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くさいわたし

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ヨネコさんとセツコさんから出てくる汁の匂いがきつくなってきた。
気温が上がったせいではなく、
実際に匂い自体が強くなっているような気がする。

以前はおむつを替えてしばらくのあいだは匂わなかったのに、
今は替えて10分もたたないうちに匂いが鼻についたりする。
文字どおり、わたしの目と鼻の先にあるので、いやでも感じてしまうんだけど、
人はどう感じるのだろうと気になっていた。

そしたら先日、友だちに、やっぱり匂いが気になると言われた。
最初はちょっと落ちこんだけど、すぐに立ちなおった。
これは受け入れなければならない現実。
逃げることもできないし、ないふりをすることもできない。
正直に指摘してくれて、ほんとにありがたかった。

そしてこういう状況になってみて、
つくづく自分はラッキーだと思った。
ひとりで暮らせていることが。
ガガが家を出ていってからこの状況になったことが。

ガガは今はときどき会うだけなので、
匂いが気になったとしてもそんなに悩まされはしないと思うけど、
もし一緒に住んでいたら、
毎日この匂いをかがされてうんざりしただろうと思う。
そしてわたしもそのことが気になって、
家にいても心底くつろげなかっただろう。
気兼ねしたり、気づかったり。

でもおかげさまで、今は家にいるときは、
だれにも気をつかわずに自由にしていられる。
あと、散歩をしているときも。

電車の中とか、カフェとかでは、いつも心のどこかで気にしている。
そうそう、あと、相談会のときも。
相談会は閉めきった部屋のなかでわりと近い距離で向きあうので、
きっと匂いが気になる人もいると思う。
 (お願い:そういうときは、どうぞご遠慮なくおっしゃってくださいね。
  窓を開けるなり、距離を空けるなり、おむつを替えるなり、
  途中で切りあげて後日電話相談で続きを行うなり、いろいろできると思います。
  わたしは傷つきませんから大丈夫)

そう、なぜかこのことで傷ついていない自分に驚いている。
以前のわたしだったら、
くさい自分を受けいれられなかっただろう。
許せなかっただろう。
それを指摘されたことで深く傷ついただろう。

でも今は、眉毛の形や、脚のすね毛や(加齢とともにずいぶん薄くなったけど)、
額の大きなほくろや、目の下の袋や、ペチャパイや、
短い脚とおなじくらい、
このくさい匂いも受けいれられるようになった。
自分をかわいがるって、こういうことなんだと思う。
これもガンになったおかげで得られた新境地。
これは楽だわ~~~。
毎日ムームーを着て過ごしているみたいな気分。

もちろんこの匂いで大勢の人に迷惑をかけているとは思うけど、
その分、今度くさい人に出会ったら、控えめな笑顔で受けいれようと思う。
お互いさまってことで・・・ハグまでするのは無理かもしれないけど。
もし自分がくさくなければ、こんな気持ちにはなりにくいだろう。
欠点があるということは、
そしてそれを自覚することは、
人間を豊かに寛大にしてくれるんだ。

てことは、欠点はあればあるほどいいってことか。
なんだか自信が湧いてきたな。













※日本ホメオパシーセンター世田谷喜多見からのお知らせ。
 6月18日(土)~7月17日(日)、センター業務をお休みさせていただきます。
 以前にお知らせした休業期間より少し早くなりました。
 営業日は水・木・金・土なので、相談会は7月20(水)から再開します。
 メールでのご連絡などは、7月18日(月)から対応できます。

 お休みの間、好転反応などでお困りになった方は、
 日本ホメオパシーセンター世田谷梅ヶ丘のまつもりくにこホメオパスに、
 応急相談としてご相談ください。(3000円)

 ご不便をおかけして申し訳ありませんが、
 業務再開の際には、はずむゴムまりのようになって、
 新しい境地でお仕事に取り組ませていただくつもりです。
 どうぞ楽しみにしていてください。
 よろしくお願いいたします。



今回、この長いお休みに関して、
クライアントの方々のご理解と温かい思いやりに感動することが何度もありました。
すばらしいクライアントさんに恵まれて、
わたしは幸せものです。
ほんとにありがとうございます。

そしていつもわたしを支えて応援してくれる友だちや家族にも、
たくさんのありがとう!









by homeopa | 2016-06-16 09:15 | わたしの乳ガン

how doctors die

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病気は、かならず治療しなければいけないものなのだろうか?






下は英語のサイトの記事を翻訳したものです。
原文はこちら ↓
http://www.zocalopublicsquare.org/2011/11/30/how-doctors-die/ideas/nexus/



「医者の死に方」

何年も前、人々の尊敬を集める整形外科医であり、私の師でもあったチャーリーが、胃にしこりを発見した。チャーリーは外科医に検査を依頼し、膵臓ガンと診断された。その外科医は国内でも指折りの優秀な外科医で、膵臓ガンの5年生存率を5パーセントから15パーセントまで上げることのできる方法 (生活の質は落ちるが)まで発明していた。しかしチャーリーは興味を示さなかった。翌日には家に帰り、診療所を閉め、病院には二度と足を踏み入れなかった。家族と一緒にいてできるだけ気分よく過ごすことに集中し、数カ月後に自宅で亡くなった。抗ガン剤も放射線治療も手術も受けなかった。メディケア(高齢者に対する政府の医療保障)はほとんど使われなかった。

あまり話題には上らないが、医師も死ぬ。しかし他の人々のようには死なない。医師が特異なのは、大多数のアメリカ人にくらべていかに多くの治療を受けるかではなく、いかに受けないかだ。他の人々を死から遠ざけることに多くの時間を費やすにもかかわらず、自分が死に直面したときにはかなり淡々としている。医師は病気の進展を予想できるし、選択肢も知っている。ほとんどの医師がどんな治療でも受けたければ受けることができる。しかし彼らは穏やかな方法を選ぶ。

もちろん医師も死にたくはない。彼らも生きたい。しかし現代医学をよく知っているので、その限界も知っている。死についてもよく知っていて、人々が何をいちばん恐れるかも知っている。それは苦痛のうちに死ぬこと、そしてひとりで死ぬことだ。医師はそういうことをすでに家族と話しあっている。その時が来ても大胆な手段はとらないことや、最後の瞬間に心肺蘇生術で肋骨が折れるようなことにならないように(心肺蘇生術をきちんと行えばそうなる)、確認しておきたいからだ。

医療にたずさわる人ならだれでも「無駄な治療」が行われるのを目にしてきたはずだ。それは死に近づいている重症患者に医師が最先端医療をほどこすときだ。患者の身体は切り開かれ、管を挿入され、機械につながれ、薬で攻撃される。これはすべて集中治療室で一日数万ドルもの費用をかけて行われる。それで得られるのはテロリストにさえ味わわせたくないような悲惨な状態だ。私は仲間の医師から何度となくこんな言葉を聞かされてきた。「もし僕がこんな状態になっているのを見たら殺してくれ」 みな本気だった。なかには心肺蘇生術を避けるために、「NO CODE (特定の患者に緊急蘇生術をする必要がないことを通知する指令)」と書いたメダルを身に着けている人もいる。入れ墨を入れている人さえ見たことがある。

患者を苦しませるような医療を施すのはつらい。医師は自分の感情を表さずに情報を集めるよう教育されている。しかし親しい仲間内ではときどき本音をもらす。「自分の家族にどうしてあんなことができるんだ?」と彼らはきく。おそらく医師のアルコール依存症や鬱病の罹患率が他の職業より高いのは、それも一因しているのではないかと思う。私が10年前から病院の医療に加わるのをやめたのはそのせいだ。

どうしてこんなことになったのだろう? 医師が自分が望まないような治療をこれほどたくさん施すようになるなんて。単純な答えは、いや、さほど単純ではない答えはこうだ--- 患者・医師・システム。

ここで患者がどのような役割を担うかを知るには、だれかが意識を失って救急病棟に運ばれたところを想像するといい。よくあることだが、だれもそんな状況を予測してはいない。ショックを受けておびえている家族は選択肢の迷路に迷いこむことになる。彼らは圧倒されている。そこで医師が「できることをすべてやってほしいですか」ときくと、家族は「はい」と答える。そこから悪夢が始まる。家族が本当に「できることをすべて」やってほしいと思っていることもあるが、実際は「妥当なことをすべて」やってほしいと思っていることも多い。問題は、何が妥当かを彼らが知らないことだ。しかも混乱して悲しんでいるので、医師にそれを質問したり医師の言葉をちゃんと聞きとることができない。一方で、すべてをやってくれと言われた医師は、妥当であってもなくても、それを実行する。

上のような筋書きはよくあることだ。それに輪をかけるのが、医師の能力に対する非現実的な期待だ。多くの人は心肺蘇生術を確実な救護法と考えているが、実際には結果はさほどかんばしくない。私は救急病棟に心肺蘇生機を導入してから何百人という救急患者を診てきた。そのうち歩いて病院から出ていったのはひとりだけだ。彼は心臓に問題のない健康な男性だった(詳しく言うと、彼は緊張性の肺気胸だった)。もし患者が重病をわずらっていたり、老齢だったり、末期的な状態だったりすれば、心肺蘇生術の成果はごくわずかなものになり、患者の苦しみは膨大になる。知識の不足と誤った期待は、多くの間違った決断に通じる。

しかしもちろん、そういう状況を作るのは患者だけではない。医師も一役買う。問題は、無駄な治療を行いたくない医師でさえも、患者とその家族の願いに応じる手段を見つけなければならないことだ。もう一度救急病棟を想像してみよう。そこには悲嘆に暮れ、おそらくヒステリックになっている家族がいる。彼らはその医師を知らない。そのような状況で信頼関係を築くのは難しい。もしそこで医師がこれ以上治療をしないようにと助言でもすれば、家族は医師が下劣な動機から、つまり時間や費用や労力を惜しんで、そんなことを言うのだと思いがちだ。

医師のなかにはコミュニケーションが得意な人もいれば、そうでない人もいる。意志の固い人もいれば、さほどではない人もいる。しかしどの医師もみな似たようなプレッシャーに直面する。私は最期の選択をしなければならないような状況に直面したとき、できるだけ早い段階で、自分が妥当だと思う選択肢のみを提示するという方法をとる(どんな状況でもだが)。患者やその家族が妥当ではない選択肢を持ちだしてきたときには、専門用語は使わず、その難点を明確に説明できるような普通の言葉で話しあう。もし患者やその家族が、私が無意味または有害だと思う治療をそれでもやりたいと言いはるときには、別の医師または病院に治療を任せるだろう。

ときにはもっと強引になるべきだったのだろうか? このように患者を別の医師に任せたケースで、いまだに気になっているものがいくつかある。私がとても好意を抱いていた患者のひとりは、ある有名な政治家一族の弁護士だった。彼女は重度の糖尿病で、血液循環が非常に悪く、あるとき足に痛いただれができた。病院の厄介さを知っていたので、私はあらゆる手を尽くして手術を避けさせようとした。それでも彼女は、私とは無関係の外部の専門家に助けを求めた。私ほど彼女のことをよく知らなかった医師たちは、慢性的に詰まっている両脚の血管にバイパス手術を施すことにした。しかしそれでも血液循環は回復せず、手術の傷はなかなか治らなかった。やがて両足が壊疽を起こし、脚を切断することになった。二週間後、こうしたことすべてが行われた有名な医療センターで、彼女は亡くなった。

このようなケースで医師や患者の間違いを指摘するのは簡単だが、多くの点で、医師も患者も、過剰な治療を奨励する大きなシステムの犠牲者なのだ。不運なケースでは、医師たちがフィー・フォー・サービス(診療ごとに料金を支払う仕組み)を利用してできることをすべて行い、それがどんなに無意味でも構わず、収入を上げようとする。しかしもっとよくあるのは、医師が訴訟を恐れて頼まれたことをすべて行うというケースだ。彼らはトラブルを避けるために、ほとんど意見も言わない。

患者がきちんと準備をしていた場合でさえ、このシステムに飲みこまれることもある。私の患者に78歳のジャックという男性がいた。彼は長患いで、大手術を15回も受けていた。そしてどんな状況であれ、二度と生命維持装置にはつながれたくないと私に説明していた。ところがある土曜日、ジャックは激しい発作を起こし、妻の付き添いもなく、無意識のまま緊急治療室に運ばれた。医師たちはジャックを蘇生させるためにあらゆる手を尽くし、ICUで生命維持装置につないだ。これはジャックにとっては最悪の悪夢だった。私は病院に着いてジャックのケアを引き継ぐなり、彼の妻や病院のスタッフと話し、本人の希望が書かれたノートを見せた。それから生命維持装置を切り、彼の横に付き添った。ジャックは二時間後に亡くなった。

ジャックは自分の希望をすべて書面にしていても、望んだとおりに死ぬことができなかった。システムがそれを妨害した。あとでわかったことだが、私がジャックの生命維持装置を切ったことについて、看護士のひとりが殺人の可能性ありとして当局に報告したそうだ。もちろんそれで何かが起こることはなかった。ジャックは自分の希望を明確に説明していたし、それを証明する書類も残していたからだ。しかしどんな医師も警察に捜査されると思えば怖じ気づく。ジャックの望みに反して彼を生命維持装置につないだままにし、彼の命と苦しみを数週間先まで延ばしたほうが、私にとってははるかに簡単だっただろう。しかもメディケアではさらに50万ドルの費用がかかる。多くの医師が誤った過剰治療を行いたがるのも無理はない。

それでも医師は自分自身に過剰な治療はしない。その結果をつねに目にしているからだ。自分の家ではほぼだれでも穏やかに死ぬことができるし、最近では痛みもずいぶんコントロールできるようになった。ホスピスでは終末期の患者に無益な治療を施すかわりに、快適さと威厳を与えることに集中し、はるかに良好な最期の日々を提供する。驚いたことに、多くの研究から、ホスピスにいる人々のほうが同じ病気で積極的な治療を受けている人々より長生きすることがわかっている。つい最近も、有名記者のトム・ウィッカーが「自宅で家族に囲まれ穏やかに亡くなった」と、ラジオで言っているのを耳にした。ありがたいかな、そのようなケースはますます増えている。

数年前に従兄のトーチがけいれん発作を起こし、肺ガンが脳に転移していることがわかった。私はトーチにさまざまな専門家を紹介した。それでわかったのは、週に3~5回の抗ガン剤治療を含む攻撃的な治療を受ければ4カ月は生きのびられるだろうということだった。最終的に、トーチはどの治療も受けず、ただ脳の腫れを緩和する錠剤を飲むだけにとどめ、私の家に引っ越してきた。

それから8カ月間、私たちはトーチが楽しめることをいろいろやった。何十年ぶりで一緒に楽しく過ごした。トーチにとって初体験のディズニーランドにも行ったし、家でごろごろ過ごしたりもした。トーチはスポーツ好きなので、スポーツを観ながら私のつくった料理を食べるのをとても喜んだ。病院食の代わりに好きな食べ物を食べて少し太りさえした。激しい痛みはなく、つねに上機嫌だった。そしてある日、目を覚まさなかった。それから三日間、昏睡状態のように眠り、そして亡くなった。8カ月間の医療費は一種類の薬代だけで、約20ドルだった。

トーチは医者ではなかったが、自分が量だけでなく質のよい人生を求めていることを知っていた。ほとんどの人間が求めるのはそれではないのか? もし終末期ケアに最先端技術があるとすれば、これだ --- 尊厳死。僕自身は主治医に自分の選択肢を知らせてある。ほとんどの医師がそうであるように、私もそれを選ぶのは簡単だった。果敢なことは何もせず、穏やかに眠りにつく。師のチャーリーのように。従兄のトーチのように。そして仲間の医師たちのように。
                                      ケン・マレー(南カリフォルニア大学、家庭医学部臨床助教授)


(翻訳ここまで)



         ※  ※  ※  ※  ※  ※  ※  ※



上の医師たちの選択は、
現代医学の限界というものを前提にしています。

もちろん、現代医学に限界があるならば、他の方法を使うという選択肢もあります。

また現代医学であれなんであれ 「治療」 というものをしないという選択もあります。

大事なのは、本人が自分で選択できる状況やシステムと、
それを受け入れる寛容で柔軟な社会があることだと思います。






しかし現実には、個人が自分の治療法を選択する自由はあまりありません。
下はそれを痛感させられる映画。
ブルジンスキー博士とアンチネオプラストンについて。


病気にはさまざまなアプローチが可能であり、
現代医学も単にそのひとつであること、
現代医学が他のアプローチに対していかに閉鎖的かということ、
新しいアプローチを開発する人々がいかに迫害されるかということ、
従来の治療法から利権を得ている人たちが、
いかに卑劣な手段を使ってそれにしがみつこうとするかということ、
そんな現実が如実に描かれています。
観ているとけっこうムカつきます。

でも中身の充実したすばらしい映画。




※日本ホメオパシーセンター世田谷喜多見よりお知らせ

 携帯電話から当センターにメールをくださる場合、
 携帯電話の設定が、PCからのメールを拒否する設定になっていると、
 こちらからの返信がはねつけられてしまいます。
 返信がなかなか届かない場合は、携帯電話の設定をご確認ください。
by homeopa | 2015-05-29 22:59 | 病気

病気

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病気を、理由もなく自分に降りかかった災難みたいに考える人もいる。
理由があるから病気になるんだと思うけどね。

一方で、病気になるには何か自分に 「悪いところ」 があるからだろうと考えて、
何が悪いんだろう? 何を改めればいいんだろう?
と理由さがしをしてドツボにはまる人もいる。
(わたしもちょっとこのタイプ)
お酒や煙草もやめて、砂糖を抜いて、小麦粉もやめて、肉食もあきらめて、
無農薬野菜や無添加食品に大金をつぎこんで、
睡眠時間をふやすために好きな趣味もやめて、
嫌いな運動をするためにジムに通って、
がんばって節制して、節制して、
でも何も変わらないとか・・・・

「悪いところ」 っていうより、
そのときの自分にとって不自然な生き方や生活が、
つまり無理をしてるってことが、
理由なんだと思うけど。
そして「悪いところ」 や 「無理」 は、そのときその人によって千差万別だ。
そのときその人によって、自然なことが千差万別なように。



そして病気になったとき、
自分の無理に気づいてそれを手放すことも大事だけど、
もうひとつ、もっと大事なことがあるかもしれないと、昨日の晩、気づいた。

いつの間にか忘れてしまう宇宙の大きさとか、
世界の美しさとか、
動植物や微生物の優しさとか、
人生のおかしさとか、
まわりの人々のいとしさとか、
自分のかわいさとか、
それを思いだすこと。

昨夜、わたしも思いだした。

何度でも何度でも言うけど、
やっぱり病気はチャンスだ。
人間はときどき病気にでもなって苦しまないと大事なことを忘れてしまう愚かな生物だから。







雑踏 by 忌野清志郎&NICE MIDDLE with New Blue Day Horns ♪
by homeopa | 2015-05-17 08:39 | 病気

maggot

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地球上の生態系は、現在の状態をもとにして、生産者 (注:植物)、消費者 (注:動物)、分解者 (微生物や菌)
の間にバランスが保たれて安定しているとされるが、もとからそうだったわけではない。長い生物の進化の跡を
見ると、バランスをとっているように見えた生態系が何度も壊滅的な状態に陥り、過去少なくとも五回、生物の大
絶滅があったことが知られている。地球が体をブルブルッと震わせるだけで生き物は簡単に消し飛んでしまうの
である。私たちがいま目にしている自然も、まばたきしている間に変わる一場面に過ぎない。
                                               ---- キノコの教え (岩波新書)

                              




最近、地球が少しばかりブルッと身震いしてるしね。
そういうものを前にしたら、
人生の悩みだとか、ろくでもない首相だとか、モンサントの悪行だとか、原発だとか戦争だとかが、
桁の小さい事柄にも思えてくる。
山も川も、鳥も魚も、象もクジラも、わたしも安倍も、人間もウジ虫も、
同じ穴のむじなに思えてくる。

でもね、それでも悩むのが人間のどうしょもないところで。
どうしよう・・・・
わたしも、ウジ虫も、同じ穴にいるんだけど・・・・


昨年つくった野草汁、
なかなかよかったので、今年もつくった。
参考書には、草を詰めて水を入れたら、バケツにふたをすると書いてあった。
昨年はそうしたんだけど、
そうすると白いカビのようなものが生えて、
それがうっとおしい。
今年もさっそく白いカビのようなものが出現した。

そこでふと、ぬか漬けは空気が少し入ったほうがおいしいというのを思いだし、
もしかしたら野草汁も空気が入ったほうがいい感じに熟成するのではないかと思った。
それで試しに一日、ふたを2センチほど開けた状態で放置してみた。
翌日、白いものは消え、ウ☆コのような匂いに格別の変化はない。
それでまた教科書どおりにふたをした。

そして今朝、ふたを開けてみたら、
こんなことになっていた。
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ウジ虫、ウジ虫、ウジ虫、ウジ虫・・・・
ふたが開いていた一日のあいだにハエか何かがしっかり卵を産みつけたらしい。

どうしよう。
たとえ同じ穴の中で一緒に絶滅する運命にある仲間であっても、
あんまり見たくないし、こんなに近くにいたくない。

困ったなあ・・・・

昔から 「臭いものにはフタ」 って言うし、
「困ったときのフタ」 とも言うし、
「渡しにフタ」 とも言うし、
「みんなでフタすれば怖くない」 とも言うから、
とりあえずまたふたをして忘れることにしたけど、
このまま放置したらどうなるんだろう?

もろともに絶滅する日まで、
ウジ虫は成長しつづけるのだろうか?
そして巨大になってむくむくとバケツのふたを持ちあげて外に出てきて、
ある朝、腕振り運動なんかしているわたしを、
窓の外からのぞき込んだりするようになるのだろうか?

地球のブルブルッにくらべたら、
そんなことはちっちゃいことだけれど、
でも怖いよお。




また急に話題が変わって、
リニア新幹線のはなし。
http://kiikochan.blog136.fc2.com/blog-entry-4194.html

これも地球のブルッにくらべたらちっちゃいはなしかもしれないけれど、
南アルプスにトンネルを貫通させて、
全線の86パーセントがトンネル内という鉄道。
もしトンネル内で事故が起こったらどうするのかときかれて、
JRの方は、「そのときはお客様同士で助け合っていただきます」 と答えたらしい。
そう答えるしかないよね、南アルプスの下のトンネルなら。
脱出口があってもそこから外に出るまでにいったいどれだけ上らなければならないのか。
たとえ上りきって外に出ても、真冬の高山地帯からどうやって下山するのか。
だいいち、トンネルばっかりの電車なんて面白くないでしょう。
それ以上に、トンネル掘ったおかげで、
あちこちで地下水の流れがとだえて川が干上がっているって。
そんな電車に、だれが乗るか?
巨額の税金つぎこんで。

地球のブルッにくらべたらちっちゃいこととはいえ、
かなり腹が立つわ。



※国会は学級崩壊の教室か

※オスプレイ3600億円は序章…安倍首相「隷属演説」の高い代償

「そもそも、オスプレイは、米国の陸海空の3軍と海兵隊の合同で開発に着手したが、コスト高や安全性の
  問題から「海軍が早々と降りた」(神浦氏=前出)といういわく付きのシロモノ。防衛省は垂直離着陸がで
  き、離島への部隊展開が可能――などと説明しているらしいが、それほど性能が優れたヘリなら、なぜ、
  他国はこれまでに1機も買っていないのか。
   6機購入を計画していたイスラエルだって、昨年10月に計画を中止している。つまり、米国でも世界でも
  “お荷物扱い”の「バカ高いヘリ」を日本は売りつけられたワケだ」

※オスプレイ、ネパール支援で役立たず

※TPPの真のねらいは医療保険の開放である

※【TPP―医療(1)】財界の狙いは医療ビジネス拡大(2011年の記事です)









Where There Is Love | Playing For Change (HD) ♪
by homeopa | 2015-05-09 17:37 | 驚いたこと

黒いなぞの液体 & スペルト小麦

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ガガが夜中に帰宅して、
暑かったので氷水が飲みたくなり、
冷凍庫から製氷皿を取りだしたら、
その中にどす黒いベタベタした液体が凍って入っていたそうだ。

翌朝、「これなに?」 と不快げな顔できかれて、
「なんだろう?」 としか答えられなかった。

ほんとに、なんだろう? 
とたんに頭の中にどす黒い闇が広がったような気がした。

忘れるというのはこういうことなんだ。
いや、ちがう。
忘れるというのは、一度記憶に入ったものがなくなることだ。
でもそのときの気持ちは、
その液体が記憶に刻まれた記憶がまったくない感じだった。
覚えがありません、記憶にございません、なんのことかさっぱりわかりません・・・・

この家で製氷皿に何か入れる人間がいるとすれば、
それはガガかわたしだけだ。

そのガガが 「これはなに?」 ときいているということは、
ガガが入れたのではないということだ。
でもわたしも 「これはなに?」 と思っているのだから、
わたしが入れたのではないかもしれない。

じゃ、だれが入れたの?
悪魔のいたずら?
こんな箸にも棒にもかからないようなばあさんとギャルをからかっても、
面白くもなんともないだろうに。

ガガは、わたしが入れたのだと確信している。
それに対して、
わたしはガガが入れたのだと確信できない。
自分が入れたかのかもしれないという可能性を否定しきれない。
それだけ自分を信用できないのは、
過去にも何度か、いや何度も、
記憶にあるはずのことが記憶になかったことがあったからだ。

ガガは途方に暮れているわたしを見て、
やれやれ、またか、という顔で去っていった。

家でひとりになってから、
黒い液体の入った製氷皿を取りだし、
じっと見つめたが、記憶はよみがえらない。

恐る恐るナイフで凍った液体をけずってなめてみた。
冷たくて味がよくわからない。
でも劇物でないことはわかる。
かすかに何かの味に似ている。
でもあまり強烈な個性はない。
控えめに、わたしの記憶をそっとくすぐる感じで溶けていく。

なめても思いだせない!
なめてもなんだかわからない!
頭だけでなく全身すっぽり黒い闇に包まれたような気持ちになった。

人間はあまりにも恐ろしい事実に直面したとき、
それを見ない振りをするものだ。
わたしも製氷皿を冷凍庫に戻し、
見なかったことにした。

そして自室に入り、
なにごともなかったかのように洗濯物をたたんでいるときに、
ふと片隅にある味噌のかめが目に入った。

黒豆だ!

三月の初めに草の畑のおじさんのところで黒大豆の味噌を仕込んだとき、
おじさんが余分にゆでた黒豆をみなさんに配ってくれた。
それを家で味付けして、
全部食べきったときに、
残った汁をどうしようかと考えて、
そんな甘い汁を一度に飲むのはよろしくないと考え、
凍らせておいて少しずつ利用しようと製氷皿に入れたのだった。

思いだして少しほっとしたものの、
あの黒い闇に包まれた感覚は今も残っている。

認知症の母は毎日何度もこんな闇に包まれるのだろうか?
だとしたら、毎日恐ろしくてたまらないだろう。
でもそんなに怯えているようには見えないから、
認知症のベテランとなった今は、
毎日何度も白い雲に包まれるような感覚なのかもしれない。

わたしなんかまだまだ駆け出しだな。




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最近、まるで認知症のばあさんの話のように、
前の話題とぜんぜん関係のない話題をいきなり同じ記事の中に載せることがよくあるけれど、
今回もそのケース。

今日、クライアントさんに教えてもらったスペルト小麦について。

以前の記事に書いたように、
いま世界中に流通している小麦は身体に悪いらしい。
でも昔ながらの小麦を手に入れることができるそうだ。
その古代小麦がスペルト小麦。

わたしもあの記事を書いて以来、
ほとんど小麦製品を食べていなかったけれど、
ときどきパンが食べたくなる。
この古代小麦を買って、たまにはパンを焼こうかな♪















by homeopa | 2015-05-07 18:19 | ボケ

膵臓のぼやき

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花泥棒、クセになっちゃった。
カメラで盗んで、最近ははさみでも盗む。






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関係ないけど、膵臓のぼやき 聴いてあげてください。









※簡単ひと手間でグンと長持ち!

※旧暦と尺貫法が世界を救う

※預金口座にもマイナンバー 18年から任意で 閣議決定

※政府が「マイナンバーの預金口座への適用」を決定、国が個人資産を把握へ

※安倍教育改革が狙う「戦争するための人材、大企業のための人材作り」
  
  「「動植物の命は大切にするよう書いてあるが、人の命には言及がない」「『心のノート』にはあった
  『平和』に関するタイトルがなくなっている」

  「労働を「権利」ではなく「義務」とする記載や、「目標に向かって頑張り続ける秘訣」などといった記述も
  『私たちの道徳』にはあり、中学生版になると、「郷土を愛す」「国を愛す」「国家の発展につくす」などと
  いった「愛国心教育」も満載だと指摘。「国家のための教育だ」

  「文部科学省の「実践的な職業教育を行う新たな高等教育機関の制度化に関する有識者会議」では、
  例えば法学部は「憲法、刑法」ではなく、「道路交通法、大型第二種免許・大型特殊第二種免許の取得」
  などに力を入れ、工学部は「機械力学、流体力学」ではなく、「TOYOTAで使われている最新鋭の工作
  機械の使い方」を学ぶべきだといった提案がなされている」
by homeopa | 2015-05-06 08:45 | 身体のこと

death

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「死」

死はそれほどにも出発である
死はすべての主題の始まりである
生は私には逆向きにしか始まらない
死を 〈背後〉 にするとき
生ははじめて私にはじまる
死を背後にすることによって
私は永遠に生きる
私が生をさかのぼることによって
死ははじめて
生き生きと死になるのだ

            ---- 石原吉郎







Arthur Grumiaux - Bach Sonata No.2 in A minor, BWV 1003 (IV. Allegro) ♪








※【ヘリ空撮】5月3日 憲法集会~戦争・原発・貧困・差別を許さない
 横浜のみなとみらいに、こんなにたくさん集まったんだ。
 

※ホメオパシー入門講座のお知らせ 2015年5月10日(日)14:00~16:00
by homeopa | 2015-05-05 09:46 | 人間

いい仕事

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(以下引用)

心が満たされるのは、どういう時だろう?
それは、自分の存在が認められる時だと思う。
このこと以上に人の心を満たすものはないんじゃないか。



「いない」 のに 「いる」 ふりをした仕事・・・・



・・・・この社会で生きることは、24時間・365日、
なんらかの形で人の仕事に触れつづけることだと思う。
それら一つひとつを通じてわたしたちは日々、
無数の存在感ないし不在感と接している。
「いる」 とか 「いない」 とか。




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プレゼント (present) という言葉の語源は、ラテン語の esse (= to be) にある。
つまりプレゼントとは 「生きて・いる」 ことであって、
存在 (present) そのものが贈与であるということ。
なにをくれるとか、してくれたということ以前に、
双方が互いに 「いる」 状態を更新すること。
より 「いる」 ようになることが、贈り物の本質的な役割なのだと思う。

先の手紙でカスティリオーニが 「ある交換」 という言葉で捉えようとしていたのも、
この感覚なんじゃないか。
「わたしがいて、あなたがいる」 ということ。
会ったこともないどこかの誰かと、存在の交わし合いを望むこと。
わたしが 「いる」 ことによって相手がより 「いる」 ようになる。
それはエネルギーの環流を生みだす。




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掃き集められた庭の落ち葉、手描きの年賀状、
寝付かない子どものために枕元で母親が語るつくり話など、
テレビにも雑誌にも紹介されない静かでひかえめな 「いい」 仕事は無数にあって、
世界の隅々はむしろそれらで満たされている。



・・・高度な技工や良い素材が 「いい仕事」 の必要条件なのかというと、そうは思えない。
ある建築家の本に、「世界中の心地よい空間の大半は、デザイナーや建築家によるものではない」
という言葉が書かれていたが、まったくそのとおりだと思う。





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人間は基本的に、「いい仕事」 をしたい生き物だと思う。
給料や条件とかステイタスの話ではなく、
他の人々に対して 「いい影響を持ちたい」 という欲求があると思う。
「いい影響」 とは、その仕事に接した人間が 「よりハッキリ存在するようになる」 ことを指すんじゃないか。
「より生きている感じになる」 と言い換えてもいい。



そしてクリエイティブという言葉が指し示しているのも、
実は創作物より、この生まれ直すような人間の創造性の方なんじゃないか。

人間は生命と呼ばれる現象の一形態で、
生命力とは 「より生きる」 ことを求めて発現する力を指す。

(注:いい仕事に接したときに) 思わず背筋が伸びて、少し呼吸が深くなるあの感じは、
その仕事を成している 〈存在〉 を目撃した自分の 〈存在〉 が、
より生きることに向かって身を整えた、小さな反応なのだと思う。

                        ---- 西村桂哲 『自分をいかして生きる』










※ホメオパシー入門講座のお知らせ 2015年5月10日(日)14:00~16:00
by homeopa | 2015-05-05 09:29 | 人間

賢さと正しさ

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賢さや間違いのなさを求める観念には、
人を 「今この瞬間」 から引きはがす作用がある。
いつもなにか他に、どこか余所に、
正しい答えが、もっといいものがあるんじゃないかと気を散らす。
                 ---- 西村桂哲 『自分をいかして生きる』







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by homeopa | 2015-05-05 09:07 | 格言

お茶とマザーチンキ

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忙しい、忙しい、春は忙しい。

あっちを歩けばスギナ、
こっちを歩けばヨモギ、
ちょっと道を変えるとタンポポ、
久しぶりに行った公園で柿の葉。
冬のあいだは川原で地味に過ごしていたクワが若葉を吹きだしているし、
ついこのあいだまでちっちゃかったと思ったビワの木が大きな葉を広げている。
イチョウの木の下のほうには明るい黄緑色のやわらかい赤ちゃん葉が出ているし、
レッドクローバーは葉っぱが青々してもうすぐ花が咲きみだれるだろう。
そのうちドクダミの花も咲くし。

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毎日、袋にいっぱい摘んできては、
刻んでホワイトリカーに漬けたり、
お日さまにあてて乾燥させたり。

昨年、季節が終わるころに摘んだスギナのお茶はおいしくなかった。
やっぱりムクムクと地面から頭をもたげはじめたばかりの若い葉がいいみたい。
(悔しいけど、若さには勝てない)
だから今のうちに摘まないと。

このところ毎朝飲んでいるお茶は、
つくりたてのスギナとヨモギ。
スギナの生臭さがヨモギの刺激と苦みで消されてほどよい感じ。
この味にすんなりなじむのは、きっと身体が必要としているからだろう。
今日はクマザサの葉をとってきたので、
明日からそれも加えようと思う。

効能について知りたい人は、
『ハーブ・マザーチンクチャー』 とか、
『心と体にやさしい薬草入門』 とか、
参考にしてね。

もちろんネットにも参考になる記事がいろいろ。

◆ヨモギ (アートメジア) について。
http://www.yakusourabo.info/yomoginokounou/

 鉄分が豊富で、血液を浄化し、貧血を改善し、免疫を高める。
 他にビタミンA,B1,B2,C,カルシウム、クロロフィルを多く含む。
 抗菌作用、解毒作用、抗ガン作用がある。
 体を温め、ホルモンバランスの乱れによる女性の問題によく作用する。
 便秘、下痢、胃腸の問題にも。


◆スギナ (エクィシータム) について。
http://blogs.yahoo.co.jp/costarica0012/26160599.html
 ここでは「陰干しで」と書いてあるけれど、
 わたしは日干ししている。
 すぐに乾いて緑があせることもない。

 とにかくケイ素が豊富。
 ケイ素は骨・歯・爪・髪・皮膚を強くしなやかにする。
 心臓や血管の組織も。
 他のミネラルやビタミンも豊富。
 泌尿器系によく作用し、おねしょ、排尿障害、尿路結石などによい。
 ガンや腫瘍の治療に役立つことが報告されている。


◆クマザサについて
http://blog.goo.ne.jp/shiroikumo_2004/e/fe1655ce30666a84f6c94495bbf6d29c

 酸性の血液を弱アルカリ性にする。
 高血圧、高血糖、高脂血症を改善 (メタボのハーブね)。
 解毒作用、血液浄化作用、利尿作用がある。
 免疫を高め、ガン細胞の増殖を抑制する。
 クロロフィル、ビタミンC,B1,B2,カルシウムを多く含む。





こんなすぐれものの植物たちがいつも見まもってくれていることに感謝。

ただ、お茶もマザーチンキもどちらかといえば物質レベルで作用するので、
たとえこれで身体の症状が消えても、
病気 (生命エネルギーの滞り) を治すことはできない。
滞った生命エネルギーを流すには、
ほかにもいろいろやらないと。
たとえば、
物質レベルではなくエネルギーレベルで作用するホメオパシーのレメディーを使う、
瞑想や呼吸法をする、心のわだかまりやクセをほどく、生き方や行動を変える・・・・

症状が消えても相談会を続けてくださいね、と、ホメオパスがクライアントさんに言うのは、
これが大きな理由のひとつでもある。










※ホメオパシー入門講座のお知らせ 2015年5月10日(日)14:00~16:00
by homeopa | 2015-05-02 21:55 | 植物