pimboke6

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swiss government's report on homeopathy

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スイス政府の委託で作成されたホメオパシーに関する報告書の改訂版の英語版が、
2011年末に出版されました。
「Homeopathy in Healthcare --- Effectiveness, Appropriateness, Safety, Costs」 という本です。
 (健康管理におけるホメオパシー --- その効果、妥当性、安全性、費用)

こちらで購入できます。中身の一部も見られます。


スイス政府は1998年から2005年まで暫定的に、
特定の補完代替医療を国の健康保険の対象とすることにしました。
対象となったのは、ホメオパシー、中医学、人智学、ハーブ療法、神経療法です。
そしてこの期間中に、これら五つの補完代替医療について徹底的な調査を行いました。
それが補完医療評価プログラム (Complementary Medicine Evaluation Program= PEK) です。
そのプログラムの一貫として、
ホメオパシーに関する健康技術評価 (Health Technology Assessment= HTA)も行いました。
上述の本は、このHTAの報告書です。
初版はドイツ語で2004年に出版されました。
それを改訂し、英語に訳したものが、昨年末に出版された本です。

このHTAは、これまで一国の政府がホメオパシーに関して行った調査としては、
もっとも大がかりで包括的なものです。
そしてその結果、ホメオパシーの有効性、安全性、経済性が確認され、
ホメオパシーを国の健康保険の対象とするべきであるという提言が出されました。

この調査では、これまでさまざまな国で行われてきた多くの研究の結果について、
詳細な検討が行われました。
たとえば、二重盲検法による臨床実験、生理化学実験、植物実験、動物実験、
試験管内での細胞実験、現実世界での効果や症例に関する研究などの結果が、
その方法の妥当性なども含めて検討されたのです。



はなしはそれますが、
日本では、2010年8月に日本学術会議の会長、金澤一郎さんという方が、
「ホメオパシーには治療としての有効性がないことが科学的に証明されている」
と宣言しましたが (文面はこちら)、
そのときの根拠となったのが、2005年に 「ランセット」 という科学雑誌に掲載された研究結果でした。
この研究は Shang A. という研究者とそのグループが、
ホメオパシーとプラシーボの比較実験について研究したものです。

HTA報告書の改訂版では、その Shang らの研究結果についても検討し、
その研究方法のずさんさや、意図的な操作があったことを指摘しています。
そしてその研究結果は支持できないという結論に達しました。
このHTA報告書を金澤一郎さんに送って、読んでもらおうかしら・・・・



はなしは戻りますが、
すでに述べたように、この調査を行った委員たちは、最初の報告書で、
暫定期間が終了したあとも人智学・ホメオパシー・ハーブ療法を健康保険の対象とするべきである、
との提言を出したのですが、
権威筋からの圧力によって、この一文は報告書から抹消させられてしまいました。
そして2005年6月には、内務大臣 Pascal Couchepin (読み方わからん)によって、
医師による補完代替医療の治療が健康保険の対象からはずされました。

この動きに怒ったスイス国民は、国民投票をもとめる書名を集めはじめました。
そして2009年に国民投票が行われ、
投票者の67%が、
補完代替医療を健康保険の対象に入れることを支持しました。

   (ここまでの記事は、下のサイトと、上述の本の序文を参考にして書きました。
    http://homeopathyactiontrust.org/news/hta_report.html
    http://www.huffingtonpost.com/dana-ullman/homeopathic-medicine-_b_1258607.html )

それからどうなったのだろう? 
スイス政府は代替医療を健康保険に組みこんだのだろうか?

と思って調べてみましたら、
国民投票が終わった時点でも、例の Pascal Couchepin さんは、
そんなものはまかりならん、と言っていたようです。
石原都知事みたいな人ですね。
じいさんです。

結局、スイス政府は2017年までと期間を区切って、
五つの代替医療を国の健康保険の対象とするという決定を下しました。
そしてその間に、これらの代替医療の有効性に関する調査を続けるようです。
 (http://www.newscientist.com/article/dn20022-swiss-recognise-alternative-medicine--for-now.html

「法律では、有効性を客観的に証明できる療法だけが保険の対象となる、となっているので、
これは法律違反である」 という、オエライさんからの意見もあり、
一方で、国民投票の結果には従わなければならない、
というなかでの苦渋の決断だったようです。

でもHTAで有効性は証明されたんじゃなかったの?
なんて、わたしなどは思いますが、
聞きたくない人・見たくない人には、聞こえないし見えないのでしょう。

スイスは人口1人あたりの代替医療従事者の数は世界一多いそうです。
PEKのような大がかりな調査が行われたきっかけも、
国民や医師のあいだで代替医療の需要が高まり、それが普及したからだとか。
でも世界の五大製薬会社のうち二社がスイスに本部を置いているということだから、
何をかいわんや、です。

日本よりはるかにマシな状況ですけどね。




Jesse Harris & The Ferdinandos - How? ♪





         (以下、引用)

           帰納法的推論というのは、いくつかの単称言明 (「P1はQである」 「P2はQである」
         「P3はQである」 ……) を列挙した後 (このリストには終わりがないので、実際には
         「列挙に飽きたときに」) 「すべてのPはQである」 という全称言明を導く推論形式の
         ことである。
           帰納法の長所は、一度仮説を立てた後は、その仮説に合致する事例だけを選択的
         に収拾すればよいので、知的負荷が少ないということにある。帰納法の欠点は、一度
         仮説を立てた後は、その仮説に合致しない事例から観察者は無意識に視線をそらす
         ことができるということである。チャールズ・ダーウィンは自分の理論に合致しない事実
         は必ずノートに記録しておくルールを自らに課していたが、それは自説に合致しない
         事実はかの天才の記憶力をしても長くとどめることができないことを彼が知っていた
         からである。
           帰納法的推理の最大の欠点は、かりに過去のすべての事例に当てはまる法則が
         あったとしても、それが未来の事例にも当てはまるかどうかを権利的には言うことが
         できないということにある。デヴィッド・ヒュームという哲学者がいて、彼は 「前日まで
         毎日太陽が東から昇ったいう事実は、翌日も太陽が東から昇るであろうという予測を
         基礎づけない」 と言ったことで知られている。たしかにヒュームの言うとおり、今夜
         彗星が地球に衝突して地球が砕けた場合、太陽は東から昇らない。太陽がその寿命
         を終えて最後の光を放って消えた翌日も太陽は東から昇らない (そのときには 「翌
         日」 という概念も同時になくなる)。 「私が今日まで生きてきた」 という事実に基づい
         て、「私が明日も生きている蓋然性は高い」 と言うことはできるが、「私は明日も生き
         ている」 と結論することはできない。

                           ---- 「私家版・ユダヤ文化論」 内田樹著 (文春新書)
by homeopa | 2012-02-28 09:14 | 植物

bento

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先日、娘に弁当をつくったのに、
「今日は弁当いらないよ」と言われて、
仕方ないから公園に行って自分で食べたときの写真。

食べてみてわかったけど、娘は毎日こんなものを食べているんだ。
だれかが、
心をこめるとまではいかないけれど、
自分のことを少しばかり思って、
面倒くさいけど早起きして時間と手間をそこそこかけて、
パパパっとやっつけるみたいにつくってくれたものを。
きっとすごくうれしくてありがたくて涙ぐみながら昼休みを過ごしているんだろうなあ・・・・

そしてついこの前、娘が朝になって急に休むと決めたので、
そのときも自分で弁当を食べた。
そのときにわかったのは、
海苔弁にすると、海苔がふたにべたっとくっついてしまうこと。
娘にきいたら、いつもそうで、
そのぺたっとなった海苔をていねいにご飯に載せなおして食べるのだそうだ。
意外とていねい。
わたしはそのまま海苔だけ先に食べてしまった。

で、まとめると、わかったのは、
(1)娘がいつも昼休みに涙ぐみながら弁当を食べていること。
(2)海苔弁の海苔はふたにくっついてしまい、それを先に食べるとネコまんまになってしまうこと。
(3)娘は意外とていねいで、わたしは意外とがさつなこと。

なんでもやってみないとわからないもんだな。




Ali Farka Toure - Savane ♪





関係ないけど、朝起きてインターネットエクスプローラーを起動したら、
画面が変わってた。
おばさんは、こういう突然の変化にあうと、フリーズしちゃうのよ。
前もってひとこと言ってほしかったわあ。
by homeopa | 2012-02-28 08:42 | 日々の暮らし

susuki

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東日本大震災 つながり・ぬくもりプロジェクト 報告会
  うーん、いいはなしがたくさん!
  これからの日本を引っぱっていくのは、官僚や政治家ではなく、一般ピープルだ。


ドイツ:脱原発でも電力輸出超過
by homeopa | 2012-02-26 10:55 | 風景

a family is just a family

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(以下、引用)

  人間の共同体は個体間に理解と共感がなくても機能するように設計されている。そのために
言語があり、儀礼がある。
 
 (中略)

  成員同士が互いの胸中をすみずみまで理解できており、成員間につねに愛情がみなぎって
いるような関係の上ではじめて機能するものとして家族を観念するならば、この世にうまく行って
いる家族などというものは原理的に存在しない。
  原理的に存在しないものを「家族」と定義しておいて、その上で「家族は解体した」とか「家族
は失われた」というのはまるでナンセンスなことである。
  変わったのは家族ではなく、家族の定義である。
  誰が変えたか知らないけれど、ほんらい家族というのはもっと表層的で単純なものである。
  成員は儀礼を守ることを要求される。
  以上。
  それを愛だの理解だの共感だの思いやりだのとよけいな条件を加算するから家族を維持す
ることが困難になってしまったのである。
 
 (中略)

   朝起きたら「おはようございます」と言い、誰かが出かけるときは「いってきます」「いってらっ
しゃい」と言い、誰かが帰ってきたら「ただいま」「おかえりなさい」と言い、ご飯を食べるときは
「いただきます」「ごちそうさま」と言い、寝るときは「おやすみなさい」と言いかわす。家族の儀礼
のそれが全部である。それができれば愛も理解も要らない。
 
 (中略)

  家族というのはどうしてそのようなものがあるか、その紀元についてはよくわかっていない
社会制度である。弱者が共同体をつくることで生き延びる確率を高めようとしたのであろうと
いうことしかわからない。世界に二人といない知己を得たり、めくるめくエロスの極致を経験
したりするためのものではない。
 
 (中略)

  当今の家族論を読んでいると、どうも 「この自転車にはバックミラーがついていない」 とか
「この中華料理屋にはなぜクラブハウスサンドイッチがないのだ」 (裏軒にはあるが)という
ような 「木に縁って魚を求む」 議論をしているような気がしてならない。
  家族は 「ひとりでは生きられない」 弱者が生き延びるための装置である。
  家族成員が強者であることを要求するような家族論ははなから論の立て方が間違っている
のである。
                           ---- 「邪悪なものの鎮め方」内田樹著(バジリコ)


       ----------------------------------------------------------------


わたしも結婚中は、
だんなが話を聞いてくれないとか、わたしの気持ちをわかってくれないとか、
友だちのだんなさんみたいに優しくしてくれないとか、子育てを手伝ってくれないとか、
そんなことを思っていたな。
「くれない」 ばっかり。
でも今思えば、朝・晩あいさつはしてくれたし、暴力なんかふるわなかったし、
ちゃんと稼いできてくれたし、子どもともたまに遊んでくれたし、
家族としての役割は果たしていた気がする。
あの家庭もけっこういい家庭だったのかもしれない。

わたしの育った家も、わたしにはある時期まで、
わたしを縛るものだった。
よその家 (どこの家よ?) みたいに、
両親に理解があって、会話があって、きょうだいが仲良くて、自由で楽しい家、ではなかった。
でも今思えば、安心して眠れる寝床と、温かい手作りの食事が、毎日必ずそこにあった。
それだけでもすごいことだ、と今ごろ思う。

何かに対して、何を求めるかによって、
その何かの見方が変わる。

ていっても、こういうことは、たいてい後にならないとわからないんだけどね。



Ingrid Michaelson - Over the rainbow ♪
by homeopa | 2012-02-23 20:26 | 季節の花

daikon

大根が、カミサマに見える。
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(以下、引用)

  一つの結果には必ず一つの原因があるという命題が正しくないことは、少しでも現実を観察すれば、
だれにでもわかる。ふちのぎりぎりまで水で満たされたコップに最後の一滴が加わって水があふれ出た
場合に、この 「最後の一滴」 をオーバーフローの 「原因」 であると考える人はあまり賢くない。私が今
不機嫌であるのは空腹のせいなのか、昨日の会議のせいなのか、原稿の締め切りが迫っているせい
なのか、確定申告の税額のせいなのか、どれか一つを 「原因」 に特定しろと言われても私にはできない
(してもいいが、仮にそれを除去しても私の不機嫌はさして軽減しない)。

  (中略)

  私たちはあらゆる局面でその事象を単一に管理している 「オーサー」 の存在を信じたがる傾向を
持っている。これはほとんど類的宿命ともいうべき生得的な傾向であって、「やめろ」 と言われて、
ただちに 「はいそうですか」 と棄てられるものではない。なぜなら、「悪の張本人」 を信じる心性は
「造物主」 や 「創造神」 を求めずにはいられない心性と同質のものだからである。ある破壊的な
事件が起きたときに、どこかに 「悪の張本人」 がいてすべてをコントロールしているのだと信じる人
たちと、それを神が人間に下した懲罰ではないかと受け止める人たちは本質的には同類である。
彼らは、事象は完全にランダムに生起するのではなく、そこにはつねにある種の超越的な (常人には
見ることのできない) 理法が伏流していると信じたがっているからである (そして私たちの過半はその
タイプの人間である)。だから、陰謀史観論は信仰を持つ者の落とし穴となる。神を信じることのできる
人間だけが悪魔の存在を信じることができる。

 (中略)

  陰謀史観を根絶することが困難であるのは、そのせいである。「超越的に邪悪なるものが世界を
支配しようとしている」 という信憑は、全知全能の超越者を渇望する人間の 「善性」 のうちに素材
としてすでに含まれているのである。

                           ---- 「私家版・ユダヤ文化論」 内田樹著 (文春新書)
by homeopa | 2012-02-21 09:23 | 風景

frost

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ぼーっとしてるうちにもう二月も半ばを越えてしまいました。
そして気づいてみれば、
フィルムを月に1本使うの会の12月のテーマ 「チェンジ」 の優勝者が決まっていました。
ymtrx79gさんです。おめでとうございます!
作品はこちら
わたしは電車の外にに残った片脚が気に入って、こちらに投票しました。
仕事を終えた運転手さん (車掌さん?) の凛とした姿もいいですね。
1月のお題は 「始まり」 という、これまたむずかしいテーマ。
でも2月のお題は 「廃棄物」 で、これには俄然、写欲をそそられます!






ふくしまから考える原子力に依存しないエネルギー政策 in 南相馬
ふくしまから始めるエネルギー革命 : 南相馬ダイアログ フェスティバル

 南相馬市の桜井市長さん、かっこいい!
 そして飯田さんからは未来の見えるいい話が聞けます。
 「制約のないところに創造はない」
by homeopa | 2012-02-21 08:17 | 自然のちから

   うわばきは芸術だ!

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 お母さんは、通勤日でない土曜日にも、
 部活に行く娘の弁当をつくるために早起きをする。えらい!
 えらいお母さんが、弁当に入れるシャケを焼いていると、
 「今日は午前中だけだから、弁当いらないよ」とバカ娘が言う。
 「もおー! 言っといてほしいなー!」
 と怒ったあとで、
 そうだ、今日はお母さんがこの弁当を持ってどこかに遊びにいこう、ランラン、と思った。

 内職が終わったらのはなしだけどね。
 お母さんはえらい。



 My one and only love by Sting ♪
by homeopa | 2012-02-18 08:18 | 日々の暮らし

ajisai

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自分が世の中の歯車とかみあわない感じがするときがあるんだよね。
今日がそうだったの。
                                  ---- じゅん



わたしなんか、生まれてから今までずっとそうだった。
でも、なんでも慣れるもんだね。
慣れてくると、それが人生の味わいみたいに思えてくる。
かみあわない人には、かみあってる人には見えない・聞こえない・感じられないものが、
感じられるんだと思う。
かみあったことがないから比較できないけど。




※ホメオパシーはプラシーボにすぎないとした科学雑誌ランセットの結論に、
  スイス政府が異議を表明した。
 
 (あとでもう少し調べて書きたいです)
by homeopa | 2012-02-16 08:42 | 季節の花

red berries

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私 「今年はだれにチョコあげようかなあ~」 (と軽やかに歌うような口調で)
娘 (しばしの沈黙のあとで背後から) 「じゅんはツッコマナイよ」




My funny valentine - Susana Raya ♪




★小出裕章氏による「瓦礫の広域処理についての勉強会」(大阪維新の会主催) 2月9日開催



Video streaming by Ustream
    (画像見つけました)



★コメント欄で万年青さんから教えていただいた傑作画像。正力松太郎原作です。フフ。


by homeopa | 2012-02-14 07:42 | 植物

tightening up my anus

(話題が話題なのでせめて写真だけでもさわやかなものにしたいと思ってこれ・・・)
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遅まきながら、今年の目標が決まった ---- 肛門を締めること。

いや、べつに、まだ紙おむつとかしてるわけじゃないし、
直近にそうなりそうな恐れからこんな目標を思いついたわけでもない。
ただ思いついてみれば、それもまた立派な理由にはなるけれど・・・・

それより問題は股関節。
最近、仲間のホメオパスたちと話していたときに、
わたしの股関節が痛むという話をした。
ずーっと前からあった症状だけど、このところひどくなってきたので、少し話したの。

そしたらAさんが、女性は男性より骨盤が小さいので、
股関節がずれやすくなるらしい、と言った。
とくに出産で骨盤が開いたあとで締まらないときなどに、
大腿骨の骨頭がうまく股関節に収まらなくなりやすいと。

そしたらBさんが、骨盤の締まりぐあいと肛門の締まりぐあいは関係があると言いだし、
さらに、肛門の締まりぐあいは、その人の生命力とも関係があるらしい、と言った。
たとえば水に溺れた場合、肛門から水が入ってしまうとまず助からないけど、
肛門がぴしっと締まっていて水が入らなかった人は、
たとえ呼吸が止まった状態で救助されても生き返る可能性が高いんだそうだ。
そして肛門を締める訓練をしていると、
命の中心ともいうべき丹田に、きりっと力が入るようになるとも言う。

そこでBさんは、肛門を締める訓練をするようにと、力強くわたしに勧めた。

そういえば、と思いあたることがいくつかある。

以前からBさんに肛門を締めることの重要さをちらほら聞いていたわたしは、
朝ヨガで逆さか立ちのポーズをするときに、肛門を締めてみるようになっていた。
そしたら驚いたことに、肛門をきゅっと締めると、骨盤がきゅーっとすぼまるのだ。
だから肛門の締まりと骨盤の締まりは関係ある、という説はとっても納得できた。

わたしが股関節の痛みを意識するようになったのは、
娘を産んでしばらくたってからだった。
当時は娘をだっこ・おんぶして、その重みが股関節にかかっているのかと思ったが、
それだけではなかったようだ。
産んだときにめいっぱい骨盤が広がって、それが戻らなかったのだろう。

骨盤の締まりの悪さは、骨盤底筋の締まりの悪さに表れる。
骨盤底筋は骨盤の底にあって、骨盤内の臓器を下から支え、
尿道・膣・肛門などのコントロールを行っている。
この筋肉がぴんぴんしていて弾力があれば、失禁などは起こらないのだが、
実はわたし、産後から、縄跳び・くしゃみ・咳・ばか笑いをすると、
ちびっと漏れるようになっていた。
(固形物はダイジョウブよ、念のため)
なにしろ産後1ヶ月目の健診のとき、
わたしの陰部を目撃した看護婦さんが、あとでそっと寄ってきて、
「あそこを締める運動をしてくださいね」 と隠微な声音で耳打ちしたほどだから、
よほどゆるんでいたのだろう。
分娩時に会陰切開をせずにあの娘のでっかい頭を通したのだから、えらいもんだ。

最近はよほどばか笑いをしなければ失禁はしなくなったけど、
まだまだ骨盤がちゃんと締まっていないことを示す証拠がある。
それは、浴槽につかってゆっくり読書などしたあとで立ちあがると、
膣からお湯がしたたり落ちること。
膣からお湯が入っているらしい。
肛門と膣では少しちがうけど、
下のほうの穴から水が侵入するという点では同じようなもの。
つまりわたしは毎晩、溺死の危機に直面しているのだ!

つまり、わたしの生命力はそれほど弱く、
わたしの骨盤はそれほどだらしなく、
わたしの股関節はそれほど場違いなところにはまっているということ。

そこでまずは肛門を締めることにしたのでした。

こう見えても (どう見えるのよ)、ヨガ歴は長く、おかげで身体はやわらかい。
心も固かったわたしは、数十年間、緩めることに専念してきたおかげで、
若いころにくらべればだいぶやわらかくなり、生きやすくなった。
と思っていたけど、生きるためにはそれだけではだめなのだ。
緩みっぱなしでは溺死するのだ。

緩めたら締める、締めたら緩める、
このバランスとリズムが大事なのだな。

考えてみたら、たしかにわたしには、「きりっとした」 という形容詞がつかない。




The Secret Sun - Jesse Harris ♪
by homeopa | 2012-02-11 09:59 | 植物