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pain and music

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図書館で調べものをしていたら、
こんな本を見つけた。

「聴くだけでスッキリ痛みがとれる! 」 藤本幸弘著 (ヤマハミュージックメディア)

人間は痛みを脳で感じる。
だから脳を音楽で刺激すれば、痛みをやわらげることができる。

そういうことが書いてあって、
それぞれの痛みにふさわしい音楽が例としてあげてある。

著者はペインクリニックの医師。
もともとオーケストラの指揮者になりたかったそうで、
クラシック音楽には一家言あるらしい。

わたしは目下、痛みに困っていないので、
自分では試せない。
自分で試してもいないのにここに載せるのはどうかと思ったけれど、
これを読んで、どれどれやってみるか、と思う人たちがいて、
その結果を報告していただけたら、
ちょっと面白いなと思って、載せることにした。

だから試した方は、ぜひコメント欄で結果をお知らせいただければと思います。


たとえば・・・

緊張性頭痛
首の凝りやストレスから来ると思われる、
締め付けられるような頭痛や、重い石が載っているような頭痛。
副交感神経を刺激して心身をリラックスさせる、ゆったりとして力強い音楽がいい。

  マーラー 交響曲第5番嬰ハ短調第4楽章

  サン=サーンス 組曲「動物の謝肉祭」白鳥

  マスネ タイスの瞑想曲



片頭痛
脈拍と同じリズムでズキンズキン、ガンガンと痛む。
原因は解明されていないが、
セロトニン分泌が不安定なためという説と、
血管が拡張しすぎるため、という説がある。
(血管が収縮するという説もまたあるらしい)
もし血管が拡張しているとすれば副交感神経が高まっているので、
逆に交感神経を高めるような、高揚感のある音楽がいい。

  チャイコフスキー 組曲「くるみ割り人形」花のワルツ

  ショパン ワルツ第二番変イ長調

  ヨハン・シュトラウス 美しき青きドナウ



いつもの生理痛
排卵期前はいろいろなタイプの曲を聴いてバランスを整え、
排卵期には気分が高揚する楽しい曲を、
生理前には心身が落ち着く曲を、
生理中は血流をよくする曲を。

  モーツァルト クラリネット五重奏曲イ長調第1楽章

  ボロディン 歌劇「イーゴリ公」韃靼人の踊り

  リスト 愛の夢



いつもの腰痛
副交感神経に働きかけるリラックスモードの曲を中心に、
ときどきアップテンポの曲も聴いて、自律神経のバランスを整える。

  ドビュッシー アラベスク第1番、第2番

  ラヴェル 亡き王女のためのパヴァーヌ

  ラフマニノフ ヴォカリーズ



歯の痛み
歯医者さんに行くまで痛みをまぎらわせるには、
思わず口ずさみたくなるような印象的な曲がいい。
大きく口を開け、手足でリズムを取って一緒に歌うと、
脳が刺激され、痛みがまぎれる。
(と書いてあるけど、歯が痛いときにこれってどうなの?)

  ショパン バラード第1番ト短調

  リスト ピアノ協奏曲第1番変ホ短調第1楽章

  ベートーヴェン ピアノソナタ第14番嬰ハ短調第3楽章





       ※  ※  ※  ※  ※  ※


ほかにもいろいろと載っているので、
興味のある方は本を買うなり借りるなりなさってください。
本自体、一押しというわけではないけれど。

ところで、交感神経が高まってピリピリ緊張モードのときに、
副交感神経を高めるようなリラックス系の音楽を聴くというのは、
症状と逆の作用をするものを与えるわけだから、
アロパシー?

だとしたら、聴いたときは一時的に痛みが治まっても、
あとでもっと痛くなったりするんだろうか?

音楽のホメオパシーというのもありえるだろうか?
たとえば激怒しているときに、
パンクロックを超低音量で聴いたら、
作用・反作用の法則がはたらいて、
(怒りのエネルギーに対する反対のエネルギーが発動して)
すーっと怒りが解消されたりするだろうか?

毎日聴きつづけているとイボができちゃう音楽なんてないかな?
イボのある人がそれを超低音量で毎日聴きつづけたら、
イボが消えたりしないだろうか?

音楽もエネルギーだから、
そういう作用があってもよさそうだけど。

ただ、音楽はほとんどが心身によい作用をもたらすものだから、
病気のエネルギーと共鳴するものは少ないかもしれない。
その意味で、フラワーエッセンスとか、マザーチンキみたいなものかな。

いや、そんなことないな。
自分に合った音楽なら気持ちよくなるけれど、
合わないと何も感じなかったり、不快だったりする。

人の写真ブログなど見ていて、
写真に共鳴しても、音楽に共鳴できないことがよくある。
音楽に共鳴しても写真に共鳴できないことはあまりない。
だから聴覚は視覚よりもっと原始的な根源的な感覚なのかな、
と思っていたら、
この本にそんなことが書いてあった。

視覚・触覚・味覚は、大脳皮質連合野という新しい脳で知覚する。
聴覚・臭覚は、大脳辺縁系という古い脳で知覚する。

だとしたら音楽はマザーチンキというより、
鉱物の根本レメディー (抗疥癬レメディー) のようなものかな。
各人の病気よりも体質に共鳴するレメディーで、
病気にかかりやすい傾向をなだめるレメディー・・・・

いや、やっぱり曲によるのかもしれない。
植物や鉱物のレメディーに、強毒性のものとそうでないものがあるように、
音楽も毒になるものと、そうでないものがある気がする。

うーん、わからない・・・・・







※人から拒否されることが 「実は最高」 な理由。
  おもしろそうと思って読みはじめたら、
  おもしろい上に、妙に感動してしまった。
  人間、捨てたもんじゃないな。
  それにしても日本の勤労者とアメリカの勤労者のちがいにはため息が出る。
  日本だったら、「ちょっとお待ちください、上司にきいてまいります」
  てなことになるような場面で、
  アメリカでは現場のスタッフがその場で考え、責任をもって決定している。
  まわりもそれを認めている。
  これがオトナの社会だよね。
by homeopa | 2014-01-30 09:00 | 病気

I don't wanna see it.

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ちょっといいことがあった。
少し前の記事で、症状の意味とか、症状の示すものについて書いたけど、
それに関連するような直接体験。

つい先日、あることをきっかけに、
わたしの中の不安が巨大にふくれあがって、
いたたまれないような状態になったことがあった。

胸のあたりがざわざわもやもやして、手は冷たーくなり、落ち着いて座っていることができない。
夕食は食べても味がしないし、飲みこんだものは消化されない。
妄想がふくらんで、最悪のことばかり考える。

その晩は Acon や Ars を飲んで寝た。
眠れないかと思ったら、けっこうすんなり寝て、
朝起きたら、まだ胸のあたりがもやもやした気分だった。

それからヨガをやっているうちに、
ふと、言葉が浮かんできた。

わたしは人に頼りたいんだ、だれかに助けてほしいんだ。

そしたら胸がふわーっとほどけたようになって、
目からはらはらと涙が出てきて、
静かに泣きながらしばらく横になっていた。

少しして起きあがったら、
胸がざわざわするようなあの不安がなくなっていた。
身体も軽くてのびのびしている。

これだけ。

不安のきっかけになった現実は今も存在しているのに、
心は穏やか。



わたしは、人に頼りたい、助けられたい、寄りかかりたいという気持ちがあったのに、
ないふりをしていた。
見たくなかったんだな。

なぜ見たくなかったのか、その理由はいろいろ考えられる。
たとえば、
人に頼るのはいけないことだ。
頼れる人なんかいない。
頼ったら嫌われる。
頼るのは情けない。
頼るのは人に迷惑だ。
頼るのはかっこ悪い。
頼るのは弱虫だ、弱虫にはなりたくない。
頼ると縛られる。
人に頼る自分は好きじゃない。

ほかにもあるかもしれないけど、
理由を厳密に分析することは、そんなに重要じゃないかもしれない。

単純に、わたしは人に頼りたいという気持ちを抑圧していて、
今その抑圧がとれたということだ。
いいも、悪いもない。
ただそれがそこにあることを受けれたということ。

それだけでこんなに解放されるんだ。

考えたら、子どものころのわたしは、よくメソメソ泣いていた。
本当によく泣く子だね、とか言われていた。
反面、そういう自分がいやだったりもして、
もっと強くなりたいと思っていた。

そしていつの間にかあんまり泣かなくなって、
自立心も人一倍強くなったけど、
その過程で、この気持ちをないものにしていた。
それはわたしにとって、あってはいけない感情だった。




症状は心に代わってそういう感情を表している、
というのはよく言われることだ。

一方で、こんなことを言う人もいる。
見たくない感情があると、
脳が身体に命じて症状を出す。
心はその症状に気をとられるので、見たくない感情を見なくてすむ。
症状は感情を表しているというより、感情を自分の目から隠してくれているのだ。
だからいったん心がその感情の存在を認めたら、
症状は目隠しの用をなさなくなって消えていく。

わたしの不安もそうやって消えたのかな。
いずれにしても、自然はすごい。
こうやって解放されるためのチャンスをたびたび与えてくれる。


【追記】
そういえば強烈な不安を覚えた翌日から、
左手首に発疹が出て、ものすごく痒かった。
かくとどんどん広がったけど、
3日後の今はもう痒くない。
あれは、見たくない感情の代わり、もしくは目隠しとして出たのかな?
出てみたものの、用無しになってひっこんだのかな?







Youn Sun Nah - Same Girl ♪








※安保徹氏講演 『免疫革命・新がん革命!はじめてがんの原因が分かった!』

 話の内容ももちろんおもしろいけど、この語り口も秀逸!
 「真面目は、危険です」 (笑った)
by homeopa | 2014-01-28 10:45 | 自然のちから

coat

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大好きなコートを直した。

かけはぎは、ユーチューブでふたつのやり方を見つけて、
まずはこの方法で右肩前のすり切れた部分に対処。



右肩前 お直し前
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                        ↓↓
お直し後
布地の織り目をまったく理解していないので、でたらめ。
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右肩上のすり切れは、この方法で直した。



右肩上 お直し前
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                        ↓↓
お直し後
これもでたらめ。
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裏も替えた。
電動ミシンはあるけど嫌いなので、手縫いでチクチク。
もし今度のクリスマスに、サンタさんが、何が欲しい? ときいてくれたら、
足踏みミシンか、顕微鏡! と答えよう。
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友だちに、「どうせ替えるならかわいい綿の生地かなにかにすれば」と言われ、
そうしよう、そうしようと、生地屋さんでいちばん安いくせに気に入った生地を見つけて買ってきた。
ほんとは赤地に小さなペイズリー模様の生地が欲しかったんだけど、売っていなかった。
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肩の前は離れて見るとこんな感じ。
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ひどいもんだけど、
どしろうとが初めてがんばったということで、
100点満点!

なんでもやればできるもんだ。
できばえさえ気にしなければ。

そして、なんでもやれば学ぶもんだ。

今回学んだのは、なぜ裏地にはいつもあんなにツルツルした生地が使われるか。
中の衣類との摩擦を少なくして、着ているときに体にまとわりつかないようにするためなのだ。
そんなこと、ほかの人はわかっているのかもしれないけど、
わたしはいま身をもって学んだ。
あんな、やたらにツルツルすべすべして、なに考えてるんだか感じてるんだかわからないような化繊の生地にも、
ちゃんと大事な役目があるのだと。
綿の(たぶん)布を裏地にしたこのコートを着て歩いていると、
裏地がズボンにしがみついてくるのよね。
ま、それもかわいいけど。




           ※  ※  ※  ※  ※  ※  ※  ※




※映画 「100,000年後の安全」 2014年2月10日正午まで無料配信中
  この映画はわたしも原発事故の直後に見て、暗澹たる気持ちになりました。
  でもこれが現実です。
  日本人みんなが見ておくべき映画だと思います。
  (映画の感想)
by homeopa | 2014-01-25 21:10 | こだわり

a child and a symptom

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だいたいお母さんてものはさ
しいん
としたところがなくちゃ
いけないんだ
        ---- 茨木のり子 「みずうみ」





上は、この前の講座に参加してくださった方から教えていただいた詩の一節。
これがきっかけになったのかどうか、
翌日、ふと思った。

子どもと、症状は、似たところがあるなと。

子どもはときどき、だだをこねたり、反抗的になったり、黙りこんだりする。
部屋に閉じこもったり、学校に行きたくないと言いだしたり、
それまでひとりでできていたことが急にできなくなったりして、
親を手こずらせる。

そうなると親は、つい考えはじめる。

何が原因なのだろう?
何がいけないのだろう?
友だちと何かあったのだろうか?
睡眠不足で疲れているのだろうか?
食事がいけないのだろうか?
わたしの育て方がいけなかったのだろうか?

こうやって考えているとき、
親は子どもを見ていない、子どもを聴いていない。
子どもはただ、じっと見て、聴いて、受けとめてもらいたいと思っているのに。
わたしもガガにそれを指摘されて反省したことが何度もあった。



症状も同じ。
症状には必ず原因がある、だから原因がなくならなければ症状もなくならない、
とはよく言われること。
それは事実だけれど、そのせいか、症状が出ると必死で原因をさがそうとする人が多い。

その様子を見ていると、胸のあたりが苦しくなる。
なんか違う、なんかおかしい、と思う。
でも何がおかしいのか、わからなかった。

それが先日、わかった。
症状も子どもと同じように、
ただじっと自分を (症状を) 感じて受けとめてほしいと思っているのだ。
でも頭をひねって原因さがしをしている人は、症状をひたすら感じて受けとめることができない。



子どもが手に負えなくなったとき、
その原因を探ろうとする心の根っこには、
ネガティブな思いがある。

この子はおかしい、この子はどうかしてしまった、この子はこんなふうであってはいけない。
だから早く原因を探して、それをなくして、元の状態に戻さなければ。

子どもはこの逆のことを求めているのだ。
今そのときの自分をそのまま感じとってほしいだけなのだ。
しいん、と心を澄まして。

そっくり受けとめられた子どもは、
そこから自分の力でまた歩きはじめることができる。



症状もそう。
心を澄まして症状を感じていると、
うまくすれば、そこに意味が浮かんでくる。
たとえば、「もうやだよ、休みたいよ」 とか、「泣きたいよ」 とか、「怖いよー」 とか 「なぐってやりたい!」 とか。

これは原因とはちがう。
原因はそういう意味をもたらすことになった過去の事情。
意味は、今そこにあること。

症状が出たら、考えるのをやめて、しいんと受けとめてみよう。
あぶり出しみたいに意味が浮かんできたら、
きっと症状も役目を終えて満足する。

もちろん原因を知ることは大事だけれど、
今そこにある意味に気づくだけで、原因がもう原因でなくなることも多い。
見まい聞くまい感じるまいとしていたものに気づいて、蓋がはずれて、エネルギーが流れはじめるからだろう。



てなことを、上の詩の一節を知ったあとで思ったわけだけど、
この詩全体はどんなものなのかと調べてみたら、
だいぶ違う意味のある詩だった。
こんな詩。


      ※  ※  ※  ※  ※  ※  ※  ※  ※


だいたいお母さんてものはさ
しいん
としたとこがなくちゃいけないんだ

名台詞を聴くものかな!

ふりかえると
お下げとお河童と
二つのランドセルがゆれてゆく
落葉の道

お母さんだけとはかぎらない
人間は誰でも心の底に
しいんと静かな湖を持つべきなのだ

田沢湖のように深く青い湖を
かくし持っているひとは
話すとわかる 二言 三言で

それこそ しいんと落ちついて
容易に増えも減りもしない自分の湖
さらさらと他人の降りてはゆけない魔の湖

教養や学歴とはなんの関係もないらしい
人間の魅力とは
たぶんその湖のあたりから
発する霧だ

早くもそのことに
気づいたらしい
小さな
二人の
娘たち
          (茨木のり子『落ちこぼれ』から「みずうみ」理論社)




      ※  ※  ※  ※  ※  ※  ※  ※  ※  ※



この詩を教えてくださった方は、
前の記事に載せた内向的な人の動画を見て、この詩を思いだしたのだそうだ。
なるほどー。




マーラー:交響曲 第5番 嬰ハ短調 第4楽章 アダージェット ♪








※Mapping How Emotions Manifest in the Body
「the Proceedings of the National Academies of Sciences」に発表されたフィンランド人研究者の報告。
感情の種類によって、どんな人もだいたい同じような身体部分が影響を受けることがわかった。
701人の被験者を対象にして、
感情的な言葉を聞いたり、物語りを読んだり、映画を見たり、顔の表情を見たときに、
自分の身体のどこが反応したかを、人体図に色塗りさせた。
反応がいちばん強く感じられたところが白~黄色、
弱く感じられたところが青。

(図の左上から)
怒り  恐れ  嫌悪  幸せ  悲しさ  驚き  自然
不安  愛 落ち込み 軽蔑  プライド  恥   ねたみ





※安保徹さんのおはなし。風邪のこととか、体温のこととか、基本をおさえています。
  このとつとつとした話し方、大好き。
  インタビュアーがだれかに似ている。






※ネオニコチノイド系農薬の規制緩和に反対する署名
  2月3日正午しめきり
by homeopa | 2014-01-23 09:07 | 病気

introverts (字幕を書き写しました)

前の記事に載せた動画の字幕を書き写しました。
(文字数が多すぎて、同じ記事に載せられなかったのでこちらに)



9歳のとき初めてサマーキャンプに参加しました。
母はスーツケース一杯に本を詰め込んでくれましたが、
私にとってはごく普通のことでした。
私の家では読書が主たるグループ活動だったからです。
非社交的だと思うかも知れませんが、
私たちにとってはそれが一種の交流方法だったんです。
家族がそろっていて、人の温かみを感じながら、
心の中の冒険の国を自由に飛び回ることができたのです。

キャンプではそれと同じことを大がかりにするんだろうと思っていました
10人の女の子が山小屋でおそろいのパジャマを着て、
一緒に読書するのを想像していました。

でもキャンプはむしろアルコール抜きのビヤパーティに近いものでした。
キャンプ初日にリーダーの人が私たちを集めてチアを教えました。
キャンプの精神を再確認するために、これから毎日やるんだと。
こんな感じです。
「R-O-W-D-I-E これがラウディのつづり方、ラウディ、ラウディ、さあラウディに行こう!」

どうしてこんなに騒がしくするのか、訳がわからなかったし、
なんで間違ったスペルを使っているのかもわかりませんでした。

それでもチアを覚えました。
他のみんなと一緒に一生懸命やりました。
早く解放されて本を読みたいと思いながら。
でもスーツケースから本を取りだしていたら、
部屋でいちばんいけてる女の子が来て、
「なんでそう醒めてるわけ?」と言いました。
醒めてる? 確かにR-O-W-D-I-Eとは正反対ですね。

その次に本を取りだしたときには、
リーダーが心配顔でやってきて、
キャンプの精神を繰りかえし、
みんなめいっぱい活動的にやらなければいけないと言いました

それで私は本をスーツケースに戻してベッドの下に押し込み、
キャンプが終わるまで手を付けませんでした。
そのことで何か罪悪感を感じました。
本たちが自分を必要としているように思え、
私を求めているのに見捨ててしまったように感じました。
でも夏の終わりに家に戻るまで、
私は本たちを見捨てて、スーツケースを開けることはありませんでした。

サマーキャンプの話をしましたが、
似たような思い出なら他に50くらいもあります。
静かで内向的なのはよくない、もっと外向的になるよう努力すべきだ、
というメッセージをいつも受け取っていました。
そして心の中で、そんなの間違っている、
内向的なことに悪いことなんてないのにと感じていました。

でもそういう直感をずっと押し殺していて、
こともあろうに金融街の弁護士になりました。
ずっとなりたかった作家ではなく・・・・

自分だって大胆で積極的になれるんだと、
証明したかったのもあると思います。
そして賑やかなパーティによく出かけました。
本当は友達と落ち着いて食事する方が好きだったのに。
そういう自己否定的な選択をほとんど反射的にしていて、
自分では選択していることに気づいてもいませんでした。

これは内向的な人の多くがしていることで、
本人にとって損なことですが、
同時に同僚やコミュニティにとっても損失であり、
大げさに聞こえるかもしれませんが、世界にとっても損失なのです。
なぜならクリエイティヴィティやリーダーシップという面で、
内向的な人に実力を発揮してもらう必要があるからです。

全人口の1/3から1/2は内向的です。
皆さんの知り合いの3人か2人にひとりは内向的だということです。
だから自分は外向的だったとしても、
同僚や配偶者や子どもたちや、
今隣に座っている人は内向的かもしれません。

その人たちはみんな、社会に深く根ざした現実の偏向によって、
不利を被っているのです。
私たちはみんなそれを言い表す言葉も知らない。
幼い時期からそれを内面化しているのです。

その偏向がどんなものか把握するには、
内向的なのがどういうことか理解する必要があります。
これは内気とは違います。
内気とは、社会的に判断されることへの恐れです。
内向的であるというのは、
社会的なものも含め、刺激に対して、どう反応するかということです。
外向的な人は多くの刺激を必要としますが、
内向的な人はもっと静かで落ち着いた環境にいるときに、
生き生きとして能力を発揮できるのです。
いつもそうとは限りませんが、
多くの場合そうだということです。

だからみんながその才能を最大限に発揮できるようにするには、
その人に合ったレベルの刺激の中に身を置く必要があるのです。
しかしここで偏向が問題になります。
もっとも重要な組織である学校や職場が、
外向的な人向けに作られており、
外向的な人は多くの刺激を必要とします。

さらに今私たちが持っている信念体系は、
「新集団思考」と私は読んでいますが、
創造性や生産性はもっぱら何か社交的な場から生まれるとしているのです。

今の教室はどんな風でしょう?
私が子どものころは、机が列に並べられていて、
ほとんどの作業を個人個人でやっていました。
でも今時の教室では、4人から7人ごとに島になって、
子どもたちは多くのことをグループ課題としてやっています。
思考の単独飛行に依存するであろう数学や作文でさえその調子で、
子どもたちは委員会のように振る舞うことを期待されています。
単独で行動することを好む子は、
はぐれ者とか、さらには問題児と見られてしまいます。

教師のほとんどは、
理想的な生徒は内向的ではなく外向的なものだと思っています。
実際には内向的なほうが成績が良く、知識があるのにもかかわらず。
・・・そういう調査結果があるんです。

同じことが職場についても言えます。
多くの人が壁のない開放的なオフィスで仕事をしています。
絶えず雑音や他人の視線にさらされています。
そしてリーダーシップが必要な役割からは、
内向的な人はいつも除外されています。
内向的な人は注意深く、大きなリスクは避けるという長所があるのに。
もっとも近頃では大きなリスクを取るのが好まれているみたいですけど。

ペンシルバニア大学のアダム・グラントが興味深い研究をしています。
内向的なリーダーは外向的なリーダーよりも、
良い結果を生むことが多いというのです。
内向的なリーダーは、
積極的な社員がアイデアを出して活躍できるようにさせる一方、
外向的なリーダーは気づかぬうちに、
何でも自分で仕切ることに夢中になって、
他人のアイデアがなかなか表に出なくしてしまうのです。

実際、歴史上で変革を成し遂げたリーダーには、
内向的な人がたくさんいます。
たとえばエレノア・ルーズベルト、ローザ・パークス、ガンジー。
彼らはみな自分を無口で静かな話し方をする、
むしろ内気な人間だと言っています。
そして彼らは表に立つことを嫌っていたにもかかわらず、
世の注目を浴びることになりました。
そのこと自体が彼らに特別な力を与えています。
人に指図したり注目を浴びるのが好きでやっているのではなく、
自分が正しいと信じることのため、
他に選択肢がなくてやったのだと、みんな気づくからです。

ここで一つ言っておきたいのは、
私は実際、外向的な人たちが好きだということです。
もっとも親しい人の何人かは、私の夫も含め、とても外向的です。
そして私たちはみんな、
極端な内向から極端な外向までの間のどこかにあたります。
内向的・外向的という言葉を広めたカール・ユングでさえ、
純粋に内向的な人や純粋に外向的な人というのはいなくて、
たとえいたとしても精神病院の中だろうと言っています。

内向的と外向的のちょうど中間というような人たちもいて、
両向型と呼ばれています。
彼らは両方の良い面を併せもっているように見えます。
でも多くの人は自分を内向的か外向的かのどちらかだと思っています。

私が言いたいのは、
文化的に、両者をもっとうまくバランスさせる必要があるということです。
陰と陽のように両方必要なのです。
これは特に創造とか生産性といった面で重要になります。
極めて創造的な人々の人生を心理学者が研究したところ、
彼らはアイデアを交換し発展させることに優れている一方、
非常に強い内面的な面を持つことがわかったのです。
孤独が得てして創造性の重要な要素になっているからです。

ダーウィンは長い時間、森の中をひとりで散歩し、
パーティの招待はきっぱり断っていました。

ドクター・スースとして知られるセオドア・ガイゼルは、
あの数々のすばらしい創作を、
カリフォルニア州ラホヤの自宅裏にある孤独な塔のような書斎で生み出しました。
彼は実際、読者である小さな子どもたちに会うのを恐れていました。
陽気なサンタみたいな人を予想している子どもたちを、
無口な自分はがっかりさせてしまうと思ったからです。

最初のアップルコンピュータを作ったウォズニアックアは、
当時働いていたHPで、いつも自室にひとり閉じこもっていました。
子どものころいつも家に閉じこもっているような内向的な性格でなければ、
技術を極めることもなかっただろうと言っています。

これはもちろん、共同作業など一切やめろということではありません。
良い例はスティーヴ・ウォズニアックがスティーヴ・ジョブズと、
アップルコンピュータを始めたことです。
その一方で孤独もまた大切であり、
ある人々にとってそれは呼吸する空気のようなものなのです。

実際、私たちは何世紀にもわたって、
孤独の持つ超越的な力を知っていました。
それを忘れるようになったのはつい最近のことなのです。
世界の主要な宗教を見ると、どの中にも探求者が現れます。
モーゼ、イエス、仏陀、ムハンマド。
探求者はひとりで荒野をさすらい、その中で顕現や啓示を得ます。
そしてそれをみんなのいるコミュニティへと持ち帰るのです。
だから荒野なくして啓示はないのです。

現代心理学の知見に照らすなら、
これは不思議なことでも何でもありません。
グループの中にいると他の人の意見を無意識にまねるようになります。
どんな人を魅力的に感じるかというような、
一見個人的で直感的なことでさえ、
自覚することなく周りの人の見方に合わせるようになるのです。

グループというのは、
その場の支配的ないしはカリスマ的な人の意見に従うものです。
優れた話し手であることと、アイデアが優れていることとの間に、
相関なんて全くないにもかかわらず。

だから・・・
一番良いアイデアを持つ人に従っているのかもしれないし、
そうでないのかもしれません。
でも本当に運任せにしておいて良いのでしょうか?
みんなひとりになって、グループの影響を離れて、
自分のアイデアを出し、
それから集まって、よく管理された環境で話し合うほうが、
ずっと良いのです。

これがすべて本当なら、
なぜ私たちはこんなに間違ったことをしているのでしょう?
なぜ学校や職場をそんな風にしたのでしょう?
なぜ内向的な人が時々ひとりになりたいと思うことに、
罪悪感を持たなければならないのでしょう?

一つの答えは文化の歴史の中にあります。
西洋社会、とくにアメリカにおいては、
つねに「考える人」よりも「行動する人」が好まれてきました。
むしろ「行動する男」ですね。
しかしアメリカでもその初期においては、
歴史家が「品性の文化」と呼ぶ次期があって、
人の内面や倫理的な清廉さが重んじられていました。
当時の自己啓発書を見ると、「品性の修養」のような題名が付いています。
ロールモデルはエイブラハム・リンカーンのような謙虚で高ぶらない人です。
エマーソンはリンカーンについて、
「自分の優位性で人を不快にすることが決してない」と言っています。

しかし20世紀になると、
歴史家が「個性の文化」と呼ぶ新しい時代に入ります。
農業経済から大事業の時代へと変わり、
人々は小さな町から都市へと移り住みました。
子どもの頃からずっと知っている人たちと一緒に働く代わりに、
知らない人の集団の中で自分の能力を示さなければならなくなりました。
そして必然的に、魅力やカリスマ性のような資質が突然重要になったのです。

自己啓発書もこの新しいニーズに合わせて変わり、
『人を動かす』のような題名が付くようになりました。
そこでロールモデルになっているのは、優れたセールスマンです。
それが私たちの住んでいる世界です。
私たちが文化として引き継いでいるものです。

これは別に社会的スキルが重要でないということではありません。
チームワークなんか捨ててしまえと言っているわけでもありません。
賢人を孤独な山へと向かわせたのと同じ宗教が、
私たちに愛や信頼を教えているのです。
科学や経済といった領域で私たちが今直面している問題は、
非常に大きく複雑で、
解決するにはたくさんの人が手を携え協力する必要があります。

私が言っているのは、
内向的な人に自分らしくやれる自由をもう少し与えたなら、
彼らはそういった問題に対し、
独自の解決法を考え出してくれる可能性が高くなるということです。

私のスーツケースの中身をお見せしましょう。
何が入っていると思いますか?

本です。
スーツケースいっぱいの本が入っています。
マーガレット・アトウッドの『キャッツ・アイ』、
ミラン・クンデラの小説、
マイモニデスの『迷える者への導き』。
でも本当は私の本ではありません。
この本を持ってきたのは、
それが祖父の好きだった作家の書いた本だったからです。

私の祖父は男やもめのラビで、
ブルックリンの小さなアパートにひとりで住んでいました。
それは子どもの頃私が世界で一番好きだった場所です。
ひとつには祖父の優しく奥ゆかしい存在がありましたが、
もうひとつは本でいっぱいだったからです。
アパート中のテーブルも椅子も、本来の役割を捨てて、
すべて傾いた本の山の置き場になっていました。

私の家族のみんなと一緒で、
祖父もまた何よりも本を読むのが好きでした。
でも祖父はまた集会も好きでした。
62年間ラビとして毎週与えつづけた説教に、
その愛を感じとることができます。
毎週の読書から素敵なものをえり抜いて、
古風で人間的な思想の繊細な織物を織り出していました。
そしてたくさんの人が祖父の話を聞くために集まりました。

しかし祖父の問題は、儀式上の役割の裏にあったのが、
本当に謙虚で内向的な人柄だということで、
説教をするときにもうまくアイコンタクトを取ることができませんでした。
62年間説教してきた聴衆であるにもかかわらずです。
演題から降りてさえそうで、
誰かが話しかけても会話と突然打ち切ることがよくありました。
相手の時間をあまり長く取るのを恐れていたのです。

でも祖父が94歳でなくなったとき、
警察は近所の通りを通行止めにする必要がありました。
あまりにたくさんの人が追悼に訪れたためです。

だから今では私も自分なりに祖父の模範から学ぼうと努力しています。
最近、内向性についての本を出したのですが、
書くのに7年かかりました。
私にとってその7年は至福の時でした。
ひたすら読書し、書き、考え、調査する。
祖父がひとり書斎で過ごした時間の私のバージョンです。

しかしここに来て突然、私の仕事が大きく変わりました。
人前で内向性について話すという仕事です。
私にはずっと難しく感じられます。
皆さんの前に立つことはとても光栄なんですが、
私の自然なあり方とは全然違うのです。
だからこのような機会に備えるために精一杯努力しました。
去年はあらゆる機会を利用してスピーチの練習をしました。
今年は「危なげにスピーチする都市」だと肝を据えています。

練習はとても役に立っていますが、
さらに力になっているのは、私が持っている感覚、信念、希望です。
内向性や無口や孤独に対する人々の態度が
劇的に変化する一歩手前にあると思います。
本当にそうです。
この展望を共有していただける方に、
三つの行動の呼びかけをしたいと思います。

第一に、絶えずグループ作業するなんてばかなことはやめましょう。
お願いします。
(拍手)
ありがとうございます。

はっきりさせておきたいんですが、
職場では打ち解けたカフェのような、
おしゃべりによる交流を促すべきだと思います。
人々が会って偶然的にアイデアを交換するようなやり方です。
これは内向的な人にも外向的な人にもすばらしいものです。

しかし私たちにはもっと、
職場におけるプライバシーと自由と自立性が必要です。

学校も同じです。
子どもたちに一緒に作業する方法を教えるべきですが、
自分で作業する方法も教える必要があります。
これは外向的な子どもにも重要です。
自分で作業する必要があるのは、
それが深い思考の生まれる場所だからです。

第二に、荒野に行きましょう。
仏陀のように、自分の啓示を見つけましょう。
みんな今すぐ出かけて森の中に小屋を作り、
互いに話すのをやめましょうと言うのではありません。
私が言っているのは、電子機器から離れて自分の頭の中に入る時間を
もっと増やしましょうということです。

第三に、自分のスーツケースの中身をよく見て、
なぜそれを入れたのかを考えてみましょう。

外向的な人はスーツケースに本が詰まっているかもしれませんし、
たくさんのシャンペングラスかスカイダイビングの装備が
入っているかもしれません。
それが何であるにせよ、様々な機会にそれを取りだして、
自分のエネルギーと喜びを他の人にも分け与えてください。

内向的な人はきっと、
自分のスーツケースの中身を守りたいという衝動を感じると思います。
それは構いません。
でも時々はスーツケースを開いて見せてほしいのです。
世界はあなたと、あなたが持っているものを必要としています。

皆さんに最良の旅と静かに話す勇気がもたらされますように。
どうもありがとうございました。
by homeopa | 2014-01-20 11:56 | 人間

introverts

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自分について自慢できることはありますか? ときかれたら、
腐るほどあります、と答えるだろう。

たとえば、
(1) 家事・衛生・身だしなみといった分野で、非常に大らかであること。 
(2) 財務管理の分野では、非常に繊細・緻密・細心であること。 
(3) 教育の分野では、つねに子どもを信頼できること。 
(4) 仕事の面では、つねに謙虚であること。 
(5) 人の話を聞くのがうまいこと。 
(6) 人生に対して楽観的であること。 
(7) 健康管理がうまいこと。

           注釈:(1) 言いかえれば、ずぼら・不潔・むさくるしい。
              (2) 言いかえれば、ケチ。
              (3) 言いかえれば、何もしない怠慢な親。
              (4) 言いかえれば、野心も自信もない。
              (5) 言いかえれば、右耳から左耳に抜けている。
              (6) 言いかえれば、現実分析が甘い。
              (7) 言いかえれば、症状がないふりをするのがうまい。



まだまだあるけれど、
あとひとつだけ付け加えるとしたら、内向的であること、というのがある。
これは最近、自慢リストに加わった。

小学校中学年ぐらいまでは何も考えず、
3~12歳の男女入りまじった近所の子どもたちとサルのように遊んでいた。

それが思春期に入って自意識が出てきたころから、
めっきり内向的になり、
ひどいときは人間恐怖症のようになって、
道路で向こうから人が歩いてくると胸がドキドキして、目がチクチクして、
目を開けていられなくなったりしたこともあった。
さいわい、ここまでひどいのは中学時代の一時期だけで済んだけど。

内向性は大人になっても変わらなかった。
ガガがバスケのクラブに入って、親が見守りなどに行くようになると、
どうやって他のお母さんたちに混じったらいいのかわからないので、
ひとりで編み物なんぞをしていた。
いわゆる、からみにくい人。

どこそこの何がおいしかったとか、
どこそこでバーゲンをやっているとか、
そういう世間話的な話題に乗っていけないのだから、話すことがない。
どこそこのご主人がイケメンだという話題なら、
乗りはしないものの耳はそばだてたりしただろうけど。

一対一ではさほど困らないのに、
大勢のなかにいると居心地が悪い。
なぜかいつも自分だけ異質な気がする。
そういうときは、早く家に帰ってあの本の世界に浸りたいなあ、と考えたりする。

最近はそんなわたしがフェイスブックなんかやっている。
でもあれはわたしにとってはソーシャルツール (社交の道具) ではなく、情報収集ツール。
テレビや新聞の代わりにあそこから情報をもらっている。
多くの人と友だちになりたいとか接触していたいという欲求はほとんどない。

だからガガが高校に入って級友のことで悩んだとき、
「教室でひとりでいるのは恥ずかしい。友だちがいないのは恥ずかしい」 というのを聞くと、
恥ずかしいと思うのはまちがいだ、と思いつつ、その気持ちもわからないではなかった。
わたしも居心地の悪い思いはしていたから。

「べつにいいじゃん。あたしなんか高校のとき、教室でひとりで本を読んでたよ」
となぐさめるつもりで言うと、
「そういう人になりたくないの!」
と言われて二の句が継げなかった。

世の中にはどんな場にも一定の割合でそういう人がいるのが自然だし、
そういう人は、深く知るとけっこう面白かったり賢かったりするんだぞ!

と言いたかったんだけど。

そのくせ下の動画を見て、「ほーれごらん!」 とうれしくなったのは、
もしかしたら心の底のほうに、
外向的になれないわたしはペケ? という気持ちがあったからかもしれない。

そもそも、内向的な自分を自分で肯定していたら、
人の群れの中に溶けこめなくても、さほど居心地の悪い思いはしなかっただろう。
その証拠に、外向的になろうと無駄な努力をしていた時期も、
今思えばたしかにあった。
その時期のわたしを知っている人は、
わたしを内向的な人間だとは思わないかもしれない。

最近は自意識が鈍感になったのか枯渇したのか、
あるいは単に怠惰になったのかわからないが、
そういうことに以前ほどはわずらわされなくなった。
年をとると、こういうありがたいことがある。
そしてこの動画を見てからは、内向的であることを自慢リストに加えてしまった。
ああ、シンプルマインド!

みんなが外向的になる必要はないし、
みんなが内向的になる必要もない。
どちらがいいというはなしではない。

みんなそれぞれに適した役どころがあって、それぞれの居場所があるってだけのことだ。

わたしは夏になるとそうめんを食べるけれど、
子どものころ、実家ではいつも冷や麦が出された。
冷や麦にはかならずピンクと緑色のものが少しだけ混じっている。
わたしも姉も妹も、その数少ないピンクか緑色のものを食べたがった。
味は変わらないのに。

群衆に溶けこめない人も、こんなものかもしれない。
みんな違うという点では、みんな同じなのだ。
ちょっと色が違うだけで。

でも群衆の無言の暴力というのは、やっぱり存在する。
そういう暴力に傷ついている少年少女がいたら、
ぜひ見てほしいと思ってアップ。


スーザン・ケイン 「内向的な人が秘めている力」

★わたしのパソコンではこの動画に日本語字幕がついているのですが、
  パソコン環境によって、日本語字幕が出ないようです。
  日本語字幕が見られない方がほかにもいらっしゃるようなら、
  字幕を文字起こししますので、お知らせください。




        ※  ※  ※  ※  ※  ※  ※  ※  ※



はなし変わって、2月9日の都知事選。
わたしは宇都宮さんに入れようと決めている。
しかし脱原発派の人たちのなかには、脱原発の候補者を一本化するべきだという人もいて、
そういう人たちが宇都宮さんに降りてくださいと言ったりしているらしい。
それを言うなら、まず細川さんに、
どうぞ降りてください、そしてそちらの支持者と選対スタッフを宇都宮さんにくださいって言うべきじゃないか?
                                              --- 絶対に降りないと思うけど。
宇都宮さんがこれまでどんなことをしてきて、これからどんなことをしようとしているのか、
細川さんがこれまでどんなことをしてきて、これからどんなことをしようとしているのか、
やっぱりそこで決めるべきでしょう。
この宇都宮さんのおはなしを聞いて、ますますそう思った。












※ホメオパシー講座 「ティッシュソルトの使い方」
  1月19日(日)9:30~12:00
by homeopa | 2014-01-18 09:04 | 人間

my favorite things

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下はわたしの大好きなコート。
2年ほど前に古着で3000円ぐらいで買ったものだった。
冬はもう一生このコートでいいや、ぐらいに思っていた。
それぐらい好きだった。

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ところがつい最近、右肩にかけたバッグをかけ直そうとしたとき、
親指がするっとコートの生地の中に入った。
見たら、右肩の前の生地がすり切れている。

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さらに右肩の上の部分もすり切れて裏地が見えている。

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そういえば、と思いだした。
買った直後に、裏地のすそがほつれてコートの下からだらんと垂れているのに気づいたことがあった。
それでよく見たら、裏地のあちこちがだいぶ傷んでいた。

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表地がとてもしっかりしているので買うときに気づかなかったけど、
かなり着古したものだったらしい。

だからきっと、前の持ち主も右肩にバッグをかける癖があって、
何年もそれを繰りかえしたのだろう。

このコートはたぶんオーダーメイドだ。
既製品とはつくりが違う。
そして生地の質が抜群にいい。
最初の持ち主は、そうやって自分の気に入った生地で気に入った形に仕立ててもらって、
裏地がすり切れるまで何度も着て、
もう十分に着たからいいや、と満足して手放したのかもしれない。

だからある意味、このコートはもう役目を果たしきったのかもしれないけれど、
わたしはたった2年の付き合いなので、まだ未練がある。
だいいち、すり切れた部分以外の表地はしゃきっとして力がある。
あんたはまだまだ生きている、と言ってあげたい気がする。

それに一生のうちで、これくらい気に入った服に出会うことはあんまりないから、
直して着つづけることにした。
でも、かけはぎと裏地の張りかえを職人さんに頼んだら、
どれくらいのお金がかかるのだろう?
と思って電話してみたら、
実物を見ないとわからないが最低でも2万8千円という答えだった。

ガガの受験が終わって、学費も払いこんで、家計の状態がひどくなければ、
そのとき頼もうと思った。

だけど・・・・天から声がした。
「今年は買うよりつくる年にするはずではなかったのか!」
そうだ、そうだった。

買う=お金でちゃっちゃかちゃっと解決すること。
つくる=お金をかけずに必要を満たす工夫をし、そのまどろっこしい過程を楽しむこと。

いちおう、わたしの中では上のような定義がある。
だからお金を出して職人さんに服を直してもらうことも、買うことにあたる。

ということで、やっぱり自分で直すことにした。
どうなるかわからないけど、せいぜい楽しもうと思う。



つくると言えば、
昨年末に桜の木にからみついていた蔓からつくったリースは、
こんなふうになった。
けっこうかわいい。
葉っぱは2日でしなびちゃたけど。

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My Favorite Things by Youn Sun Nah ♪









※ホメオパシー講座 「ティッシュソルトの使い方」
  1月19日(日)9:30~12:00
by homeopa | 2014-01-16 08:06 | 日々の暮らし

last night's dreams

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昨日、ガガが見た夢。

   競馬場かどこかで知った顔の人たちがたくさん集まっている。
   ガガは 「座敷わらし」 的な存在で、その場になじめていない。
   だれかがガガに 「薪をとってきて」 と行ったので、
   ガガは森に薪を集めに行く。
   それは雪の薪だ。

目が覚めて、「あれは大根だったな」 とガガは思った。



      ※  ※  ※  ※  ※  ※  ※



昨日、わたしが見た夢。

   元夫と、ガガと、わたしが小さなアパートの一室にいる。
   これから三人で出かけようとしていて、
   元夫は先に出ていく。
   わたしは急いで着がえなくちゃと、たんすの引き出しを開けるが、
   出てくるのは、ダサイ花柄の合成繊維のブラウスとか、
   やっぱりダサイ柄物のぺらぺらした安物のスカートばかり。
   たんすを少しずらすと、その奥にもたんすがあって、
   その引き出しにもダサイ柄物の衣類ばかりが入っている。
   四方八方たんすだらけで、どれにも同じような服が入っている。
   どれとどれをコーディネートしても絶対に合わないものばっかり。
   ガガは同情するような目でそれを見ていて、
   ときどきなだめるようなことを言う。
   わたしはますます惨めな気持ちになり、
   泣きそうになったところで目が覚めた。

目が覚めて、「あれはわたしの脳の中身かな」 と思った。
統一性のない悪趣味な柄物のクズたちは。











※放射能による脳障害---日本でも既にその兆候が

※日本でもすでに放射能による脳障害の兆候が出ている?

※セシウムによる健康被害

※放射能から体を守る食べ物

※放射能を減らす食品下処理法



※ホメオパシー講座 「ティッシュソルトの使い方」
  1月19日(日)9:30~12:00
by homeopa | 2014-01-13 08:08 | 日々の暮らし

experiment 2

                                                              
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じゃじゃーん! 
お待たせしました、ホメオパシー的実験その2。

だれも待っていないのはわかってるけど、サビシイから言ってみた。

ホメオパシーでレメディーをつくるときには、
原物質を10倍とか100倍とか500倍に薄め (希釈)、
その溶液を入れて蓋をした試験管をとんとんとんと力強くたたきつけ、
中身をシェイクする (振盪)。

希釈と振盪を何度も繰りかえし、
最終的に元の物質の分子がまったくなくなるくらいまで薄めたものが、
現場でよく使われる。

ホメオパシーがトンデモだとか、インチキだとか言われるのは、
このように物質が入っていないからだが、
もうひとつ、希釈するたびにシェイクするというのが、
常識人にはどうにも、あほらしく奇っ怪に聞こえるらしい。

わたしも初めはなんでシェイクするのかわからなかったけど、
さすがに10年以上もやっていると、
シェイクすることの良さが体験としてわかってきた。

その体験を可視化してみようということで、
この前、1回目の実験を行ったわけだけど
その体裁があまりにも地味でインパクトに欠けるので、
別のもので試してみた。

今回使ったのは、近所の川原で摘んできた大根もどきの草。
なるべく同じ場所に生えている同じ葉ぶりのものを選んだ。
毎朝、左のビンだけを30回、手にたたきつけてシェイクする。

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シェイクしないほうの根っこ。
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シェイクするほうの根っこ。
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シェイクしない葉っぱ。
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シェイクする葉っぱ。
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条件をなるべく均等にするため、途中で何度か左右の位置を替えた。
シェイクする前に両方とも水から引きあげ、シェイクが終わったら戻す。



20日目

そんなことを、だれもご苦労さまとは言ってくれないのに健気に20日ほど続けたあとがこれ。
このときは左右が逆になっている。
右がシェイクするほう。
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シェイクしないほうの根っこ。
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シェイクするほうの根っこ。
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シェイクしないほうの葉っぱ。
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シェイクするほうの葉っぱ。
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あまり変化はないように見えるけれど、
無シェイクの葉っぱの先が丸まってきていて、
シェイクするほうの葉っぱは威勢がいい。
もうひとつ気づいたのは、シェイクするほうの根っこにふわふわと白いものがついている。

米粒の実験では、無シェイクの米粒にカビのようなものが生えたけど、
今度はシェイクするほうにカビが生えたのかな・・・・・



30日目

なんて感じで、あいかわらずだれにもご苦労さまと言われぬまま、
受験生の母をつとめる退屈な毎日のなかで唯一心がシェイクされるひとときみたいに、
毎朝30回、ビンを振りつづけた。
そして30日目。
20日目からここまでの変化はかなりインパクトがあると思う。
左が無シェイク。
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無シェイクの葉っぱ。
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シェイクする葉っぱ。
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無シェイクの葉っぱ。
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シェイクする葉っぱ。
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無シェイクの根っこ。
なぜかここまでの10日間で両方とも根っこが急に伸びた。
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シェイクの根っこ。
カビのようなものがますます増えている。
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シェイクの根っこ。
でもよーく見ると、根っこから毛が生えているように見える。
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これは同時期の別のときに撮ったもの。
根のまわりにびっしり毛(?)が生えているのがわかる。
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というわけで、
明らかに無シェイクの葉っぱはしおれはじめている。
ガガと並んで鏡に映るときのわたしはこんな感じだな。

シェイクするほうの葉っぱは、
1日目とくらべてだいぶ成長しているし、まだ生気もある。

ただ、いけないと思いつつも、
ついシェイクするほうの葉っぱを応援してしまうので、
その気持ちがシェイクするほうにエネルギーを注いでいたかもしれない。
もしそのせいで違いが出てきたのだとしたら、それはそれで興味深いんだけど。

それにしてもこの白いものは何だろう?
と思って少し調べてみたら、
どうやら根毛というものらしい。

毛根ではない。
毛根は、ハゲがちなガガがいつも気にしているもの。

根毛は、根っこの表皮細胞が変形して生じる毛のように細い部分。

根毛の写真1

根毛の写真2

根毛は水や栄養を吸いあげやすくするためのものらしい。
シェイクされた水の力によって根っこが元気になり、
生きのびるために根毛をたくさん生やしたとも考えられる。

よく見ると、無シェイクの根っこにもすこーしだけ、根毛のようなものが生えている。
植物はすごいなあ。
自分の中にある力と手近にあるものを最大限に利用して生きのびようとする。

今回もシェイクは朝に30回だけ。
それでも両者にこれだけの差が出た。
おもしろいから、もっとやろうと思う・・・・ご苦労さまと言われなくても。

第三弾は何にしようかなあ。







Taj Mahal - You Don't Miss Your Water ♪





※最近ぱたりと聞かなくなった福島原発の動向  
  4号機の使用済み核燃料取り出しは順調に進んでいる模様です。
  現場の技術者と作業員の方々にひたすら感謝。
by homeopa | 2014-01-09 21:13 | ホメオパシー

modern contradiction

                                                     (現像が遅れていて、正月なのにもみじ)
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下はちょっと照れくさい覚え書き。
このサイトから引用しました。
http://kangaeruhito.com/blog-entry-1150.html


「この時代に生きる人たちの矛盾」

ビルは空高くなったが 
人の気は短くなり
高速道路は広くなったが 
視野は狭くなり
お金を使ってはいるが 
得る物は少なく
たくさん物を買っているが 
楽しみは少なくなっている

家は大きくなったが 
家庭は小さくなり
より便利になったが 
時間は前よりもない

たくさんの学位を持っても 
センスはなく
知識は増えたが 
決断することは少ない

専門家は大勢いるが 
問題は増えている
薬も増えたが 
健康状態は悪くなっている

飲み過ぎ吸い過ぎ浪費し 
笑うことは少なく
猛スピードで運転し 
すぐ怒り
夜更かしをしすぎて 
起きたときは疲れすぎている

読むことは稀で 
テレビは長く見るが 
祈ることはとても稀である

持ち物は増えているが 
自分の価値は下がっている

喋りすぎるが 
愛することは稀であるどころか憎むことが多すぎる

生計のたてかたは学んだが 
人生を学んではいない
長生きするようになったが 
長らく今を生きていない

月まで行き来できるのに 
近所同士の争いは絶えない

世界は支配したが 
内世界はどうなのか

前より大きい規模のことはなしえたが 
より良いことはなしえていない

空気を浄化し 
魂を汚し
原子核を分裂させられるが 
偏見は取り去ることができない

急ぐことは学んだが 
待つことは覚えず

計画は増えたが 
成し遂げられていない

たくさん書いているが 
学びはせず
情報を手に入れ 
多くのコンピューターを用意しているのに
コミュニケーションはどんどん減っている

ファーストフードで消化は遅く
体は大きいが 
人格は小さく
利益に没頭し 
人間関係は軽薄になっている

世界平和の時代と言われるのに
家族の争いはたえず

レジャーは増えても 
楽しみは少なく
たくさんの食べ物に恵まれても
栄養は少ない

夫婦でかせいでも 
離婚も増え
家は良くなったが 
家庭は壊れている

忘れないでほしい 
愛するものと過ごす時間を
それは永遠には続かないのだ

忘れないでほしい 
すぐそばにいる人を抱きしめることを
あなたが与えることができるこの唯一の宝物には 
1円もかからない

忘れないでほしい
あなたのパートナーや愛する者に
「愛している」と言うことを
心を込めて

あなたの心からのキスと抱擁は
傷をいやしてくれるだろう

忘れないでほしい
もう逢えないかもしれない人の手を握り 
その時間を慈しむことを

愛し 
話し 
あなたの心の中にある
かけがえのない思いを
分かち合おう

人生はどれだけ
呼吸をし続けるかで
決まるのではない

どれだけ
心のふるえる瞬間があるかだ







Emiliana Torrini - Animal Games & Autumn sun (A Take Away Show) ♪





※新春ホメオパシー入門講座 1月12日(日)10:00~12:00


※少し前の記事でとりあげた Jon Jandaiさんが運営しているタイのエコビレッジ Punpun のサイト
by homeopa | 2014-01-06 20:19 | 格言