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自給自足

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FBで流れてきた中川吉右衛門さんの投稿を下にコピペします。



中川 吉右衛門

【 じゃあ肥料はなんですか? 】

全国のフレンドの皆様、超こんにちは!
愛とパワーを与える百姓若旦那、中川吉右衛門です。

では、肥料はなんなんですか?
何で育っているんですか?

僕のやっている自然栽培や、無施肥栽培に取り組んでいる方は、同じような質問を100万回ぐらい聞かれたことでしょう。


確かに、僕がいつも言っている、

「我々の栽培はマイノリティー」

であったり、

「イノベーター」

であったりするので、超少数派で、珍しいわけですから、聞かれて当然です。


でも、あまりにも聞かれるので、それを聞く「本質」を教えます。

まずは、脳みそが「擦られている」のは間違い無いですね。

先人の誰かがこう言っていた。

親がこう言っていた。

その親もこう言っていた。

外国の偉い学者もこう言っていた。

肥料が無いと大変なことになる。

イコール、農業に肥料は必須なものだ。


ここまでは誰でもわかると思います。

その呪縛のような「擦られていた思考」をガラッと変えた人は、僕の周りにはたくさんいますから。


でもそれは、本質では無い。


なぜ?「肥料をやらなければいけない」と思ったのか。

その本質は、

「後ろめたさ」

です。


そもそも考えてみていただきたい。

植物は人間に

「肥料与えてください」

というような「依存」は1ミリもしていないんです。

でも、人間は植物が無いと生きていけない。

ここから発生するんですよ。
後ろめたさが。

人間は植物に「依存」している部分があるくせに、植物の方は人間に一切依存していない。

この関係性に後ろめたさを感じ、お返しに、とか、感謝の気持ちでとか、お礼返しに施肥をしてきたんです。

でも、この気持ちはわからなくもありませんよね。

なんとか、対等で居たいですし、お返しをする本能があるので。

でも、それこそ植物にとって、余計なお世話ですよね。

生き物としては、人間の遥かに大先輩なんです。植物は。

なので、「肥料を与えなければいけない。」

の本質は、人間の経済的なエゴではなく、生き物としてのエゴイズムが始まりで、それが本質です。


その後ろめたさで、施肥をする気持ちはわかるんですが、

自分らの暮らしの余り物をやろうかとか、糞尿までかけようなんて、言語道断。
大先輩に何するんだ!ってお話です。僕からすれば。

これを踏まえ、先日わかりやすい場面があったので、画像を撮りました。


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畑の一番の肥料はこれです。

僕の指の先。

湿っている土の色が見えますでしょうか。

ちょっと深緑色になっていますよね。

きっと、皆様もどこかで見たことがあるはずです。

これの正体は、アルカリ性の溶液で、窒素とカルシウムを複合しているものが土中に染み込んでできたものです。

これは、土中の微生物、バクテリア、空気中のバクテリア、なども関係しますが、一番は、植物がつくっているのです。

これは天然農法の栽培技術の一部で、その見方考え方の一つです。

なので、詳しく書くとめっちゃ長くなるので、これは農FUTURE!メルマガにでも書こうと思います。

これを昔の百姓たちはなんと言っていたか?

「肥花(コエバナ)が咲く」

と言ったんです。

この色が深緑ですから、

「緑の肥花」

と言っていました。

これは、植物が作ります。

植物が葉っぱで作る。

そこにレインシャワー(雨)が降るんです。

葉面で作られた、この栄養素が、雨や露によって、根元に滴り落ちます。

その滴り落ちた溶液。
それを吸収し、他の栄養素も再吸収し、植物は生長していくのです。

だから、一雨ごとにみるみる大きくなるんですよ。

植物というのは、完全に自給自足で生きて行く生き様なのです。


こんなこと、誰が、どこで教えてくれますか?

だから、み〜〜んな、慣行栽培の農家も自然栽培の農家も、「土」ば〜〜〜っかり見ているわけです。

さぁ、土づくりだ。
土の中の微生物だ。
バクテリアだ。
〇〇菌がどうたらこうたら。

それはそれで自然の一部分でしかないわけです。

栽培は、植物の自給自足を基礎にして、その実態を知って作物を育てるという思考がないと、

「肥料」の代わり「農薬」の代わりを探しているだけになりますね。

そうなれば、思考は変わらず、代替え農法でなんとかしようとするわけですので、当然、うまくいくわけがありません。

りんごの木村さんが10年間も収穫できなかったのも、ここの思考が変わってなかったからなわけです。

ということは、早く知った方がいいじゃないですか。

その方が、愉しいでしょ♪

知りたい!

と思う方はメールマガジンを読んでください。


▼農Fメールマガジン▼
https://1lejend.com/stepmail/kd.php?no=ylTbbGrog


(コピペおわり。太字はわたしの考えるポイント)








「後ろめたさ」の部分はぴんと来なかったけど、

「緑の肥え花」のはなしには感心した。知らなかった。


これを読んで代替医療のことを考えた。

ガンになってから、その対策としていろいろな本を読んだりネットで調べたりしてきたけれど、

自然療法と呼ばれるものも含めて代替医療の多くが、

現代医学と同じ発想で、ただ違う道具を使っているのだということを痛感した。


ガンは悪いものだという発想。

だからガン細胞を殺さなければいけない、という発想。

何かを加えてあげなければ身体は症状に対処することができないという発想。

そこの部分は変えず、化学薬品や放射線の代わり、手術の代わりを提供する。


そもそも病気(気の滞り)に対処しようとして症状(ガン)が出てきたのだから、

身体はちゃんと自分で自分を調整しているのだ。

もちろん、その症状が激しくて、

死の危険があるとか、絶えられない痛みがあるとか、

免疫力や体力があまりに落ちていて自分の力ではもうどうにもできないというときは、

何か加えてあげなければならないだろう。


でもわたしみたいに、すぐには死にそうになくて、

痛みも絶えられないほどではなくて、

39度台の熱が出せるくらいの力があるならば、

身体の自給自足の能力はまだそれなりに健在と考えていいのではないだろうか?


身体にはもともと、あらゆる困難に対処する能力がそなわっている。

空気や水や食べ物から必要なものを取りいれて、

それを利用して自分を生かしていく。

その駆動力となるのが、「気」かな。





      ※  ※  ※  ※  ※  ※  ※  ※  ※  ※





先日、だいぶ腰の調子がよかったので、

ぎっくり腰と発熱ですっかり放置状態になった畑を見にいった。

まるでお花畑みたいに、ルッコラの白い花が咲き乱れていた。

ルッコラの向こうはサニーレタス。

いい色になって、ぎっしり葉っぱが育っている。


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これは右側の畝。
手前はこの畑を始めて一番最初に種をまいた小松菜。
ちょこっと芽を出して、葉っぱが出てきたころに虫に食い放題食われて、
もうこれ以上育たないだろうと思っていたら、
こんなに伸びて、菜花まで咲きそうになっていた。
同じ畝のいちばん向こうに群生しているのは2回目に種をまいた小松菜。
この前見たときは15センチくらいに育っていたけど、
これもまたほとんどの葉っぱが虫に食われて穴だらけ。
もうこれ以上は伸びないだろうと思っていたら、
こんなに立派に伸びていた。
その手前にあるのが、いちばん最近種を蒔いた小松菜。
なぜか虫にも食われずすくすく育っている。
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左側の畝。
二十日大根がむくむく育っていた。
その向こうは自生のじゃがいもも。
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これがそのじゃがいも。
あ、土寄せしてくるのを忘れた。
まだいいのかな?

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二十日大根を収穫。
かなり大きい。
いちばん大きいのは長さ6センチぐらい。

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前回、買っていって植えたなす。
もうちっちゃい実をつけはじめている。
もう少し幹が頑丈に育つまで待ってくれればいいのに。
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これは別の区画のおじさんがくれたトマト。
枯れずに、それなりにゆっくり育っている。

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これも前回、買っていって植えたきゅうり。
これもちっちゃい実をつけはじめている。
となりは、やはり前回、買っていって植えたトマトのアイコちゃん。
二株のきゅうりがひたすらアイコちゃんのほうにつるをはわせて、からみついている。
愛子ちゃんはまだ小さいので、つるをほどいてきた。
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これがびっしり茂ったサニーレタス。
でも虫はサニーレタスをあまり食べないと聞いて、
ちょっと複雑な気分になった。
虫も食わない葉っぱ・・・・
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これは、いちばん最初に小松菜と同時に種をまいた小カブ。
遅々として育たず、3センチくらい出ていた葉も虫にくわれていたので、
もう完全にあきらめていた。
でも直径2.5センチぐらいの根をちゃんと太らせていた。
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これが上に書いた2回目に植えた小松菜。
なかなかおいしそうだ。
今見るとそんなに虫に食われていない。
たぶんある程度虫に食われてから、
内側の葉がどんどん生長して、
そのころには虫にも負けないくらい強くなったのだろう。
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というわけで、放っておいても、というより、放っておくと

植物はこんなに伸びるのだというのを発見した。

確かに自給自足なのかもしれない。


ちなみにわたしがこの畑に入れたものは、

籾殻燻炭と、野草汁と、えひめAIだけ。


なすときゅうりとトマトの根元には、

前回、お茶がらと米ぬかをぱらぱらとまいてきた。

肥料といえばいえるかな。


ふつうトマトやなすには支柱を立て、

胡瓜にも支柱を立ててつるをからませるための網などを張るらしいけど、

あえて何もしないでみようと思う。

トマトは放っておけば地をはいだすし、

きゅうりはすでに地をはっているし、

なすはたぶん支柱が必要なほど大きくて重い実はつけないのではないかと思うので。


そもそもこの畑は収穫のためではなく、わたしの学習のための畑なので、

実験、実験!

何事も放置したらどうなるかを知るのはとても大事なことだと思う。

自然が何をするかがよくわかるから。







※友だちのあまねの山女さんのブログで知った、中央園芸さんのブログの記事。 

 「ヤブガラシの駆逐法」(というより、お役目が済んだのでお引き取りいただく方法)

 

 これがめっちゃ面白くて感動した!












by homeopa | 2016-05-30 20:12 | 自然のちから

オバマさんの冗談

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もうすぐ任期が終わる米国のオバマ大統領の自虐ビデオ。
「大統領でなくなったら何をすれば・・・・」
http://www.bbc.com/japanese/video-36185534?SThisFB
かなり笑える。
なかなか役者だな。引退後は映画とかに出演すればいい。


もうひとつ、最後のホワイトハウス記者会夕食会でのオバマ大統領のスピーチ。
http://www.bbc.com/japanese/video-36184841
これには、もっと笑った。


オバマ大統領には最初から好感を抱いていた。
わたしは革新好きだし、面食いだから。
実際に大統領としてどんな仕事をしたのか、正直よく知らないけれど、
この動画を見て、人間としてはやっぱり魅力のある人だと思った。
それに引き替え安倍晋三はハエみたいなもんだな。
ハエとしてもまるで魅力を感じない。
すり足の仕草さえ、うそっぽく見える・・・ハエのふりして、とか。
ただうっとおしくて迷惑なだけだ。

でも安倍晋三にかぎらず、
日本の政治家でオバマさんみたいなユーモアのセンスのある人はいるだろうか?
これまでいただろうか?



なんて考えていたら、
ちょうど読んでいた河合隼雄著 『生と死の対話』 という本に、
日本人と欧米人のジョークに対する思いの違いが書いてあって、
なるほど、そういう見方もあるかと思った。

その部分を引用しようと思って書きだしはじめたけど、
やたらに長いので要約することにした。

・何かを笑うためには、笑われるものと、笑う人とが分離し、
 笑う人が笑われるものを「対象化」しなければならない。
 そしてこの対象と適切な距離を置く必要がある。

・何かに真剣になっていたり夢中になっていたり緊張しているときは、
 自分自身がその状況にはまりこんで一体化しているので、
 その状況や自分自身を「対象化」するようなゆとりはない。
 だから笑えない。

・スピーチに際して、日本人は弁解からはじまり、欧米人はジョークによってはじまる、とよく言われる。

・日本人の場合は人が集まると、そこに暗黙のうちに一体感が生まれる。
 それは一種の絶対的平等感に根ざしている。
 そのため演壇に立つ人は、自分が特別でないということを示して、
 一体となっている聴衆に溶け込む努力をしなければいけない。
 そこで「私などはこのような場でお話しさせていただくべき人間ではありませんが・・・」
 などという出だしになる。

・欧米人の場合はたとえ集団になっても、個々人が他と区別されるものであることを、
 はっきりと意識しているので、簡単に一体感は生まれない。
 そこで講演者はジョークで聴衆と笑いを共有して、ある程度の一体感を生み出そうとする。
 さらに、自分が話の主題に対して、笑いを誘いだせるだけの距離をもっていることを示して、
 聴衆を安心させようとする。

・このように日本的一体感は、対人距離をかなり狭めるので、「対象化」を好まず、
 そこには笑いの入りこむ余地がない。
 だから日本人にはジョークを言う人を「フマジメ」と決めつけたりする傾向がある。


この説が正しいかどうかは置いておいて、
この一節を読みながらふと思った。
そういえば安倍晋三はよくジョーク(とおぼしきもの)を飛ばしてひとりでほくそ笑んでいるな、と。

彼にそれだけの余裕や距離感があるのは、
国民との一体感などみじんもないからだろう。
大学を卒業しても低賃金で非正規社員や派遣社員として働くしかない若者たちや、
働きたくても子どもを保育園に預けられず働けない貧乏所帯のお母さんや、
遠い異国で銃弾の脅威にさらされることになる自衛隊員や、
今も毎日、恐怖におびえ、生活の不便に苦しみながら過ごしている熊本地震の被災者や、
5年間も怒りと悲しみと不安とジレンマに苦しみ続けてきた福島原発事故の被災者や、
何十年も自分たちの島を蹂躙されてきた沖縄県民などに対して、
ひじょーーーに大きな距離を感じているだろう。
自分とは別世界の人々、
いやもしかしたら、別の種の生きものだと思っているかもしれない。
それだけ距離があれば、余裕こいてジョークのひとつも飛ばせるのは当然だろう。

でも安倍晋三のジョークは全然面白くない。
なぜなら現実を見ていないからだ。
見当違いだからだ。

面白いジョークを飛ばすには、まず現実を鋭く把握した上で、
ほんの少し視点をはずしてそれを茶化す必要がある。
大政治家の御曹司として雲の上で育てられた晋三くんには、
一般社会の現実なんてないも同然なのだ。

なぜそんな人が総理大臣になってしまったのだろう?
もしかしたら日本人は、意外とでっかいブラックジョークが好きなのかもしれない・・・・


FBで流れてきたオバマさんの動画が面白くて、
ただそれをアップしようと思っただけなのに、
なぜか安倍晋三をこきおろす記事になってしまった。
それはそれで気持ちよかったけど。









by homeopa | 2016-05-29 21:10 | おもしろいこと

自分への怒り

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この記事は、砂山の夢を見るだいぶ前から書きはじめたもの。
こんなことをつらつら思いつづけていたから、
あんな夢が浮上してきたのかもしれない。
あの夢も加味して、少し書き加えてみた。
わたしの深いところの思いをわりとすくい取れているのではないかと思う。


  ※  ※  ※  ※


リーディングで指摘された自分への怒りについて考えてみた。
どうも本来の自分(A)が、それを抑えつけようとする自分(B)に怒っていたようだ。
(A)はどんなことを叫んでいたのかと耳を澄ませてみた。

  ・どうして泣き虫じゃいけないの?
  ・どうして人見知りじゃいけないの?
  ・どうして社交的にならなければいけないの?
  ・どうして不安になったらいけないの?
  ・どうして人に頼ったらいけないの?
  ・どうして寂しがったらいけないの?
  ・どうしておどおどしちゃいけないの?
  ・どうしてスラスラ話せなければいけないの? ゆっくり時間をかけて話したっていいでしょう?
  ・どうして欲しいものを求めたらいけないの?
  ・どうして人に好かれなければならないの?
  ・どうして人に好かれたいと思っちゃいけないの?
  ・どうして人の期待(予想)を裏切っちゃいけないの?
  ・どうして人と仲良くしなければならないの?
  ・どうして親孝行でなければいけないの?
  ・どうして社会のしきたりに従わなければならないの? 
  ・どうして親切でなければならないの?
  ・どうして怠けちゃいけないの?
  ・どうして部屋がほこりだらけじゃいけないの?
  ・どうしてあわてちゃいけないの?
  ・どうしていつも冷静でなければいけないの?
  ・どうして怒っちゃいけないの?
  ・どうして人を憎んじゃいけないの?
  ・どうして悪口を言っちゃいけないの?
  ・どうして人に迷惑をかけちゃいけないの?
  ・どうして人に迷惑をかけちゃいけないと思ってはいけないの?
  ・どうして助けを求めるのが苦手ではいけないの?
  ・どうして時間を無駄にしちゃいけないの?
  ・どうしていつも最善を尽くさなければいけないの?
  ・どうして人の助言を素直に受け入れなければいけないの?
  ・どうしてお金をケチっちゃいけないの?
  ・どうして無駄遣いしちゃいけないの?
  ・どうしてスマートにそつなくふるまわなければいけないの?
  ・どうして失敗しちゃいけないの?
  ・どうしてひとりになりたがっちゃいけないの?
  ・どうして一緒にいる人のペースに合わせなければいけないの?
  ・どうして人より優れていなければいけないの?
  ・どうして目立たなければいけないの?
  ・どうして目立ちたがっちゃいけないの?
  ・どうしていつもそうやってわたしを監視しているの?
  ・いつもあんたの味方だよって、どうして言ってくれないの?
  ・どうしてこのままのわたしを認めてくれないの?
  ・どうしてこのままのわたしを愛してくれないの?
  
  

一方で、(B)も(A)に腹を立てていたようだ。

  ・どうしてそんなにおどおどしているの? 堂々としなさい、堂々と!
  ・そんなことでいちいち傷つかないの! それじゃ人生、生きていけないわよ。
  ・どうして最後に手を抜くの? もっとがんばれたはずでしょ。
  ・どうしてみんながするようにできないの? どこかおかしいんじゃない?
  ・どうして人前で緊張するの? みんな普通にリラックスしてるでしょ。どこかおかしいんじゃない?
  ・もっと人づきあいに積極的にならないと! そんなことじゃ世の中に置いていかれるわよ。
  ・イヤだと思っても顔に出しちゃだめ! 怖いと思っても顔に出しちゃだめ!
  ・人を恨んだり憎んだりするなんてみっともない! 影で悪口言うなんて最低! 
  ・どうしてもっと人に優しくなれないの? いつも自分のことばっかり考えて!
  ・しっかりしなさい! そんなにヘナヘナしていたら子どもなんか育てられないわよ。
  ・子どもに全力で愛情を注いでいる? いないわよね! 手間をかけるのを面倒がったり、
   子どもと離れてひとりになりたがったり。それで母親と言えるの?
  ・努力すればもっとできるはずよ。人並みで満足してたらそれだけの人生よ!
  ・最善を尽くせば絶対に失敗はしないわ。失敗するのは、手を抜くからよ!
  ・その他大勢に埋もれている人生で満足? わたしは満足じゃないわ!
  ・絵なんか描いてなんになるの? 写真なんか撮ってなんになるの? 時間の無駄よ。
  ・また絵空事を夢想してるのね。絵空事は絵空事よ! 豚の餌にもなりゃしない!
  ・どうしてわたしの言うことを聞かないいの? だから社会になじめないんでしょ。頑なだから。
   そういうあなたは大嫌い!
  

  
  
ここまで来てもうひとり、自分(C)が出てきた。
(C)は(A)の応援者で、(A)がのびのび振る舞えないのをもどかしがっている。

  ・どうして踊りたいなら踊らないの? 人にどう見られたっていいじゃない!
  ・どうして欲しいなら欲しいと言わないの? どうして言わずにあきらめるの? 
   言っても得られないことは多いけど、言ってみなければ始まらないでしょ。
  ・どうして自分に優しくしないの? どうして自分を責めてばかりいるの? そのままでいいのに。
  ・もっと自由になりなさい! やりたいときに、やりたいことを、やりたいようにやりなさい。
   それが人の期待にそむくものでも、自分の願いにそむくよりずっとましよ。
  ・人と比べて自分にだめ出しするのはやめなさい! そんな比較、なんの基準にもならないわ。
  ・あなたは変わっているけど、そこが面白いんじゃない。どうしてそれを認めないの?
  ・わたしはそういうあなたが大好きよ。どうしてそれをわかってくれないの? 
   大好きだからこんなこと叫んでいるのに、どうして聞いてくれないの?
  ・早く耳を開いて! 早く目を覚まして!

  

  
要するに自分の中でいろんな自分が喧々がくがくやりあっていたわけだ。
なんか大変な人だなあ。


でもここでさらに(D)というやつが出てきた。
いい加減で、無責任な、わたしの中の植木等だ。
この人だけは怒っていない。

  ・まあ、まあ、みんな、そんなに向きにならないの。人はみんな生まれて死んでいく。
   宇宙の時間にくらべたらそんな人生の時間なんて「へ」みたいなもんじゃないか。
   人生はつかの間の冗談さ。どうせ冗談なら楽しくやろうよ、楽しく。ハッハッハッハッハー!
  
 
  




スーリラ節♪









by homeopa | 2016-05-27 18:53 | わたしの乳ガン

泣いた泣いた

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今朝、夢を見た。
わたしは30代ぐらいできれいな和服を着ていた。
横を5歳ぐらいのガガが歩いていた。
ガガも着物を着ていて、とてもかわいかった。
でも雨降りで、大きな傘をさしていて、なんだかつらそうだった。
ときどきつまづきそうになった。
手をつなごうとしても、大きな傘のせいか、なぜかうまくつなげない。
ふと前に目を戻すと道が途切れていて、
目の前に大きな砂の山が立ちはだかっていた。
右を見ると砂山の上に細い道がある。
そこまで登らなければならない。
砂に足を取られながら登りはじめたが、
途中でガガが転がり落ちてしまった。
わたしも急いで砂山を駆けおりたが、
下まで行ったらガガの姿がない。
ガガはどこ? ガガはどこ? とおろおろしていると、
どうもたくましい男性がガガと一緒に砂に埋まったらしく、
ガガをかかえて砂の中から這いだしてきた。
ガガはぐったりしていた。
胸が痛くなった。
わたしは息も絶え絶えのガガを抱いて砂山を登りはじめた。

そこで目が覚めた。

ぶわーっと涙がでてきた。
「自分を殺しちゃった」 と思った。
わたしの腕の中にいた死にそうな子どもはガガではなく、わたしだった。
わたしはわたしを守れなかった。
亡くしそうになって初めて、
それがどんなにかわいくて大切なものだったかわかった。
こんなにいとしいものを、どうしてもっと大切に守らなかったのか。
どうしてしっかり手を握っていなかったのか。

それから30分ぐらい布団の上で泣いていた。
もういいかなと思って起きあがろうとすると、
また涙が出てくる。
この記事を書いていたら、また涙が出てきた。
朝から顔がぐちゃぐちゃ。

でもさいわい、わたしの腕の中のわたしは死にそうでもまだ生きている。(注:このわたしは身体ではなく心のことね)











by homeopa | 2016-05-26 09:24 | わたしの乳ガン

発熱その後

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初日は39.7度まで上がった。
翌朝には36.7度まで下がり、
その日の夜にはまた39度。
そして今朝は36.8度。
身体の感覚としては、横になりたい感じなので、熱はまた上がるかもしれない。

上がったり下がったり忙しいことだ。

発熱だけなら、身体が溶けるような快感にひたりながら寝ていられるのだけれど、
ぎっくり腰の痛みがまだあるので、
一度横になると、起き上がるのが大変。
起きていたあとで横になるのもちょっと大変。

だから横になるときには覚悟がいる。
排尿を済ませ、水をたっぷり飲み、おむつを交換し、必要なものを手の届く範囲に配備し、
それでやっと横になる。

しかも今朝は、狭心症のような胸の圧迫感で目覚めて(10年ほどまえからたまにあった)、
その間に右胸の骨が痛んだり、右下腹も痛んだり、
昨日痛いなと思っていた左腕がぱんぱんにむくんでいてそれがまた痛かったり、
弱り目に祟り目、泣きっ面に蜂、踏んだり蹴ったり、地獄で鬼に出会ったような気分(驚かないか)。

でもそのピークも30分ほどで止んで、
疲れたからおむつの洗濯も手抜きでやって、
あとは寝転んで本を読んでいた。
そのうち眠くなって寝た。

途中で熱をはかったら37.0度。
また上がるのかなと思っていたけど、
寝て起きたら36.8度。

おなかも空いてきたし、退屈もしてきたので、
買いものに出ることにした。
体力も戻ってきた気がした。

昨日はあまり食欲がなかったけど、
今日は食欲も出てきて、でも自分でおかずをつくるのは面倒なので総菜を買い、
その他もろもろ、食べたいものを好きなだけ買って帰ってきたとたん、
ドアにノックの音がした。

友だちだった。
今朝痛みがピークだったときに、その友だちに愚痴のメールをしたのだけど、
彼女は朝から仕事のはずなので読むのは仕事から帰ってからだろうと思っていた。
でも朝読んで、心配になったらしい。
そしてちょうどわたしが買いものに出ているころ、
うちの電話と、わたしの携帯に電話したのだけど、
どちらも応答なし(買いものに出たとき、携帯を持って出なかった)。
もしかしたら心臓の発作で死んでるんじゃないかと思って、
急いで駆けつけたそうだ。

駆けつけながらガガにも電話したら、
ガガは何も知らず、しかも自分は京都にいるとの不安げな返事。

友だちがうちに到着するなり、
ガガから友だちに電話がかかってきて、
事情を聞いて大笑いしていた。
「死んだと思った」と言っていた。
だからあんなに笑ったんだな。ほっとして。

大事な人たちふたりをこんなに心配させてしまって、
なんとも申し訳なかった。
携帯を持って出れば、それで防げたことなのに、
わたしの生活の中で携帯電話の地位はかなり低いのだ。
だからつい忘れてしまう。
これからは気をつけます、と約束した。

というわけで、だいぶ回復してきています。

ただ、ぎっくり腰の痛みがなかなか抜けないのがちとつらい。
明日もう一日休んで、明後日から仕事再開します。
キャンセルに応じてくださった方々、
心配して温かいメールをくださった方々、
ありがとうございました。






Poetry Man by Phoebe Snow ♪






by homeopa | 2016-05-25 21:29 | わたしの乳ガン

fever・・・the gift of god again!




さっきおむつの洗濯をしていたら急にひどく寒くなって、
体温をはかったら38.3度だった。

うれしいような、困ったような。

今日は予定をキャンセルして、
ずっと布団の中で泥沼を体験していようと思う。

書きたいことは山ほどあるけれど、
書く気力はないので、
昨日現像があがってきた桜の写真を全部下にあげておきます。
季節外れだけど好きなものが多いので。
みなさまもどうぞお元気で。

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by homeopa | 2016-05-23 10:06 | わたしの乳ガン

ぎっくり腰!

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感情との対面が少しずつ進んでいる。

結婚生活で感じた不満や怒りや悲しさや寂しさを片っ端から書きだしていたら、
かなり大事な事実に気づいた。

たとえば元夫とのあいだに何かあって、
怒りや、悲しさや、不満や、寂しさを覚えたとき、
わたしはほぼ同時に自省する癖があった。
彼の前で怒ったり泣いたりしながらも、
その裏で、
「でもわたしがああしなかったから、彼がこうなるのも仕方ないのかも」
「わたしに魅力がないから、彼はわたしに興味を示さないのだろう」
「彼はわたしを愛しているのに表現がへたで、わたしがそれを悪く妄想してしまうのだろう」
なんてことを思ってしまうのだ。

何か感情を揺さぶられるできごとがあったときに、
怒ったり泣いたりするのは自然なことだ。
風邪をひいたら熱や鼻水や咳が出るのと同じこと。
それが人間の自然な反応だろう。

いったん感情を発散してから、
その事件を視点を変えて見てみればいい。

でもわたしの感情の裏側にはいつも同時進行で、
自分への批判や反省や劣等感がチューイングガムみたいにくっついていた。
だから怒ったり泣いたりして感情を発散しようとしても、
わーっと空気のなかに散っていくかわりに、
喉や胸のあたりにへばりついて詰まっていた。
それがたまってしまったのだろう。
しかもチューイングガムは時間がたてばたつほど硬くなってはがれにくくなる。

わたしの感情の抑圧というのは、
ひとつには、こういうパターンから生じていたのかもしれない。

チューイングガムをはがすのは大変だぞ・・・・



自分の怒りがどんなものなのかも、
少し見えてきた。
それはまた別の記事で書こうと思う。


※ ※ ※


この件で面白いのは、
18日の朝、ヨガをしていて腰がぐきっとなり、
それがどんどん悪化して、
19日も20日もちょっと動くたびに「あいたっ!」となって、
身動きがままならなくなったことだ。

19日に、ぎっくり腰を何度も経験している友だちに電話してきいたら、
たぶんそれはぎっくり腰だけど、
なんとか歩けるくらいだから軽いほうだろうとのこと。

ぎっくり腰なんて、生まれて初めてなった。
友だちはヨガ療法をやっているので、対処方法も教えてもらった。
もちろんレメディーもいろいろとった。

でも20日の朝、起きてみたら、ますますひどくなっていた。
前日はおむつの洗濯ができたし、
動かなければ痛みはなかったのに、
その朝はおむつの洗濯をしている途中から、
患部に絶え間なく焼けるような痛みが出てきて痛くてたまらなくなった。

思わず同じ友だちに愚痴の電話をかけた。

「それ、TMS じゃないのかな?」と言われた。
わたしも実はちらりとそれを考えていた。

TMSというのは、緊張性筋炎症候群 (Tension Myositis Syndrome)のこと。
この病名は、『サーノ博士のヒーリング・バックペイン―腰痛・肩こりの原因と治療』 の著者、
ジョン・サーノ博士が命名したもので、
どんな病気かといえば、
心の抑圧から生まれた緊張によって血流が滞り、酸素が欠乏して起こる、筋肉や腱の痛み、ということになる。
自分で感じたくない不快な感情、不安を引き起こす感情、人に知られたくない感情などがあるときに、
脳がそれをごまかそうとして身体に痛みを引き起こすのだそうだ。
いわば、痛みの煙幕。

サーノ博士によれば、
腰痛や四十肩や膝痛などの7割ぐらいが、
構造的な原因から生じる痛みではなく、
TMSだそうだ。
そして実際、患者が心の奥で感じている感情に気づくと、
痛みはお役目ごめんになってすーっと消えていくらしい。


痛みが起こった18日は、リーディングのことをこのブログに書いた翌日だ。
感情の解放という難題にとうとう取り組まなければならない、
ブログにも書いちゃったし、なんて思って、
前の晩に少しずつ過去を思い返してみたりしていた。
そんなことをしながら、
でもあのぐじゅぐじゅした泥沼みたいな時期に戻るのはいやだな、
あのぐじゅぐじゅした感情はもううんざり、
なんて思ってもいた。

だから友だちにTMSではないかと指摘されたとき、
そうかも、と思った。
そして前の晩に気づいたことなどを少し話しているうちに、
涙が出てきた。
朝だったので長くは話さなかったけど、
電話を切ったら、あら不思議、焼けるような痛みがなくなっていた。

話したことで感情を空気にさらしたことと、
涙が出たことがよかったのかもしれない。

身体と心の関係、ほんとに不思議で面白い。

身体を動かす瞬間の 「あいたっ!」 という痛みもそれで消えたかというと、
そう簡単ではなかった。
なにせ長年へばりついて硬くなったチューイングガムだから。
でも、それからさらに少しずつ記憶と感情の掘り起こしをやってきて、
今は痛みもだんだん軽くなっている。

身体はすごいな。
わたしたちのために、こんな小ずるいことまでしてくれる。
一方で、心もすごい。
こんなふうに身体をコントロールしてしまうんだから。

びっくり、びっくり。



関係ないけど、
以前から左脇の下の腫瘍を圧迫しないように、
歩くときは左手を左腰にあてて歩いていたのが、
今度は右腰の筋肉をかばうために右手を右腰にあてて歩くので、
身体の両側に腕がくの字に出っぱって、
カイトみたい。
やせてるくせに、やたらに幅をとる。




(以下、上の本からの引用)

この疾患名の 「緊張」 は、無意識下で生み出され、ほとんど無意識の外に出ることのない感情を指す。・・・・その多くは、不快、苦痛、きまり悪さを伴う感情で、本人にも社会にも受け入れられず抑圧される。該当するのは、不安、怒り、劣等感だ。抑圧が起きるのは、これらの感情を味わいたくない、これらの感情を抱いていることを周りに知られたくないと心が思うからだ。自覚できるのであれば真正面から向き合おうとするのだろうが、いかんせん、人間の心は無意識下の感情を自覚するようにはできていない。またたくまに、それも自動的に、これらの感情を抑圧してしまう。選択の余地はない。




自覚している性格特性は、意識的な心に属する。意識的な心は、自覚できる感情が属する領域でもある。そこでは、悲しい、嬉しい、うきうきする、がっかりするといった感情が実感できるし、自分が良心的、勤勉、心配性、強迫観念にとらわれやすい、完全主義者であると自覚できる。苛立ちを自覚することもあれば、自己主張の必要を自覚していることもある。・・・・こうした意識的な心に属する感情によって、意識的な自分ができ上がり、人生でなすべきことや行動様式が決まってくると思われる。しかし、本当にそうだろうか? 表に現れた性格特性は、本人がまったく意識していない内面の衝動を映し出しているとよくいわれる。




無意識はあらゆる感情の倉庫だ。その感情を社会や本人が受け入れられるかどうかは問題にしない。無意識の何たるかを知るのは大変重要なことだ。その奥深くで起きていることが、覚醒時の行動を支配する性格特性に大きな影響を与えている可能性があるからだ。無意識こそ、TMSやその類似疾患が生み出される場所である。




心の奥底に劣等感を抱いている人がどんなに多いかを知って、わたしは少々驚いている。・・・・人間は不快な感情に対して 「過剰補償」 しようとするため、たとえば自分が弱いと感じていれば、いかにも強そうに行動する。




いい成績を上げたい、目標を達成したいという強迫的な欲求は、深く根づいた劣等感の裏返しであることが多い。欲求の出所はいざ知らず、業績を上げたいという欲求、最高の親でありたい、生徒であり従業員でありたいという欲求を抱くのも、TMS患者の特徴である。




(劣等感と)同じように心の奥底に潜み、劣等感に匹敵するほど重要なのが 「自己愛(ナルシシズム)」 だ。これは人間の持つ自己を愛する気持ちであり、過剰なくらい自己中心的になる状態を意味する。・・・・自己愛は程度の差こそあれ誰にもあるが、度を越すと問題が生じる。自分の命令に従わなかったり命令どおりにやりこなせない相手に対し、すぐ苛立つようになる。このとき怒りが生じる。自己愛が強すぎると四六時中怒っていることになるが、この怒りは不安同様に抑圧されるため、本人は怒りが生じていることに気づかない。怒りが抑圧される先は無意識的な心である。・・・・劣等感に苛まれる一方で、自己愛に動かされて心は暴君のような振る舞いをする。・・・・対局にある二つの感情が同時に存在するとは、いかにも奇妙に感じられるかもしれないが、これはまさに一枚のコインの表と裏なのだ。




怒る理由は他にもある。それどころか、不安を(無意識下に)引き起こすものなら、どれも怒りを引き起こすといってもいい。たとえば、いい仕事をしようとして努力し、立派に責任を果たしたいと(不安を感じつつ)願いながら、その仕事にも、周囲の人にも、周囲からの要求にも腹を立てる(怒り)ことがある。




不安は唯一人間だけに生じる現象で、恐怖と強く結びついてはいるものの、恐怖よりはるかに複雑な感情だ。不安は、人間だけに備わった予期する能力によって生まれる。明らかに危険を感じれば当然不安が生まれるが、危険がないのに不安が生じる場合がある。・・・・それほど危険でなくても、まったく危険でなくても、次から次に不安が生まれてくるのだ。これは人類特有の性質といえる。ところが、この不安というもの、生じていても気づかないことが多い。無意識下で生まれ、例の操作によって無意識下に留め置かれるからだ。無意識下で生まれるときも、本人が意識していない感情が原因となっていることが多い。原因となった感情は不快で、きまりが悪く、もっぱら苦痛を伴ううえ、不安まで生み出したというので、心はなんとかしてその感情も不安も意識の外に追い出してしまいたいと思う。「抑圧」はこの欲求を満たすための作用であり、この「抑圧」に手を貸すためにTMSが発症するのである。




自覚していない怒りや憤りの原因として重要なものに、両親や配偶者、子供などの身近な者に対する責任感がある。相手のことを大事に思ってはいても、いろいろな面で重荷になることがあり、その結果、怒りは内在化する。年老いた両親や赤ん坊にどうして怒りをぶつけられよう。




家族を心から心配し愛する気持ちと、家族であるがゆえの義務と責任から生じた内在的な怒りが結びつくと、強い心理的葛藤が生まれ、これがTMSを引き起こす。




無意識下に葛藤が生じるのは、主に、前述した自己愛の衝動から生じる感情や欲求と、現実に即した部分を担当する心との間で激しい戦いが繰り広げられるからだ。後者は、何が正しく、何が理に適い、何が分別のある行動なのか、さらに厳しくは何をすべきなのかなどを担当する心を指す。・・・・精神分析医カレン・ホーナイは、この心の動きを 「『べき思考』による暴政 tyranny of the should」と呼んで書を残したが、確かに、あれをすべき、これをすべきと考えていたら、それに一生を支配されかねない。患者の話を聞いていると、その生活がどれほどこの行動律に縛られているかがよくわかる。




TMSとの取り組みが長くなればなるだけ、怒りのもつ役割の大きさを強く感じるようになってきた。怒りは完璧に抑圧されるため、その存在にまったく気づいていない場合が多い。実は最近、症状を根源的に引き起こしているのは、不安よりむしろ怒りのほうではないか、不安自体、抑圧された怒りから生じたのかもしれないと考えはじめている。




(以下は上の本で引用されているフロイトの伝記から)

厳密な意味での無意識は、厳重警備の刑務所になぞらえることができよう。そこには、社会に馴染めず何年も獄中暮らしをつづける者もいれば、入ってきたばかりの者もいる。ひどい扱いを受けたり、厳重に監視されている者もいる。しかし、どの囚人も現在拘留中というだけで、常に脱獄を企てている。



う~~ん、どれも自分に当てはまる。
ヨネコさんも同じような役目を果たしてきたのかな・・・?

ちなみに著者がTMSと同じ役目を果たす疾患として挙げているものは次のとおり;
胃酸過多、胃十二指腸潰瘍、裂孔ヘルニア、けいれん性大腸、過敏性大腸症候群、花粉症、喘息、
前立腺炎、緊張性頭痛、偏頭痛、湿疹、乾癬、ニキビ、じんましん、めまい、耳鳴り、頻尿。






At Last by Phoebe Snow♪








by homeopa | 2016-05-22 07:59 | わたしの乳ガン

リセット

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7月いっぱいセンターをお休みするというお知らせを見て、
今日相談会を受けてくださったクライアントさんが、
「大丈夫ですか?」とわたしの体調を心配してくださった。

そうか、体調が悪化してとうとう休業に至ったのだと思う人たちもいるのだ、
と初めて気づいた。
なのでちょっと説明しておこうと思う。

ヨネコさんとその子供セツコさんは、
日々変化していて、
とくにセツコさんは日増しに大きくなっているけれど、
痛みはさほどではなく、
体調も以前とほとんど変わっていない。
つまり普通に動ける状態。
相談会はもちろん、畑で作業したり、散歩をしたり、おむつの洗濯や食事作りができる状態。

それでも休業に踏みきったのは、
休むという目的のほかに、
リセットという要素が大きかった。



普通、ガンになった人は、
まず病院で診断を受けて、そのときに非常なショックを受ける。
もし症状が進んでいたり、転移が見つかったりすれば、
余命宣告なんてものも受けるだろう。

その段階で、ひたすら恐怖におののく人もいれば、
それをきっかけに自分の人生を見直し、
どうせすぐに死ぬなら何もかも捨てて旅に出よう!
なんて方向に生き方を転換する人も多い。
ガンが治った人の多くはそんなふうに人生の転換をしている。

もし現代医学の治療を受けたりすれば、
1ヶ月間入院ということもあったりして、
その間に今までの人生を見直したり、
自分と対話したりということをするかもしれない。
そして治療と入院がひとつの区切りになって、
退院後は新たな気持ちで人生に向かうかもしれない。



でもわたしの場合はガン宣告をうけていないので、
最初のショックというのも中途半端なショックだった。
しこりがある・・・ガンかな、ガンもどきかな・・・

だんだんしこりが大きくなってきて、
やっぱりガンだな、と思いはじめたときも、
何月何日にそう確信したのかわからない。

要するに境目がないのだ。
区切りがついていない。

ガンを確信してからも、
それまでと同じ日常がだらだら続いていた。
そのなかでいろいろ気づいたことはあったけれど、
すべてをチャラにするみたいなドラスティックな変化がなかった。

だからリーディングのときに 「リセット」 という言葉を聞いたとき、
それこそわたしに必要なものかもしれないと思った。
今までの人生と新しい人生をはっきり分けるもの。
今までのわたしとこれからのわたしをすっぱり分断するもの。

長いあいだにできあがった心の癖や行動パターンを捨てるのは難しい。
それは条件反射になってしまっているので、
つい同じことを繰りかえしてしまう。

腫瘍が1センチぐらいに成長するのに10~20年かかるという。
わたしがしこりを見つけたとき、それは1~2センチだった。
つまりそれまで20年間の生活や行動パターンや心の抑圧から病気が生まれ、
その病気を解消しようとしてガンが成長したわけだ。

だから生活をがらりと変えてみたいと思った。
自分で変えられないものも、環境で変わることがある。
(休養中はなるべく長いあいだ美麻に滞在するつもり)
14年間わたしの人生で大きな位置をしめてきたホメオパシー相談会をまったくやらないというのも、
きっといい変化のきっかけになるだろう。
わたしはホメオパスに向いていないから、もうやめる、
なんて結論に達したとしても(それは99パーセントないと思うけれど)、
それはそれですごいリセットだ。



というわけで、死にそうな状態なのでとうとう休業を決意した、
ということではありませんので、
どうぞご心配なく。
というより、今後のわたしに期待してください。
たぶんもうちょっと気が抜けて、子どもみたいにアホになっていると思います。
というか、そうなりたいです。





※日本ホメオパシーセンター世田谷喜多見からのお知らせ。

2016年7月1日から7月31日まで、センター業務をすべてお休みさせていただきます。

その間、好転反応などでお困りになった方は、
日本ホメオパシーセンター世田谷梅ヶ丘のまつもりくにこホメオパスに、
応急相談としてご相談ください。

ご不便をおかけして申し訳ありませんが、
業務再開の際には、はずむゴムまりのようになって、
新しい境地でお仕事に取り組ませていただくつもりです。
どうぞ楽しみにしていてください。
よろしくお願いいたします。







Evey Breath You Take by Breathless Choir ♪

ブレスレス・クワイヤ
(動画の解説から)
アメリカ、ニューヨーク州マンハッタン。 ここに、オープンから150年を数え、観光名所としても知られるコンサートホール「ア
­ポロシアター」はある。 これまでにスティービーワンダーやローリンヒルなど、多くの世界的なスーパースターを­輩出してきた伝統あるこのホールで、昨年9月、ある風変わりな合唱団のコンサートが行­われた。 実はその合唱団は結成されてから、まだたったの5日。 しかもメンバーの中にプロの歌手は1人もおらず、全員が一般人だという。
photo  さらに…「片方の肺がつぶれています」「声帯出血を起こしました」「ぜんそくと自己免
­疫疾患です」
その合唱団の名前は…『ブレスレス・クワイア(息を切らせた合唱団)』 そう、実は全員が肺や気管など、呼吸器に障害をかかえていたのだ。
 普段は息をすることさえも苦しい…そんな彼らがなぜ合唱団を結成し、さらに、名門アポ
­ロシアターでコンサートを開くことが出来たのか? そこには、あるカリスマ音楽家と夢を諦めきれなかった人々との、熱い出会いが秘められ­ていた。
photo  今回のコンサートを企画したのは、近年医療機器開発に力を入れている、電機メーカーの
­フィリップス社。 我々はこのプロジェクトを企画した、広報責任者のエヴァさんに話を聞くことができた。
「もともとは去年、私たちが新しい呼吸補助機器を開発した際に、呼吸器に障害を抱える
­人たちと出会ったことがきっかけでした。その時いい製品を開発するだけでなく、彼らに­何か勇気を与えられるようなことができないかと思ったんです。」
 呼吸器障害の人たちに、勇気を与えたい。 そんなエヴァさんたちが目をつけたのが、イギリスで放送されていたあるテレビ番組だっ
­た。
photo  タイトルは「ザ・クワイア」 英国王立音楽院出身の合唱指揮者ギャレス・マローンが貧困地域の人々や戦争へ向かう軍
­人の家族たちを訪ね合唱団を結成。 歌を通し地域や家族の絆を深めて行くという人気ドキュメンタリー番組だ。 見所はなんといっても、カリスマ指揮者ギャレスの指導によって、それまで人前で歌など­歌ったこともない人達がまるで魔法にかかったように、見事な歌声を披露できるようにな­ること。
 彼だったら、呼吸器に問題を抱え、歌うことを諦めてしまった人達にも希望を持たせるこ
­とが出来るのではないか? そう考えたエヴァさんはギャレスに連絡をとった。 すると彼はこのチャレンジを二つ返事で快諾、しかも、4日も練習すれば5日目にはコン­サートが開けるといってのけたのだ。
photo  こうして、天才音楽家を引き入れた彼らのプロジェクトはスタートした。 集められたのは、フィリップスの医療機器を使用している患者など18名の男女。
 クレア・ワインランドさん。CF症という先天性の難病を患い、人生の大半を病院で過ご
­してきた彼女は、歌うことが何より好きだった。 だが…数年前から断続的に肺機能が低下、吸入器が手放せなくなり、大好きだった歌はも­う歌えなくなった。











by homeopa | 2016-05-19 20:55 | わたしの乳ガン

スピリチュアル・リーディング

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リーディングというのを受けてきた。


もしわたしの病気が治るのをブロックしているものがあるとすれば、
それは何か、というのがわたしの質問だった。



食事は問題ないそうだ。



要約すると、次のようなことが課題らしい。

(1) 徹底して休む。

  リーディングによれば、わたしはずっと働きづめで心身を酷使してきた。
  宇宙は休みなさいというメッセージを頻繁に送りつづけていたのに、
  わたしは一向に耳を貸さなかった。
  
  「最近は仕事もかなりゆったりペースになってきたんですが」 とわたしが言ったら、
  そんなものでは全然だめです、と言われた。
  すべてを捨ててリセットするぐらいの気持ちで徹底して休まなければならないと。
  

  
(2) 感情を解放する。

  激しい怒りの感情があるそうだ。
  それが腫瘍という形で表れている。
  これまでずいぶん感情にふたをしてきて、
  つらいことも、ないことにしてきてしまった。
  わたしはとにかく我慢強い人間なんだそうだ。
  そうやって溜めこまれた感情が、いま爆発寸前になっている。
  「そういえば乳ガンの患部は火山の噴火口みたいです」 と言ったら、
  「まさにそんな感じです」 と言われた。

  「以前にも怒りを指摘されたのだけど思い当たらないんです。
  それはだれに対するどんな怒りですか?」ときいたら、
  しばらく宇宙と交信してから、
  「どうもご自身に対して怒っているみたいですね」 と言われた。
  それでもまだピンと来なかった。

  でもとにかく、溜めこんだ感情を解放しなければならないそうだ。
  そのためには、つらかったときのことをひとつひとつ思いだし、
  つらかったのだということを認め、
  そのときの感情を受けとめなければならない。
  休んでいるあいだに、その作業をていねいにやっていかなければならない。
  
  わたしも人並みに人生でつらいことはあったと思うけど、
  自分では水に流してきたつもりだった。
  でも、ないことにしていたら、水にも流せないわな。



(3) 自分を制限している枠を取りはらう。

  これは感情の抑圧とも関連するのだけれど、
  わたしはいつからか本来の自分を生きることをあきらめて、
  三次元世界のルールに合わせて自分を枠に押しこめてきたそうだ。
  
  本来のわたしは、ゴムまりが弾んでいるようなイメージらしい。
  うふん、かわいい♪ 
  自分ではそのイメージはしっくり来たし、
  最近のわたしはそんな感じになってきたと思っていたけれど、
  友だちに話したら、そんな感じはまったくないと言われた・・・がっかり。

  そして顕著に自分を制限しはじめたのは、
  「どうも結婚なさったころからのようです」とのこと。
  よくわかる。
  結婚していたあいだ、確かにわたしはわたしでなかった。
  いつもむくんだような冴えない顔をしていた。
  風邪をひいても熱が出なくなったのは結婚して数年経ってからだ。

  昨年、シータヒーリングの最後に 「自由にのびのびと」 という言葉が、
  すとーんと腹に落ちたのは、
  自分でも窮屈に生きてきたことを感じていたからだろう。
  
  でもこの課題は、最近だいぶ消化できてきているような気がする。
  ブログでこんなこと書いたら変に思われるかなとか思わなくなったし、
  人前でオナラもできるようになったし、
  かなりズケズケものを言うようになったし。
  (ホメオパシーで治癒力が上がってくるとみんなイヤな人間になるって、ハーネマンも書いている)


(4) 人のためではなくまず自分を満たすために生きる。

  自分を二の次にして、人のためにエネルギーを使う癖があるらしい。
  前世でも、その前の世でも、そんなことをしてきたらしい。
  いい加減そのパターンを捨てて、
  自分のために生きることを学びなさい、
  と宇宙はずっとわたしに語りかけていたらしい。

  まず自分のために生きて自分を満たし、
  そこからあふれ出たエネルギーで人をケアすればいいと。

  この点、あまり自覚がなかった。
  自分は自己中心的な人間だと思っていたから。

  でも 「とにかく優しい人だから」 と言われた。
  「え、優しいんですか? わがままで意地悪なんじゃないですか?」ときいたら、
  どこからそんな質問が出るんだと、運命が巨大なクェスションマークで答えている、と言われた。

  このリーディングではたいがいのことに納得したけど、
  この部分だけは、どうかな~~? と今も思っている。
  わたしは優しくない。わがままで意地悪だ。
  ただ自分より人のためにエネルギーを使う癖はある。
  それは優しいからではなく、義務感とか責任感が強いからだと思う。

  でもとにかく、その癖はもういい加減手放さなければ。
  そして最近はこれも実現できはじめている気がしている。
  毎日、毎日、自分は何がしたいかということしか考えていないもん。



というわけで、問題がかなりすっきりクリアになって、
とてもよかった。
食事のことも、今以上に神経質になる必要はないとわかって気が楽になったし。


難しいのは (1) と (2) だな。


すべてを捨ててリセットするくらいの気持ちでちゃんと休む・・・・
つまり仕事も全部やめて休めということだ。
でもホメオパシーの相談会を長期間休んだら、
復帰したときにお客さんが戻ってこないかもしれない。
それに休んでいるあいだは収入がゼロで、なおかつ生活費は出ていく。

でもでも、リーディングをしてくれた人(なんていうのかな?)が言ってくれた。
ちゃんと休んで本来の自分を取りもどしたあかつきには、
ホメオパシーの仕事にも新しい境地が開けるはずだと。

それを聞いて少しワクワクしてきた。
はずむゴムまりみたいなホメオパスって、すてきじゃないか!

だいいち、今の生活では、
仕事と食事の準備とおむつの洗濯で一日のほとんどが終わってしまう。
ここ20年ほどの生活にくらべてかなりペースがゆっくりになったとはいえ、
休養しているという実感は、たしかにない。
20年以上も心身を痛めつけてきたのだから、
やはりこれは必要なことなのだ。

昨夜はこのことを考えて眠れなかった。
どうしよう、どうしよう・・・・
そして今日、だんだん腹がすわってきた。
1年とか休業するような勇気はないけれど、
とりあえず1ヶ月、まったく仕事をしない期間を自分に与えてみよう。

決めた、7月いっぱい、お休みさせてもらう。


もうひとつ難しいのは、感情の解放だ。
自分が感情をあまり表さないタイプであることは自覚していたけれど、
それをどうやって「解放」すればいいのか、
いつもとまどっていた。

でも昨夜、眠れなかったときに起きだして、
結婚生活でつらかったことをひとつずつ書きだしてみた。
まだ4つぐらいしか書けていないけれど、
もっともっと出てきそうな気がする。
書いているうちに、元夫はろくでもないやつだったなと、納得した。
以前はそれさえ認めていなかったかもしれない。
本当はいい人なのだと思おうとしていたかもしれない。
焦らず、こうやって少しずつ過去を過去として認めていこう。
それから水に流そう。

自分に対する怒りがなんなのか、
まだはっきりとはつかめていないけれど、
それも上の作業をじっくり進めるなかで出てくるかもしれない。







※というわけで、日本ホメオパシーセンター世田谷喜多見からのお知らせです。

2016年7月1日から7月31日まで、センター業務をすべてお休みさせていただきます。

その間、好転反応などでお困りになった方は、
日本ホメオパシーセンター世田谷梅ヶ丘のまつもりくにこホメオパスに、
応急相談としてご相談ください。

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by homeopa | 2016-05-17 22:00 | わたしの乳ガン

解放!

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終わった-!!
2年半ほど前から続けていた夜のスーパーのレジのバイト、
今日(この記事は昨日書きはじめたので昨日のこと)で終わり。

ああ~、疲れた。
まるでわたしが今日でやめるのを知っているかのように、
閉店時刻の9時までお客さんが途絶えることがなかった。
みんな名残おしいのかな、わたしに会えなくなるのが・・・・まさかね。

でもすごい解放感。

何がこたえるって、立ちっぱなしの作業はもちろんだけど、
それ以上に冷蔵庫からの冷気。
ヨネコさんもあの冷気はよくないと言っていた。
そんなに身体を冷やしたら、アタシはもっと大きくならなければならないよって。

夜の勤務もつらかった。
9時半ごろ帰宅すると空腹に勝てずにあれやこれや食べてしまい、
寝る時間も遅くなり、満腹によって睡眠の質も悪くなる。

それと精神的にストレスだったのは、
清涼飲料水、インスタントラーメン、スナック菓子、味の素、菓子パン、食パン、弁当、総菜、
カレールウ、食用油、マーガリン、無糖のヨーグルト、ペットボトル入りのお茶、缶コーヒー、
農薬と化学肥料の恩恵を受けて育った大きな見栄えのよい野菜たち、
放射能汚染もなんのその、産地にこだわらずに仕入れられた野菜や魚たち。
そういうものをせっせと売りさばき、それでお金をもらっていること。
ある意味、犯罪の片棒をかついでいるような気分だった。

でもまあ、そういう食品を欲しがり必要とする人がいるかぎり、
わたしが売らなくても、売れてしまうだろう。
ただ、自分の思いと行動との矛盾はやっぱりあんまり気持ちのいいものではなかったな。

一方で、いいこともそれなりにあった。
頭よりも身体を使い、声をたくさん出す仕事というのは、
ホメオパシーの相談会の仕事と対極にあるので、
日頃つかわない神経やら筋肉やらがだいぶ刺激されていたような気がする。
ぴー、ぴー、とバーコードを機械に読みこませるのもだいぶ速くなったし、
商品が傷まないように気をつかいながらカゴに素早く品物を移動するのも速くなった。
そのこつを覚えるのも楽しかった。

わたしよりたぶん年上の女性のお客さんに、
「えらいわね~~、お仕事していらっしゃって」と言われて、
そうか、わたしはお仕事しているのがえらく見えるほど年寄りなのかとショックを覚えたり、
妊婦さんだった人がいつの間にか赤ちゃんを抱いていて、
その赤ちゃんがあれよあれよという間に成長して、
「あー、あー」とわたしの顔を見てあいさつしてくれるようになったり、
閉店間際に来て、半額に値下がりした弁当をたくさん買い込んでいく青年がいたり、
2円の袋代のことでいちゃもんをつけて店長を出せと要求するクレーマーの若い女性がいたり、
(いつも眉間にしわが寄っていた。不幸を絵に描いたような顔)
いろいろあって面白かった。

だいぶ仕事に慣れてきたころ、
家で夕食のテーブルに着き、両手を合わせて「いただきます」と言おうとしたら、
「いらっしゃいませ」と口を突いて出てきて苦笑い。

わたしのレジを通過するお客さんのだれひとりとして、
わたしの左胸の巨大なヨネコさんの存在は想像もしなかっただろう。
お客さんの見ているわたしと、わたしが見ているわたしと、
そのギャップも、シュールないたずらみたいでひそかに楽しかった。

でもそれももう終わり。
もうひとつのストレスの種だった翻訳の仕事は昨年1月で辞めたし、
これからはホメオパシー一本で行く。
なんかすっきり。

ほんとにホメオパシーと自分の好きなことだけに専念できるなんて、
ああ、夢みたいだなあ。



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下は今朝(15日)の散歩のときに見つけた四つ葉のクローバー。
見つけたのは生まれて初めて!
これにあやかって、わたしも、まわりの人たちも、できれば世界中の人たちが、
幸せを感じられますように。
望みすぎかな。

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Be YourSelf by Graham Nash ♪












by homeopa | 2016-05-14 23:11 | 日々の暮らし