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independence is dependence

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「自立とは依存すること」
なのです。

人間、いや、生命は、何かに寄り掛かることなしには生きられません。
ですから、より多くの人に寄りかかることのできる人こそが、より自立した人なのです。
誰かに寄りかかることは悪だと思いこんでしまうと、寄り掛かる先が減ってしまいます。
そうすると残った少数の寄りかかり先に強く依存することになり、
それは依存ではなく、隷属です。
実際問題として、独立だと大見得を切った安倍政権こそがアジアでの孤立を深め、
アメリカへの隷属を強めているではないですか。

                             ---- 安富歩 『ジャパン・イズ・バック』





これは盲点だったな。
上の本からほかにもちょっと引用すると・・・・


たとえば安倍晋三君の演説;

  「強い日本」。それを創るのは、他の誰でもありません。私たち自身です。
  「一身独立して一国独立する」
  私たち自身が、誰かに寄り掛かる心を捨て、それぞれの持ち場で、自ら運命を切り拓こうという意志を
  持たない限り、私たちの未来は開けません。


これを、安富さんは次のように変えてはどうかと提案している;

  「強い日本」。それを創るのは、私たちの生きる力です。
  そして一人でも多くの人に依存せねばなりません。
  「依存すれば依存するほど、日本は自立する」
  私たちはできるだけ多くの頼れる友だちを世界中に作り、そのご縁によって、
  やりたいことを楽しくやっていきましょう。その勇気を持とうではありませんか。
  そうすれば未来が開けます。


簡単に言えば、持ちつ持たれつ、お互いさま、ということかな。

そしてこんなことも;

  それにしてもなぜ彼らは、「強さ」 を求めるのでしょう?
  理由は簡単で、安倍首相のような強度の立場主義者たちは、「立場」 のために、
  自らの生き生きとした感覚を封殺しています。
  つまり人間なら誰しも持つ、内なる 「生きる力」 をなくしてしまっているのです。
  そういう人間は弱虫です。だから、「強さ」 という言葉に憧れ、強力な力を、破壊的な力を欲します。
  そしてその破壊力を使ってこの苦しい世の中から立ち去りたい、つまり死に魅入られているのです。
  しかし、弱虫には自分一人で死ぬ根性すらありませんから、皆を道連れにしたいのです。
  その根性すらない場合には、死ぬまで生きていたいのです。
  自分の生きる力ではなく、人や自然や環境のエネルギーを搾取して。
  だから核エネルギーなのです。原発と核武装、高速増殖炉と核燃料サイクル。
  



日本は民主主義国ではなく、「立場主義人民共和国」 だと安富さんは書いている。
つまり国民の多くは自分の心に従って動くのではなく、
立場のために動いていると。
家族の一員としての立場、会社の一員としての立場、地域社会の一員としての立場、
母としての立場、父としての立場、社員としての立場、社長としての立場、官僚としての立場、
医師の立場、ホメオパスの立場、日本人という立場 ・・・・
この 「立場主義」 について詳しく検討したい方は、ぜひ本を読んでください。
日本社会というものについて、新たな視点が得られるかもしれません。
そして 「立場」 のない人たちのことも。

なぜ安倍晋三君が 「息を吐くように嘘をつく」 のか、
なぜそういう人が首相として日本社会に支えられているのか、
安倍政権の政策は明らかに狂っているけれどどこがどう狂っているのか、
これらの論点について300字以内で簡潔に説明せよ、
と言われても答えられないわたしのような人間にとっては、
いろいろと参考になることが書いてある本だった。
読んだあとでも300字以内にまとめられないけど。

あとがきによれば、安富さんはこの本を書きだしてからとてもつらくなって、
なかなか書きあげることができなかったそうだ。
日本の現状があまりに絶望的に思えて。
にもかかわらず、ところどころにジョークをちりばめてくれて、
ときどき笑いながら読める本になっている。

いずれにしても、すべては自分を知ることからしか始まらないし、
自分を知ることは簡単ではないなと、
また思った。







※立場主義とちょっと関係のある記事



※小室淑江さんのTED講演 --- 少子化をふせぐには長時間労働をなくすこと



※「残業ゼロで日本の未来を変える」小室淑恵のマネジメント(1/3)



※「残業ゼロで日本の未来を変える」小室淑恵のマネジメント(2/3)



※「残業ゼロで日本の未来を変える」小室淑恵のマネジメント(3/3)

by homeopa | 2014-10-29 22:09 |

赤瀬川原平さん

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偶然のきっかけから、
町田の文学館で催されている 『尾辻克彦×赤瀬川原平-文学と美術の多面体-』 という展覧会を見た。
それがまさに棚からボタモチ! 

わたしは 「超芸術トマソン」 の本で初めて赤瀬川さんを知ったので、
その前の作品や活動のことはほとんど知らなかった。
そのころは少女だったから、知らないのも当然かな。
でも今回の展示で、前期の作品や 「行為」 を見て、
鼻血が出そうなほど興奮し、感動し、声を出さずに大笑いした。

櫻画報とか、ハイレッドセンターとか、千円札のレプリカ裁判とか・・・・

それで赤瀬川さんのことをもっと知りたくなって、
今朝さっそくググったら、
なんと昨日の朝、お亡くなりになったそうだ・・・合掌。

とても残念。

芸術というのは、あたりまえの日常にちょっと違う視線を向けて、
あたりまえを、あたりまえでないものにする術のことだと、
わたしは思っていて、
赤瀬川さんはまさに芸術師だと思っていた。





赤瀬川さんと糸井さんのトーク


大日本零円札の沿革


赤瀬川原平の芸術原論 1960年代から現在まで
by homeopa | 2014-10-27 10:09 | こだわり

amane 訪問記 (1)

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いつも思うことだけど、
世の中には、どうでもいいことが多すぎる。
毎日どうでもいいことに振りまわされていると、
いつの間にか、どうでもよくないこと、大切なこと、好きなこと、面白いことを見失っていたりする。

でもこの前の週末は、
どうでもいいことがほとんどない世界、大切なものばかりの世界に遊びにいってきた。
マルコさんとマルオさんのお住まい --- amane。




これが家主のマルコさんとマルオさん。
うしろが、その家。
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これが玄関。
ヨーロッパでもアメリカでもないよ。
日本の福島だよ。
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これが横から見た図。
まん中の部分だけが、もともとあった家で、
左側のサンルームと、右側の玄関&土間部分は、
4年たらず前に引っ越してきてから、マルオさんがトンカチトンカチやって少しずつ造ったもの。
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このリフォームの顛末については、このブログで見られる。
いいなあ、わたしも田舎の家でトンカチやりたいなあ、
とか思いながらこのブログを見はじめたら夢中になって、
昨夜はちょっと夜更かししてしまった。




玄関から中に入ると、こんな感じ。
この手前に土間がある。
入ったとたんに、ほ~~っと安らぎのため息が出る。
マルコさんとマルオさんが一刻一刻を楽しみ、いつくしみながら、ていねいにつくりあげた空間。
プラスチックがほとんどない。
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これが家の中から土間を見たところ。
手作り味噌のかめや、ぬか漬けの桶が置かれた土間。
田舎生活に土間は必須だな。
写真には写っていないけど、右側にはマルオさんが最近つくったかまどがある。
わたしはそこで煮たおでんと、そこで炊いたご飯をごちそうになった・・・もちろん美味しかった!
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これがサンルームのアップ。
まるで水槽の中でお日さまの水が揺れているような、そんな空間。
まさに日光浴のための空間。
でも夏はちょっと厳しいので、いずれはもっと日をさえぎるような屋根をつけるかな、
とマルオさんが言っていた。
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そしてサンルームの中で死体のようにくつろぐ、もうひとりの住人、モモタ。
モモタのことはまたあとで書くとして、
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サンルームの前にはこんな川がさらさらと流れている。
さらさらと清い水。
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そしてこれは居間の薪ストーブ。
わたしが泊まった晩も、火を焚いてくれて、
その前でたくさんおしゃべりをした。
どうでもいいことも話したかもしれないけれど、
ここで火と暖かい笑顔を見ながら、ときどきモモタになめられている時間は、
どうでもいい時間ではなかったな。
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ただ、この薪ストーブで冬を越すには、かなりの薪が要るので、
一年かかってせっせと薪をためなければならない。
だから amane の敷地内はどこもかしこも薪だらけ。
ちっちゃいウッドガスストーブを一度だけ燃焼させただけのわたしの経験でも、
それは想像がつく。
やはりこれはどうでもいいことではないな。



マルコさんとマルオさんは自給自足をめざしていて、
敷地の中でいろいろつくっている。
昨年から田んぼを借りて、お米もつくった。
無肥料・無農薬で、昨年も今年も、どうやら豊作!

これが畑の一部。
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おいしそうな緑の葉っぱがたくさん芽生えているけれど、
少し大きくなるとどうも虫に食われてしまう、とマルコさんが言っていた。
まだ土が熟していないらしい。
それでも野菜は、ご近所からいただくものでかなりまかなえるとか。いいな、田舎。
そういう未熟な土では豆類がよく育つということで、
黒大豆、大豆、あずきがよく茂っていた。
わたしは帰りに堀りたてのピーナッツをもらってきて、塩湯でして食べたらとても美味しかった!



鶏もいるよ。
雄鳥のトノと、それをとりまく雌鳥たち。
でも最近、トノの調子がよくないらしく、卵は採れていないとのこと。
向こうに見えるのは鶏小屋。
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amaneで飼っている雌鳥は、採卵のために品種改良されたFIの雌鳥なので、
卵を産んでも抱かないはずなんだけど、
amaneで暮らすうちに本能が戻ってきたのか、
一羽の雌鳥が卵を温めてヒナをかえした、とだいぶ前のブログで読んだ。
結局、それはイタチに攻撃されたりして死んでしまったそうだけど、
実際に行ってみて、本能が戻ってきそうな場所だと思った。



これはマルコさんが育てつづけているぬか床。
すべてがこんなふうにていねいなの。
ていねいっていうのは、細部まで完璧って意味ではなく、心が入ってるってこと。
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ちなみに、こういう桶でぬか漬けをすると、
水がたまったりしないんだそうだ。
実際、マルコさんのぬか床はぽろぽろしている感じだった。
そしてもちろん、そこで漬けた胡瓜も蕪も、美味しかった!
わたしも風呂の手桶か何かでやってみようかな。




(2)につづく

by homeopa | 2014-10-23 14:54 |

amane 訪問記 (2)

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amane の遠景。
右側の白い家がマルコさんとマルオさんの家。
そのさらに右側に敷地が広がっている。



下は居間からキッチンを見たところ。
マルコさんがキッチンに立つと、
モモタはかならずついていって、じっとそこで待っている。
食べられるものを。
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わたしが東京から着いて、おしゃべりなんかしているあいだに、
マルコさんがちょこちょこっとこんなおいしそうなパンを焼いてくれた。
昨年収穫したイセヒカリの玄米酵母でふくらましたパン。
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ランチのメニューは、
マルコさんのパン、敷地内の小川に繁茂するクレソンとトマトのサラダ、発酵バター、自家製の桃ジャム、紅茶。
どれもこれも美味しかった~! (こればっかり)
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amane の三人の住人。
モモタは自分を人間だと思っている。
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食事が始まると、頻繁にモモタの手がテーブルに載る。
叱られても載る。
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そんなモモタを見ていて、
以前に読んだ 『ああ息子』 という本に書いてあった、
人間の男の子の特徴を思いだした。

食いしん坊。
すけべ。
やらなくてもいいことをやって、やらなきゃいけないことをやらない。
やりはじめると止まらない。
単純または無邪気。

モモタはそういう人間の男の子みたいな犬だと思った。



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そのせいかな、犬が苦手なわたしもモモタをそれほど苦手には感じなかった。
モモタは猫っぽいところがある、とマルコさんも言っていた。
そしてモモタを見ていて、自分がどうして犬が苦手なのかわかった気がした。



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わたしから見て、犬は優等生なのだ。
飼い主の命が危ういとなれば火の中でも水の中でも飛びこんでいくような、
そういう誠実さ、忠実さ、善良さ。
どうも犬にはそういうイメージがあって、それが苦手だったのだ。
猫だったら、自分だけ勝手にさっさと逃げるだろう。
そして戻ってきて飼い主が死んでいるのを見て、
その顔をぺろぺろなめて悲しがるだろう。
自分はどう考えても猫タイプなので、だから犬に劣等感を覚えるのかもしれない。
でもモモタのそばでは、あんまり劣等感を感じなかった。
ごめん、モモタ・・・・

それはそうと、モモタは匂いも犬らしくない。
というより、全然匂わない。
わたしの加齢臭のほうがくさいくらい。
モモタのご飯はおかゆと野菜、たま~に魚。
そういう食事のせいかな。
毛並つやつやで、元気いっぱい。
予防接種をしていないせいもあるかな。
「不整脈があるので・・・」 とご近所の人には言い訳しているそうだ。
実際、不整脈はあるみたいだけど、でも元気いっぱい。

これは昨日見つけたむかしのモモタ。
別人みたい! かわいい! いや、今もかわいいけど・・・・



これは帰りの電車を待つときに駅で撮った写真。
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電車を待ちながら思いだしたのは、
最近マルコさんとマルオさんがほぼ同時に、
「amane を売ってどこか別の場所を買ってもいいかな」 と思ったというはなしだった。

わたしだったら、あそこまで手をかけて自分の好きな空間をつくりあげたら、
そこを手放そうなんて思わないだろうと思った。

でもマルコさんは amane にそれほど執着はしていないと言うし、
マルオさんは、今度は改築ではなく一からストローベイルハウスを造ってみたいと言う。

これはわたしの想像だけど、
たぶんマルコさんとマルオさんは、そのときそのときを大切にして楽しんできただけなのだろう。
何かを達成したり手に入れるためにがんばってきた、というのとは違うのかもしれない。
結果を得ることより、その過程にいつも満足しているのかもしれない。

ふたりとも、以前に働いて貯めたお金で今の現金支出をまかなっているけれど、
それがなくなったらまた働けばいいや、と思っているそうだ。

マルオさんが大事にしている言葉は、「いまここに」。

amane のあの清涼な空気は、
大自然とともに、そんなふたりの心が循環させているのかもしれない、
と思ったところで電車が来た。


マルコさん、マルオさん、そしてモモタさん、幸せな二日間をありがとう~。
by homeopa | 2014-10-23 13:50 |

how to be yourself

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病気は治ることもあれば、治らないこともある。
ある人にとって有効な治療法もあれば、有効でない治療法もある。
ある人が好きな治療法もあれば、嫌いな治療法もある。

病気がその人の生き方やその人らしさを映しだすように、
病気にどう対処するかも、その人の生き方で、その人らしさ。







ある医師の方が書いた記事でちょっと感動したので、
下にコピペ。
こんなふうに寄り添えるお医者さんがもっと増えてくれますように。
引用元はこちら → http://apital.asahi.com/article/nagao/2014101500011.html



2センチの肝臓がんを治療せずに放置した76歳の男性は、
ご夫婦で真面目に、私の外来にずっと通われました。
かなり遠方より通っていただいても、何もすることがありません。

時々採血してみたらPIVKAⅡという肝臓がんの腫瘍マーカー
の値が、初診時に60だったのが1年後には500になり、
1年半後には7400まで上昇していました。

腫瘍マーカーが腫瘍体積と比例すると仮定するならば、1年半で
がんは100倍以上のサイズに成長したことになります。
予想以上のスピードで確実に大きくなってきました。

腹部エコーで見ても、最初は1個だけだったのが、1年後には
数個以上となり、2年後には、数えきれない個数になりました。
そして血液検査では黄疸が少し出てきました。

同時に右のお腹に痛みを訴えるようになりました。
がんの痛みと考えて、麻薬の処方を加えました。
すぐに効果がありました。

かなり遠方の方なので、通院が負担になると考え、近くの知り合いの
在宅ホスピス医に打診してから、そちらに紹介しました。
現在、その先生の外来に通っておられます。

本当は、当初の手紙に書かれていたように最期まで看取ってあげたい
のはやまやまなのですが、保険診療上、それは許されません。
在宅医療は、診療所から16Km以内と定められているのです。

ですから、この場合は在宅医療や看取りを私が行うことは絶対に無理なのです。
しかし過去を振り返れば、クリニックの横に引っ越してきた方が
本当に何人かおられて看取ってきました。

しかし、今回の男性は、現在でも地元で商売をされています。
大好きなお酒も飲んでおられます。
家族や友人やお客さんに囲まれて、楽しい毎日を過されています。

だから尼崎に引っ越さなくても、そこにいればいい。
私がいい先生を紹介するから、と説得しました。
それが私ができる唯一の「恩返し」です。

なにせ、2センチの肝臓がんの自然経過を見せていただいているのです。
現在進行形です。
医者はこうした御縁で、患者さんから多くのことを教わります。

現在の主治医に満足しておられるようで、ホッとしています。
まだ通えるので、近くだし通っているとの電話を頂きました。
いつかは在宅医療となるのでしょうが、まだ大丈夫だそう。

もう私は主治医ではありません。
だから今週、その患者さんのお宅にお邪魔して一緒に
最初で最後のお酒を飲もうと思っています。

2年間も一生懸命、遠く尼崎まで通っていただいたその方の家に
今度は私が行く番です。
実は町医者には、こんな交流が時々あります。

そういえば先日、急逝された黒田裕子さんも肝臓がんでした。
気かついた時には、余命1カ月の末期がんでした。
「あと2年早かったらなあ……」と、専門医は呟いたと。

たしかに2年前だと、もしかしたら助かったかもしれない。
しかし1年前では多分、無理だったように思います。
私の勝手な推測ですが。
2センチの肝臓がんでも、2年で急速に進行するものがある
2センチの段階で手術しても、助かったかどうかは分からない
助からなかった可能性も十分あるが、助かった可能性もある

同じ肝臓がんといっても、がんには多様性があり
しかも時期によって、立ちふるまいが変化します。
極論や一般論だけで対応できないのが、臨床現場です。

年齢が76歳でお酒が好きで、現在でも楽しんでおられる。
麻薬を飲みながらですが、それはそれでいいと思う。
放置するという自己決定を尊重し、最大限寄り添ってきた。

緩和医療の恩恵に、ちゃんとあずかっている。
なにより、現在も生活をしっかり楽しんでいる。
そして家族や仲間とともに、素敵な笑顔がある。

決して悪い選択ではなかったと今、私は思っています。
最初は強く手術を勧めました。医師として当然のことだ
と思いながら、勧めました。仕方がありません。

どんな医者でも、確実にどうなるかは分からないのです。
今思うとこの方は、結果的にタチの悪いがんであったようです。
しかし、それは後から分かることであって、その時点では分かりません。

後から言うのなら、誰でもいいことを言えます。
助かるか、助からないかのどちらかですから。
後から言うことを「後出しジャンケン」といいます。

後期高齢者以降のがんは、いろいろな選択肢があると思います。
延命処置云々の前に、がん治療を受けるか受けないか。
そしてどこまで受けるのか……

こうした究極の選択に寄り添う医師がいれば、患者さんは心強い。

町医者ならそれができる。
在宅ホスピス医なら、最期まで自宅で暮らすのを支えられる。
この方は信頼する仲間の医師に託したので、希望が叶えられるはずです。

                                   (長尾和宏)

(コピペおわり)








Kings of Convenience - Declaration of Dependence (Full Album) ♪









福島原発の現状について  小出裕章さんのインタビュー 2014年10月10日

by homeopa | 2014-10-20 19:39 | 病気

to make myself happy

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自分を幸せにする責任は自分にある。








これは最近、ガガが言った言葉。
すごいなあ、二十歳を前にして、ほんとに大人になったなあ。

でもそういえば、わたしも、同じことを思って家出をしたのが二十歳のときだった。
顔も性格もちがうけど、
こんなところが少し似ているのはうれしい。

あれ以来わたしには、人生の選択に迷ったときにいちおう原則にしていることがある。
それは何かを決めるとき、
何がベストか、何が賢明か、どちらが正解か、と考えるのではなく、
自分はどうしたいか、を考えること。

この方法の利点は、
どんな結果になっても人を責めたり恨んだりせずに済むことだ。
反面、あなたは自分勝手だとか、あなたは利己的だとか、人から責められる危険はあるけれど、
その責めを負うことも自分の責任の一部。

人間は人を責めているときにはゼッタイニ幸せにはなれない。
でも責められているときには、自分しだいで幸せになることもできる。

だから、あとでだれかを責めたり恨んだりしそうな選択は、
できるだけ避けることにしている。

ただのわがままとも言えるけど。









※アーシング または グラウンディング という健康法


※玄米食のデメリットとは


※玄米を短時間で炊く方法

  わたしは水に1~2日浸して発芽させてから、土鍋で炊いています。おいしい。


※頭ジラミの特効薬--- ヘアードライヤー


※盲腸は実は大切な器官だった
by homeopa | 2014-10-16 22:24 | 日々の暮らし

another point of view

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この前の記事で動画を載せた、マララさんのこと。
今年のノーベル平和賞を受賞した彼女を、
世界の多くの人びとが賞賛している。
わたしもそのひとり。

でも、すごいなあ、若いのに腹が据わっているなあ、と思う反面で、
今回の受賞はイスラム過激派やイスラム社会に対する、西欧世界からの批判的プロパガンダではないか、
そうではないとしても、そのように利用されるのではないか、
という思いが少しあった。

そう思っていたところにFBで、
以前マララさんに送られてきたタリバン幹部からの手紙、
というのが流れてきた。
それを読んで、わたしの懸念は少し当たっているかもしれないと思った。
手紙のすべてに賛同はできないし、事実かどうかわからないこともたくさんあるけれど、
心に留めておきたいと思うことがたくさんある。

世の中で起こる事象はどれも、
単純に白と黒で割り切れるものではないなと、今回もつくづく思った。

手紙の和訳はこちらのブログで。

英語の原文はこちら。





さらに、上のブログで紹介されている田中真知さんのブログの記事。
この記事に、わたしはとても共感を覚えた。

最後のほうに出てくるマサイ族のはなしは、
以前にこのブログで描いたヒマラヤのラダックの人たちのはなしにも通じるところがある。

国際的な場で 「教育」 というとき、
それは西欧キリスト教社会の教育を意味することが多い。
そしてそのような教育が未開の地の人びとを進歩させるとか洗練させるとか考えている人も多いだろう。

最近、小田急線が高架になってから、
ほとんどの駅が改装されて、どこの駅もそっくり同じになってしまった。
電車で居眠りしていてはっと目が覚めて外を見ても、
駅の雰囲気だけではもうどこの駅かわからない。
不便だし、味気ない。
教育のグローバル化によって、
世界中の人たちがあの小田急線の駅みたいになったら、
世界はなんてつまらない場所になることだろう。


マララさんは、どういう教育のことを話しているのだろう?
by homeopa | 2014-10-14 18:14 | 世の中のこと

慢性病

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慢性病は身体全体の病気だから、
身体全体が (心もふくめて) 元気にならなければ、本当には治らない。

皮膚の症状は皮膚の病気、
肺の症状は肺の病気、
胃の症状は胃の病気、
心の症状は心の病気、
というような現代医学の考え方に慣れた人から、
「イボがふえてるんだけど、何かいいレメディーはない?」 なんてきかれると、
だから困ってしまう。
(ちなみにイボも、慢性病の症状よ)

そんなときはいちおう、
イボの症状によく効いたという実績のあるレメディーを教えたりはするけれど、
それでイボが消えた場合も、消えなかった場合も、
こちらの気持ちはすっきりしない。
なぜか・・・?



イボが消えた場合は、
イボを生みだした根っこの病気が解決していない可能性があって、
もしそうだとすると、イボはまた再発するだろうし、
再発しなければもっと複雑な重い症状となって現れるだろう。
イボは根っこの問題のはけ口としてあったわけだから、
はけ口だけが消えると、根っこの問題は別のはけ口を見つけなければならない。
はけ口がある限り、根っこの病気はそんなに急には深刻化しない。
つまりイボはサバイバルの手段なのだ。

運がよければ、わたしの教えたレメディーで根っこの問題まで解消される可能性も皆無ではないけれど、
それはとてもまれだと思う。
何しろイボがふえるにはそれなりの事情があったわけで、
そのいろいろな事情を全部考慮してレメディーを選ばなければならないし、
その事情がそっくり解消されるには、
それなりの手順と時間がかかるのがふつうだから。

だからイボが簡単に消えると、
わたしとしてはちょっと罪悪感を覚える。
全身の慢性病を深くしてしまったかもしれないので。

でもいいこともある。
ともかくイボが消えたということで、
ホメオパシーは効果があるみたい、と思ってもらえて、
もしかしたら相談会に来てもらえるかもしれない。
そうしたら根本の問題に取りくめる。



それに対して、イボが消えなかった場合は、
問題のはけ口を消滅させずに済んでほっとする反面、
ホメオパシーって効かないのね、
と思われて、それっきりってなるかもしれない。
そうなったら根本の問題には取りくめない。

あるいは、その人はレメディーで消えなかったイボをなんとか消そうとして病院に行き、
イボを消してしまうかもしれない。
大切な病気のはけ口を。




だからどっちの場合も、残念なわけです。
最初から相談会に来てくれればいちばんいいのだけれど。




「人間の皮膚は、皮膚以外の生きている体全体の関与がなければ、いかなる発疹も生みださない。
さらに言えば、全身の病的な状態、すなわち体全体の異常な状態によって、
発疹が発現するきっかけを与えられ、発現せざるを得ない事態にならなければ、
人間の皮膚は決して病気にはならない」
                            ---- ハーネマン 『慢性病論』






ちょっと関連のある別のはなし。
うちのマイクロトマトに虫がついた。
ハダニという虫らしい。
葉っぱがどんどん枯れて、まだある葉っぱも、せっかく成っている実も、
くもの巣みたいなもので覆われてしまう。
下の写真は、木酢液を薄めたものを噴霧したあとなのであまりひどくないけれど、
その前はくもの巣みたいなところに赤い小さい虫がびっしりついていた。

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青々としげっていた葉がどんどん落ちて、
今はこんなわびしい姿になってしまった。

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くもの巣みたいなものがどんどんはびこったあとでやっと使った木酢液が、
かなり効果を発揮したので驚いた。
濃いめに薄めた溶液を霧吹きでシュッシュすると、
次の日にはハダニの数が激減している。

いろいろ調べると、ハダニは乾燥状態ではびこるらしいから、
木酢液だけでなく、水分のせいでも減ったのかもしれない。
そもそも葉が枯れはじめたのは、
1~2日、水をやりそこねたあとだった。
トマトは水をやりすぎてはいけないと聞いていたので、
控えめにしていたら、いつの間にか水やりを忘れがちになってしまった。
それで乾燥したのがいけなかったのかな。

でもね、木酢液でハダニをやっつけるのは、イボを消すみたいなものだと思う。
ハダニが来たからトマトがだめになったんじゃなくて、
トマトが元気でなくなったからハダニがはびこったんだと思う。
葉が枯れはじめるころから、
鉢の土が細い根っこでびっしりになっているのに気づいた。
きっともうこの鉢では、根っこをのびのび活かしきれないのだ。

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だからたぶん、木酢液で一時的にハダニが減っても、
根っこを元気にしないかぎり、
いずれもっと盛大にハダニがはびこって、
なかには木酢液に強いハダニも生まれるかもしれない。
人間とおんなじ。

ああ、根っこがのびのび伸びられる地面の畑で野菜をつくりたいよう。












※「アナタはご本人様でいらっしゃいますか~動的平衡の中で考える」 福岡伸一


福岡さんて、こんなにいい声だったんだ。
本もおもしろいけど、お話しもおもしろい!
「変わらないものは何ひとつない」




※2014年のノーベル平和章。
憲法9条を維持してきた日本国民は受賞できなかったけれど、
この人が受賞できたのはよかったと思う。史上最年少受賞者の力強いスピーチ!(2013年7月 国連にて)


 上のスピーチ全文和訳

 マララさんはこんな人

 同時に受賞したサティヤルティさん


by homeopa | 2014-10-10 21:47

カルト資本主義

今さらだけど、今年の花火。
三脚も高感度フィルムも使わずにこれだけ撮れればまあ満足かな。
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それはそうと、こんな本を読んだ。
カルト資本主義 (文春文庫)

ある方が、もう読んだので、もし読むなら、とまわしてくださった本だけど、
なかなか面白かった。

目次はこんな感じ。
第一章 ソニーと 「超能力」
第二章 「永久機関」 に群がる人々
第三章 京セラ 「稲盛和夫」 という呪術師
第四章 科学技術庁のオカルト研究
第五章 「万能」 微生物EMと世界救世教
第六章 オカルトビジネスのドン 「船井幸雄」
第七章 ヤマギシ会--- 日本企業のユートピア
第八章 米国政府が売り込むアムウェイ商法
終章  カルト資本主義の時代




オカルトとは、今の科学や常識ではあり得ないと思われるような不思議な現象のこと。
 世の多くの人から見れば、ホメオパシーもこの範疇に入るのだろう。

カルトとは、強力な指導者のもとに大勢の人間がつどい、
 狂信的に彼の考え方を信奉し、それに従ってみなが同じように行動すること。

というのが、ここでのわたしの定義。
たぶん著者も似たような定義にもとづいて論じているんだと思う。

オカルトを信じる人々が、いかにカルトに移行しやすいか。
資本主義を推しすすめている大企業の経営者たちが、
いかにオカルトを利用してカルト的状況をつくりあげ、人々をコントロールしているか。
そんなことが書いてある。

わたし自身は 「気」 は確かにあると思っているし、
目に見えるものだけが世界のすべてではないと思っているし、
バクテリアがわたしたちの生活に貢献してくれていることも事実だと思っているし、
永久機関が実現したらいいなあと希望を抱いているし、
超能力というのも実際にあると思っているし、
自分の人生に起こることはすべて起こるべくして起こるのだろうとも思っている。

著者は上のような考え方をすべてオカルトとして端から否定した上でものごとを考察しているので、
そこはちょっと気に入らないけれど、
でもこの本から学ぶことはたくさんあった。
もともと、「みんなで一緒に」 が苦手なたちなので、その点で共感する部分もある。

何よりも、日本の指導的立場にいる人たちのあいだで、
オカルトがこんなに持てはやされているとは知らなかった。
しかもその持てはやされ方が、お金儲けに利用できるという持てはやされされ方であること、
それにまんまと誘導される人々がたくさんいること、
その流れが国の動向にまで影響していること、
これは頭の片隅に置いておいてもいいことだと思う。


            ※  ※  ※  ※  ※  ※  ※


上の本から、頭の片隅に置いておきたい部分を下にメモ。

  ここまで読んで私は、以前国会図書館で調べ物をした際にたまたま発見し、興味を持った論文を思い
  出した。「現代天皇制とオカルト・ブーム」 と題されたこの論文は、世論調査や独自のアンケート調査
  の結果などから、近年の若者が超能力や新宗教に代表される神秘主義に魅かれており、また彼らの
  天皇制に対する感情が好意的な方向に変化し、併せて権威主義を強めつつある状況を割り出し、
  両者を関連づけた議論を展開していた。
  <特に子ども・青年のなかで、無力感・孤独感・自信のなさ、生きがいの喪失などが広がる一方、
  絶対的・神秘的なものに救いを求める傾向が広がっている。
  他方一九七〇年代半ば以降、政策側は霊的なものの政治利用を急ぐ一方、八〇年代に入り国民
  統合のイデオロギー装置として天皇・天皇制の利用を模索している。そしてその重要な一貫として
  子ども達に 「人間の力を超えたもの」 すなわち、霊や絶対者 (神・天皇) への 「畏敬の念」 を必死
  で育成しようとしている>
        (前島康男 「現代天皇制とオカルト・ブーム」 『熊本大学紀要』 第二十六号一九九二年)



   哀れなるかな日本人は、行き詰まった文明社会に疲れ傷つき、少しでも癒やされたい、人間らしく
  生きたいと願って船井の講演や著書に飛びつく。オカルトに走る。だが、そこに待ち構えているのは、
  ニューエイジというと一見新しいが、日本人にとっては実になじみ深い、伝統的な価値観に過ぎなか
  った。すなわち自己の否定あるいは没我、ないし〝和〟による全体主義。
   したがって船井の言動は、どれだけ浮世離れし、胡散臭く聞こえても、決して〝反体制〟にはなら
  ない。それどころか警察権力さえ後ろ盾になる。
   愛知学院大学教授の高際弘夫 (貿易論) は、日本の集団秩序について論じた 『日本人にとって
  和とは何か』 で、こう書いている。
  <人びとが和集団の形成を完了したとき、すなわち一心同体の群れをなしたとき、特に群れをなし
  て旅行するとき、その構成員は群集心理に全く身をまかせてしまう。あるいは、より正確には群衆
  心理に身をまかすことを要求される。人びとは思考を止め、自制心を失う。この状態における和人
  は、単に粗暴であるにとどまらず、狂気に近い。この群集心理に身を任す行為あるいは心の癖は
  六〇年ほど前の中国への、今となっては理解しがたい、無意味のみならず、破壊的な侵略を続行
  せしめ、そして、その当然の帰結としての全世界を相手とする戦争の原因となった>



  〝無我執〟も〝ポジティブ・シンキング〟も、個人の折々の生活信条の範囲から、断じて逸脱して
  はならない。共通の価値観にさせてしまってはならない。
  そうした思考パターンに〝上〟から誘導され、現実の社会の中で、あたかも〝普遍の真理〟のよ
  うに扱われるようになった時、国家や大企業の指導者層に属していない大多数の普通の人間は、
  今以上に、人間として生きることができなくなる。



  経済的利潤だけでは割り切れない多様な価値観の塊としての人間存在と、企業とは、どこまでも
  共存共栄の関係までにとどめるべきで、ましてや一体化など言語道断である。ところが現状は、
  雇用という最大の社会貢献機能を放棄し剥き出しになった企業の生産性の論理だけが、これまで
  以上に個々の人間、さらには人間社会全体を覆い尽くそうとしている。
  人間の自我を失わせ思考停止に陥らせるオカルティズムが、日本をそのような悲劇に操り導く強力
  なエンジンになっている、これぞカルト資本主義なのだと、私は本書で主張した。しかるに三年後の
  現在、オカルトには必ずしも犯されなかった人びとも含めて、思考停止は日本人の常態になってし
  まった。

  (メモおわり)


      ※  ※  ※  ※  ※  ※  ※  ※


うそはほんとによく似てる
ほんとはうそによく似てる
うそとほんとは
双生児

うそはほんととよくまざる
ほんとはうそとよくまざる
うそとほんとは
化合物

うその中にうそを探すな
ほんとの中にうそを探せ
ほんとの中にほんとを探すな
うその中にほんとを探せ
       ---- 谷川俊太郎





John Lennon -Watching The Wheels (acoustic) ♪







※山本太郎さんの演説 「大企業・大資本のための政治」 2014年9月24日大阪

by homeopa | 2014-10-07 17:41 |

I'll die tomorrow

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スーパーでの会話。

レジの店員: いらっしゃいませ。ポイントカードはお持ちですか?
お客の老婆: いいえ。
レジの店員: カード、おつくりしましょうか?
お客の老婆: いいえ。明日死にますから。


笑ってしまったけれど、
聞けば、このおばあさん、もう90歳だそうだ。
でも目がきらきらして、背筋が伸びて、薄化粧が映える、ほっそり美人。

明日死ぬと思って生きている人は、
すがすがしいなあ。





と、ここでやめておけばいいんだけど、
さらに考えた。

どうせ明日死ぬんだと思って、暴飲暴食したり、
賭け事にはまったり、恨みつらみを周りにまきちらしたり、
原発だってべつにいいじゃんと開きなおる人もいるだろう。

そういう人と、あのおばあさんみたいな人と (よく知らないけど印象で)、
その分かれ道はどこにあるんだろう?

それはもしかしたら、
死をどんなふうに見るか、かもしれない。

自分の生と死を、地球や宇宙や、そういう大きな生命サイクルのひとこまとして見るか、
自分だけのこととして見るか。

今生きているこの身体は死ねば土に帰り、
別の生き物たちの糧となる。
身体から離れた生命 (たましい?) は、またいずれ別の物質を借りて生きる。

そう思えば、あまり汚いことはできないだろう。
自分の身体や心を汚すようなことは。
ま、何が汚くて何がきれいかも、意見が分かれるところだろうけれど。





はなし変わって、
最近の拾いもの・・・・たくあん石的な石。

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これと同じくらいの石を、翌日にもうひとつ拾った。
ふたつ同時に見つけたんだけど、
ふたつ一緒に運んでくるのはちょっとつらかったので。
これで来年の味噌づくりと梅干しづくりはばっちりだな。
でもそれまですることがないようなので、
ドアのストッパーになってもらった。
わりと便利。

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毎日、この前を通るたびに、
「たくあんとか、白菜漬けとかも、得意よ」 と言われているような気がするけど、
今のところ無視している。



これも最近の拾いもの・・・・どんぐり。

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左のはマテバシイという種類らしい。渋くない。
右のは、アベマキか、クヌギか、アカガシか・・・・これも渋くない。

去年はどんぐりご飯、あまりうまくできなかったけど、
今年は生のまま殻をむく方法を発見して、かなりおいしくできた。
でもたくさんつくったので冷凍して、蒸して食べたら、
どんぐりが柔らかくなっちゃっておいしくなかった。
やっぱり、一度に少しずつ、がいいんだな。


一度に少しずつ、といえば、
これはこの前、田舎に行ったときに燃焼実験を行ったウッドガスストーブ

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ちゃんと燃えた!
でもこの量のお湯をわかすのに20~30分かかる。
しかもかなり燃料を食う。
こうやってわかしたお湯は、なんだかとても大切に思えた。

むかしはこんな感じでご飯をつくっていたんだろうから、
そんなにたくさんは食べられなかっただろう。
一度に少しずつ。

それは身体や心を汚さないために、いいことだったのかも。




一度にたくさんの見本はこちら









Niccolò Paganini, 24 Capricci per violino Op. 1 2/2 ♪

by homeopa | 2014-10-05 09:02 | わからないこと