎日入るのがいい、と中村先生は言います。
「今日一日、明日死んでもいい生き方ができたか」 を思い、反省するために。

わたしもこれ、買いたい! 
http://www.eco-jinkenso.org/ecocraffin/ecocraffin.html

ほかにも、自然死をするためにやっておくべきことがたくさん書いてあります。
でもいくら準備をしていても、
かならずしも望みどおりの死に方ができるわけではない。
街中で倒れたりしたら、救急車を呼ばれて、病院で管につながれてしまうかもしれない。
そのときはそれを受け入れるしかない。
そもそも病気も老いも死も思いどおりにならないもの。
それを思いどおりにできると思いこんだことから、
いろいろな苦悩が生じている。
大事なのは、自分の死を考えることで、死ぬまでの生き方を考えられること。

これが中村先生の主張です。
これだけ聞くと、なんだそんなことか、あたりまえじゃん、
と思う人もいるかもしれませんが、
この本にはほかにもあふれるほどの智恵と笑いがあります。

人は正しさに動かされるのではない、温かさに動かされるのだ、
とだれかが言っていましたが、
中村先生の笑いのセンスに、わたしはかなり動かされました。
おすすめの一冊です。
by homeopa | 2012-03-14 08:29 | 風景

sleep and live

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Humbert Humbert - 喪に服すとき














by homeopa | 2012-03-11 07:37 | 風景

yuugatano guardrail

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このところ、写真を撮っていてもワクワクしない。
現像ができあがってきても、あんまりうれしくなる写真がない。
とりたてて人に見せたいものもない、言いたいこともない。
でも心の内は静かに揺れていて、退屈しているわけでもない。

去年の3.11以来、バカはバカなりにずっと揺りうごかされてきて、
さて自分の何が変わったんだ、何を見てきたんだ、これから何を見ていくんだ、
という内向きの時期なのかな。
こういうときは、地味に充実するゴボウのポタージュがいいかも。
そうだ、今夜はゴボウのポタージュをつくろう。



Dry Grass & Shadows- Alela Diane ♪




2012年3月8日 コミュニティ・パワー会議
  地域からエネルギーを変えていくために何をしたらよいのか。
  最初の講演者ソーレン・ハーマンセンさんがデンマークの小さな島で行ってきた試みについて、
  本が出たそうです。 →風の島へようこそ (福音館の科学シリーズ)
by homeopa | 2012-03-10 08:14 | 風景

seeds for spring

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昨冬から始めたケチケチ作戦のおかげで、
この冬はいちだんと寒さと親しくなって、寒さも苦にならなかった。
でもやっぱり、春よ来い。

「なんか、じゅんさあ、意識の中にストーブつけてはいけないってのが刻み込まれているから、
ストーブついてると、くつろげないの」

エリートだな。



Alea Diane - Foreign Tongue ♪






※「霞ヶ関文学」 という言葉のトリックについて 小出弘章氏・神保哲夫氏
    除染はほんとは移染です。
    中間貯蔵施設はほんとは最終貯蔵施設です。


原発をめぐるメディアの問題(1) 神保哲夫氏
    3.11以前になぜメディアが原発の問題を報道してこなかったか、
    そこをまず考えなければならない。


原発をめぐるメディアの問題(2) 神保哲夫氏
    事故も起こっていないときに原発の問題をとりあげると、
    イデオロギーの話だと思われてしまう。
    事故後、事実を伝えようとすると、
    「みんなががんばっているのにそんな否定的な話はするな」 と視聴者から言われる。





      
by homeopa | 2012-03-03 07:49 | 風景

busstop in the morning

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この冬はもう雪はないと思っていたけど、あったね。
なんだか今回はきれいな雪だった。

雪の日はバス通勤なので、バスの中でものが読める。
バスの中でアンダーラインを引くと、ものすごくギザギザになる。
あとで読んだときに、あ、このときバスに乗ってたんだと思って、
その部分が記憶に刻まれたりする。

これもバスの中でアンダーラインを引いた部分。

(以下引用)

----------------------------------------------------------
  どのような相手と結婚しても、「それなりに幸福になれる」という高い適応能力は、生物的に言っても、
社会的に言っても生き延びる上で必須の素質である。それを涵養せねばならない。
  「異性が10人いたらそのうちの3人とは『結婚できそう』と思える」のが成人の条件であり、「10人いたら
5人とはオッケー」というのが「成熟した大人」であり、「10人いたら、7人はいけます」というのが「達人である。
Someday my prince will come というようなお題目を唱えているうちは子どもである。
  つねづね申し上げているように、子どもをほんとうに生き延びさせたいと望むなら、親たちは次の三つの
能力を優先的に涵養させなければならない。
 何でも食える。
 どこでも寝られる
 誰とでも友だちになれる
 最後の「誰とでも友だちになれる」は「誰とでも結婚できる」とほぼ同義と解釈していただいてよい。
 
  (中略)
 
  どこの世界に「何でも食える」人間がいるものか。
  世界は「食えないもの」で充ち満ちているのである。「何でも食える」人間というのは「食えるもの」と「食えな
いもの」を直感で瞬時に判定できる人間のことである。
  「どこでも寝られる」はずがない。
  世界は「危険」で満ち満ちている。「どこでも寝られる」人間とは、「そこでは緊張を緩めても大丈夫な空間」
と「緊張を要する空間」を直感的にみきわめられる人間のことである。
  同じように、「誰とでも友だちになれる」はずがない。
  邪悪な人間、愚鈍な人間、人の生きる意欲を殺ぐ人間たちに私たちは取り囲まれているからである。
「誰とでも友だちになれる」人間とは、そのような「私が生き延びる可能性を減殺しかねない人間」を一瞥した
だけで検知できて、回避できる人間のことである。
  「誰とでも結婚できる」人間もそれと同じである。
  誰とでも結婚できるはずがないではないか。
  「自分が生き延び、その心身の潜在可能性を開花させるチャンスを積み増ししてくれそうな人間」とそうでは
ない人間を直感的にみきわめる力がなくては、「10人中3人」というようなリスキーなことは言えない。
  そして、それはまったく同じ条件を相手からも求められているということを意味している。
「この人は私が生き延び、ポテンシャルを開花することを支援する人か妨害する人か?」を向こうは向こうで
スクリーニングしているのである。

  (中略)

  だから「誰とでも結婚できる」というのは、言葉は浮ついているが、実際にはかなり複雑な人間的資質なの
である。
  それはそれまでの経験に裏づけられた「人を見る眼」を要求し、同時に、どのような条件下でも「私は幸福
になってみせる」というゆるがぬ決断を要求する。
  今の人々がなかなか結婚できないのは、第一に自分の「人を見る眼」を自分自身が信用していないからで
あり、第二に「いまだ知られざる潜在可能性」が自分に蔵されていることを実は信じていないからである。

                                         ----- 「邪悪なものの鎮め方」(バジリコ)


--------------------------------------------------------------------


この理論で行くと、わたしは子ども。




※「原発依存度低下」「再エネ比率向上」は実現できる
by homeopa | 2012-03-01 08:25 | 風景

bento

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先日、娘に弁当をつくったのに、
「今日は弁当いらないよ」と言われて、
仕方ないから公園に行って自分で食べたときの写真。

食べてみてわかったけど、娘は毎日こんなものを食べているんだ。
だれかが、
心をこめるとまではいかないけれど、
自分のことを少しばかり思って、
面倒くさいけど早起きして時間と手間をそこそこかけて、
パパパっとやっつけるみたいにつくってくれたものを。
きっとすごくうれしくてありがたくて涙ぐみながら昼休みを過ごしているんだろうなあ・・・・

そしてついこの前、娘が朝になって急に休むと決めたので、
そのときも自分で弁当を食べた。
そのときにわかったのは、
海苔弁にすると、海苔がふたにべたっとくっついてしまうこと。
娘にきいたら、いつもそうで、
そのぺたっとなった海苔をていねいにご飯に載せなおして食べるのだそうだ。
意外とていねい。
わたしはそのまま海苔だけ先に食べてしまった。

で、まとめると、わかったのは、
(1)娘がいつも昼休みに涙ぐみながら弁当を食べていること。
(2)海苔弁の海苔はふたにくっついてしまい、それを先に食べるとネコまんまになってしまうこと。
(3)娘は意外とていねいで、わたしは意外とがさつなこと。

なんでもやってみないとわからないもんだな。




Ali Farka Toure - Savane ♪





関係ないけど、朝起きてインターネットエクスプローラーを起動したら、
画面が変わってた。
おばさんは、こういう突然の変化にあうと、フリーズしちゃうのよ。
前もってひとこと言ってほしかったわあ。
by homeopa | 2012-02-28 08:42 | 日々の暮らし