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カテゴリ:おもしろいこと( 80 )

真夜中の怪音---- 寝返りのために

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ここ1年ぐらい、午後10時に布団に入っても、
午前1時ごろと、午前3時ごろに、
かならず目が覚めるようになった。

尿意や、おなかの張りや、あちこちの痒みや、
今は暑さなどの不快感で目覚めることが多いのだが、
そういうはっきりした理由がなくても、
なんとなく不快で、落ち着かない気分で目覚めることもよくある。

たいていはトイレに行って、水を飲んで、また横になるとすぐ眠れる。
でもときにはそのまましばらく眠れないこともある。

いやだなあ、朝まで通して眠れないのは。
これを不眠というのかなあ。

なんて一時期は思ったりしたけど、
あるとき気づいた。
これは寝返りの代わりなんだと。

左わきの下のセッチャンが大きくなってから、
左側に寝返りを打つことはできなくなった。
ときどき右側に寝返りを打つととても気持ちがいいのだけれど、
問題はそのときの左腕の位置で、
その位置がセッチャンを圧迫したり、
その姿勢がしばらく続いたりすると、
セッチャンが文句を言いはじめる。

だから基本的に眠るときはずっと仰向けのままだ。

こんなふうに睡眠中ずっと同じ姿勢をとり続けることは、
動物にとって非常に不自然な状態らしい。
ある整体師の本に書いてあったような気がするけれど、
人間は昼間にかかった身体への負担や、それによる身体のゆがみを、
夜間の寝返りによって修正したり解消したりするのだそうだ。

だからずっと仰向けで寝ているわたしに、
「そろそろちょっと動いてよ~」といって身体が要求するのだろう。
実際、起きあがって、歩いたりなんだりして身体を動かしたあとは、
落ち着いてよく眠れる。


最近は、左脚に体重をかけられないので、
トイレに行くには杖をついてキッチンを横切るのだけれど、
木の杖がキッチンの床にあたると、コツン、コツンと音がする。
この前、そうやって歩いていて、急にむくむくと想像がふくらんだ。

うちの下の階には若いカップルが住んでいる。
さすがに午前3時にはぐっすり眠っているだろうけれど、
午前1時ならば、情熱的な夜の営みの最中かもしれない。
そのとき突然、天井から、
コツン、コツンという音が聞こえてくる。
女性のほうがそれに気づいて急に冷める。
「ねえ、何、あの音?」
果てる寸前の男性のほうは、
耳を貸す余裕もない。
「ああっ、もうおれダメ、ああ~、ああ~、あああ~~~~~!!!」

やっと平静な聴覚を取りもどした男性も、
音に気づく。コツン、コツン、コツン・・・
「上の人かな? 何やってるんだろう?」

「やだ、なんか怖いよ~」
女性は男性にしがみつく。
「確かに無気味だな。上の階のおばさん、この前階段で会ったけど、
 やたらにやせてて得体の知れない感じだった。身体が透けて見えそうな・・・
 脚はあったような気がするけど・・・」

「やめてよ~!」

ここまで想像すると、コツン、コツンをやめられなくなった。
歩いてもいないのに、わざと杖で規則正しく床をたたいたりして。

これで終われば、ある夜の不思議なできごとで終わるだろう?
「あれ、何だったんだろうね?」って感じで。
でももう少し感動?してほしかったので、
次の晩も1時ごろと3時ごろに、
わざと強めに杖で床をたたいてあげた。

でも結局のところ、
階下のふたりがどれほど感動していても、どれほど怖がっていても、
わたしには確かめようがない。
だから二晩で飽きて、
その辺にしまってあった椅子の足に着けるフェルトのようなものを、
杖の先っぽに接着した。
これで夜中の怪音はやんだ。

いたずらをしても相手の反応が見られないというのは、
ものすごくつまらないものだ。



下は、寝返りに関する参考記事。
     ↓
寝返りは健康のために必要だった





by homeopa | 2016-08-27 16:49 | おもしろいこと

うぐいす餅わらし

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今回の美麻の滞在では、よくお香をたいた。
自分も好きだし、この家に住んでいる (かもしれない) 霊たちも、
心がなごむかもしれないと思って。



ある日、食料の買い出しに行って帰ってきた夕方、
家の中で洗濯物を干そうとしていたら、
「どこ行ってたの?」と甲高い女の子の声がした。

え、チイちゃん?
と思って、
縁側の窓ガラスを開いて外をきょろきょろ見てみたけど、
チイちゃんの姿はない。

その晩、夢を見た。
わたしが洗濯物を干していると、
ふすまの影から子どもがちらりと顔をのぞかせた。
わたしが近づこうとすると逃げるので、
ふすまのまわりをグルグル追いかけっこになった。

やっとつかまえてみると、
花柄の着物を着たその女の子は、
顔がうぐいす餅みたいな鮮やかな緑色で、
うぐいす餅みたいに粉をふいて見える。

うぐいす餅みたいにぷっくらふくらんだ楕円形の顔に、
びっくりまなこ、赤いおちょぼ口、髪は頭のてっぺんから数本ひょろひょろ生えている、
というなんとも珍妙な顔つきの子どもだった。

わたしはうぐいす餅みたいな顔を思わず両手でそっと包んでみた。
お餅みたいにしっとりと冷たかった。
でも粉は手につかなかった。

子どもの顔を両手で包みながら、
「あなたはだれ?」
ときいてみたけど、
女の子は目をきょろきょろさせるだけで答えない。
そしてちょっと油断したすきに、
するりと逃げだして、どこかに消えてしまった。

それで夢は終わり。




夕方、洗濯物を干しているときに聞いた声は、
この女の子の声だったのだろうか?

洗濯物を干していたら声がした、
というのは現実に起こったことではなくて、
そこからもう夢だったのだろうか?

いずれにしても、あの顔はずっと忘れないだろう。
それぐらい変てんこで、笑っちゃう顔だった。






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はなし変わって、
わたしが美麻に滞在していた最後の時期に、
友だちが松本で二泊三日の座禅断食をしてきた。

昨日そのはなしを聞いて、それも興味深かったけど、
その座禅断食を始めたお坊さんのはなしがまたとてもいいので、
下に動画のリンクを載せておきます。
https://youtu.be/h7Hi8tFaNW4
長いけれど、興味のある方はぜひ最後まで。








by homeopa | 2016-07-19 09:33 | おもしろいこと

銀バエ

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休暇から戻ってきました!
長いお休みをいただき、ありがとうございました。
メールでのお問い合わせやご予約には今日から応じられますので、
何かご用のある方はどうぞ。


さてそれで、予想どおり弾むゴムまりのようになれたかどうかですが・・・
あいにく、心はびよんびよんと弾んでいるのに、
身体が弾んでくれません。
元気ではあるんですが、文字どおり弾めないんです、腰と脚が悪くて。
だから弾むゴムまりは半分だけ実現した感じです。
このことについてはまた後日、別の記事で。


今回の記事は、前の記事とのつながりで、
くさいわたしのこと。
東京に帰ってきてこのブログを開いたら、
出てきたのが「くさいわたし」というタイトルで、
笑っちゃいました。
そろそろ帰ってきたかな、ブログをアップしてるかな、
とか思ってアクセスしてくださる方々も、
そのたびに「くさいわたし」というタイトルを目にしていたのかと思うと、
おかしいような申し訳ないような。


今回は生きているカメムシには一度も遭遇しませんでした。
カメムシの死骸はときどきどこかからポトンと落ちてくることはありましたが、
匂いはないので、家もあんなにカメムシがいたのがうそのように無臭でした。


今回、頻繁にたくさん目にしたのは銀バエ。
ぷっくりふくれたおなかが青色に光るあのハエです。
ブーン、ブンブン!!とうるさい音を立てながら飛びまわり、
いかにも自己顕示欲が強そうなその様子が、
暴走族と似ているなと思い、
そういえば暴走族にそんな名前のグループがいたような・・・
と思ってググったら、
「横浜銀蝿」は暴走族ではなくロックンロールバンドでした。

いずれにしても、うっとおしい。
それに銀バエは糞便や動物の死骸や腐敗したものにたかることが多いので、
衛生面からもなんとなくイヤな印象があります。

この銀バエが、ブーン、ブン、ブン!!とわたしのまわりを飛びまわっては、
やたらに左胸や左腕に止まるのです。
彼らの大好きなウンコや腐った有機物に通じる匂いがするのでしょう。
そんなことが毎日続くうちに、
なんだかウンコの気持ちがわかるような気がしてきました。

毎日うっとおしいだろうな、気が滅入るだろうな。
でも反面、少し誇らしいんじゃないかな。
なぜってあのうるさい銀バエも、
ウンコに止まっているあいだだけは静かなのだから。
実際、わたしの腕や胸に止まっているときも静かなのです。

自己顕示欲のカタマリのような銀バエを、
一瞬でだまらせることのできるこのわたし、あのウンコ。


とはいえ、わたしの左胸に止まってその匂いにうっとりと酔いしれている銀バエの顔を見ていると、
思わず「殺すぞ・・・」とつぶやいている自分がいました。
そして実際、3秒ほど数えてから、パン!と手でハエをたたきつぶそうとする自分もいました。
(さすがに胸はたたけないけど、腕とか)
もしほんとにグチャッとつぶしちゃったら、どうするつもりだったんだろう?
ああ、気持ち悪い。

なんでしょうね。
わたしの中のサディスティックな衝動を刺激するのです、やつらは。
カメムシにこういう衝動を覚えることはまずないのですが。


ともかく、自分の中のサディストにも遭遇することのできた、
なかなか密度の濃い休暇でした。
密度が濃いだけに、何から書いていいのかわかりませんが、
まあ、ぼちぼちと。








by homeopa | 2016-07-15 14:09 | おもしろいこと

クソバイス

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友だちのブログに面白いことが書いてあったので、シェア。
クソバイスについて。


この言葉「クソバイス」の生みの親、犬山紙子さんのインタビューはこちら。

わたしもこれまでずいぶんクソバイスをしてきたな。
でもどれがクソバイスで、どれが心から相手を思ってするアドバイスなのか、
区別するのはむずかしい。
両方が混ざっている場合もあるだろうし。
犬山さんによれば、見分けるポイントは下の通り;

クソバイスなのかアドバイスなのかは、言った側にはハッキリとわかります。
 言った後にすごく気持ちよくなったら、それはクソバイス! 気をつけてください!」


だとすると、たいがいのアドバイスはクソバイスではないかという気がしてくる。
かならずしも上から目線でなくても、
自分はこんなに知ってるんだ、わかってるんだ、
ということを示したくてするクソバイスもあるし。
要するに自己顕示欲ね。
少なくとも今までアドバイスをしてきたときの自分の気持ちを思いかえせば、
すべてがそうではないにしても、そういう要素はありそうだ。

つくづく、人間は、アドバイスするのが好きな生きものなのだと思う。

アドバイスは求められたときだけする、
というのを今後の基本方針にしようと思う。





  ※  ※  ※  ※  ※





はなし変わって、いい感じに色づいた梅が売られていたので、
今年も梅干しをつくろうと、いそいそと買ってきた。
いい~~匂い!

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高熱を出したあと、おかゆと一緒に食べた梅干しのおいしかったこと。
だからまた熱を出したときのために、
というわけでもないけど、今年は昨年の2倍の量を漬けた。
楽しみ。

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ついでに、2月に仕込んだみそはどうなったかとのぞいてみたら、
おお、大変!
こんなにカビが生えていた。
去年のカビとは少し顔つきが違う。
カビの部分だけ取りのぞいて、
昨年も一昨年もやらなかった天地返しをやっておいた。
おいしくなって~~。

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うかうかしているうちに、
ベランダの鉢にこんな巨大なジャガイモが育っていた。
この鉢には、野菜くずが出るたびに細かく刻んで乾燥させ、
少しの米ぬかと一緒に土に混ぜ込んでいた。
畑の肥料にしようかと思って。
そしたらそこからジャガイモが勝手に芽を出してきたので、
そのままにすることにした。
肥料が入るとやっぱりすごいな。
ジャガイモの肥え方もそうだし、
手前の自生のシソの葉もやたらに大きい。
さらにその手前には自生のトマトが出てきている。
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うちで発芽させてから畑に植えようと思っていた大豆が、
ぎっくり腰で動けないあいだに、
こんなにひょろひょろに伸びてしまった。
うまく根付くかわからないけど、
先日やっと畑に植えてきた。
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そしたらキュウリがこんなに育っていた!
自分の畑でキュウリが採れるなんて、
なんか感動!
自分で植えたのに。

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となりのアイコちゃんも実を付けている。
がんばれ~~。

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ナスも。
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区画全体にいい感じに草が生えてきた。
さっそく少し刈って、草マルチに。
これから草刈りが大変だな。
まわりの区画の人たちから苦情が出ないように、
頻繁に行って刈らないと。

あ・・・・美麻に行っているあいだの1ヶ月は、
まさに草がどんどん伸びる時期・・・・どうしよう。

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※日本ホメオパシーセンター世田谷喜多見からのお知らせ。
 6月18日(土)~7月17日(日)、センター業務をお休みさせていただきます。
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by homeopa | 2016-06-08 05:00 | おもしろいこと

当たるもはっけよい、当たらぬもはっけよい。

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昨日、ガガと下北沢でお茶をしたあとで電車に乗ろうとしたら、
駅の横で「手相見500円」という札を出して、易者さんが座っていた。
500円なら当たっても当たらなくてもはっけよい。
と思って、お願いした。

そして、かなりいいことばっかり言われたので、
すっかりうれしくなった。
以前のわたしだったら、こういうことは絶対に人には話さず、
ひとり胸に秘めて、ときどき思いだしてはニヤニヤしていただろう。
(自慢話のようでみっともないし、だれも面白がらないから)

でも今のわたしは、自慢話だってするし(まだ会話ではできないけど、ここでは)、
相手がうっとおしがっても気にしないことにしている(ブログでは相手の顔は見えないし)。

易者さんはまず左手を見て、第一声に「あなたは90歳まで行きますよ」と言った。
まだ乳ガンのこととを話していなかったとき。
続いて次のようなことを言った。

芸術的・美的センスにすぐれている(わかるわかる)。
頭がとてもよい(そうだよ)。
向上心がある(あるよ)。
人情に厚い(これは意外)。
外面がよく、人に好かれる。
(これも意外。特定の変わった人たちには好かれても、不特定多数の人に好かれるとは思っていなかったし、
大勢の人に好かれたいとは思っていない)
願いがかないやすい(そうかも。だいたいかなってきたもの)。
ユーモアのセンスが豊か(そうありたいといつも思っている)。
衣食住には困らない(そういえば金持ちになったことはないけど、極貧にあえいだこともない)。


それからわたしの生年月日を聞いて、
こんなことを言ってくれた。

負けずぎらい。
頑固でプライドが高い。
強運だが、言葉がきつい。
悪気はないが、ぐさりと刺さる言葉を口にする。
もっとソフトな言い方を学ばなければならない。
(たしかに、それでときどきクライアントさんや友人の気分を害したりする)
何ものにも束縛されたくない自由人。
世話好きで、人気者だが、人に助けられるのは嫌い。
独立独歩。
なんでもできてしまう器用さがある。
マイペース。でも空回りの傾向。
表現力がある。


ここまで来たところで、その初老の目の鋭いおじさんがきいた。
「今回、いちばん気になっていることは何ですか?」
「健康です。病気があるので」
「どんな病気ですか?」
「乳ガンです」
「いつ発症したんですか?」
「気づいたのは2013年の秋ごろです」
「もう一度情報を見せてください」

易者さんはもう一度、わたしの両手を見た。
「ああ・・・あなたは80歳ぐらいまで生きますね(10年ちぢんだ!)。死にませんよ!
と、最後の言葉をやけに強い語調で言い、わたしの目を初めて見据えた。

わたしを勇気づけようとしたのかな?
だって死なない人はいないのに、死なないと宣言したのだから。
ま、すぐには死なないという意味だろうけど。

それとも、わたしがお代を多めに払うのを期待したのかな。

「ではこれで」と易者さんが言うので、
わたしは「ありがとうございました」と言いながら千円札を出した。
「今、おつりを出しますから」
易者さんは手元の袋の中をごそごそ探っている。
しばらく探ってから、「今、おつりを出しますから」と、また言った。
そしてまたごそごそ。
思わずわたしは、「なければお釣りはいいです。そのまま取ってください」と言った。
いいことたくさん言ってもらったし、元気も出たし。

でも歩き出してから、もしかして思うつぼにはまったのかなと、ちらりと思った。

でもそういう考えは、わたしを幸せにしないので、
すぐに吹いて飛ばした。
うれしかったので、喜多見駅に着いてから、豆大福を買ってしまった。





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実は占いでは痛い思いをしたことがある。
たしか昨年10月ごろ、日暮里の繊維街で生地を買ったあと、電車に乗ろうとしたら、
やっぱり駅前で、「手相見3000円」の札を立てた易者さんが座っていた。

どうしようかな、と思ってわたしが立ちどまると、
易者さんが、「あなたは福相ですね。もっと眉毛をきれいに剃って丸く描くといい」と言った。
福相と言われてうれしくなり、そのまま座った。

その易者さんも、今回の易者さんと同じようなことを言ってくれた。
当時の手帳を見ると、こんなこと。

わたしは80ぐらいまで生きる。
ガンや心臓病のような重病にかかっても、生きのびる(わたしは病気のことは言っていなかった)。
お金は使っても入ってくるので、貯める必要はない。
太陽線があるので人に好かれる。
人に尽くすタイプ。頼まれたら断れない。わたしがやらなくてだれがやると思い、
そしてがんばりすぎる。
来年5~6月に頼まれごとが舞い込んでくる(今のところ何も頼まれていないけど)。
でももっと緩くなって、アドバイスするだけにとどめておくほうがいい。
さばさばしている。
一緒にいる人が安心する。

だいたい、こんな感じ。
それでいい気持ちになって電車に乗ったのだけど、
山手線の中で、本当かいな? という気持ちが湧いてきた。

それどころか、新宿駅の西口にいつも易者さんが並んで座っていたな・・・・とか思いはじめた。

そして新宿で電車を降りると、足はふらふらと西口に向かった。
思ったとおり、易者さんが3人ぐらい並んで座っていた。
いちばん手前に女性の易者さん、その向こうに男性の易者さんがふたり。

わたしは手前の女性の易者さんにあまりいい印象を覚えなかったのだけど、
その前を通りすぎて別の易者さんのところに座るのは悪いような気がして、
そのおばさんにお願いした。
おばさんは、わたしが座るなり、手相も見ずに言った。
「あなたね。人生は修行よ。すべてはあなたが引き寄せているの。だから人を恨んではだめ」
それから手相も見たとは思うけど、
おばさんが言ってくれたのはほぼそれだけ。
「あのー、健康状態はどうですか? 病気があるんですけど」とわたしがきくと、
「だからね、それも心よ。人を恨んでいたら病気も治らないわ。すべては自分なの」

手相に関しては、それ以外ほぼ何も出てこなくて、
次に姓名判断をやってくれた。
それによると、わたしは前世では「やってもらって当たり前」と思って生きてきたそうだ。
男性を下に見る傾向があるので、夫婦関係はうまく行かない。
男は立てなければいけないのに。
「だからですかね、離婚したんです」とわたしが言うと。
「そうでしょう」
「でも離婚して本当によかったと思っていますけど」
「あなたはそうでも、お子さんはどう思っているの?」と非難がましい口調。
「娘も納得しています」
おばさんは疑いと非難の目でわたしを見た。

ともかく、いいことはほとんど言われなかった。

せっかく日暮里でいい気分になったのに、それがどぶ色に塗りつぶされた感じだった。
あのまままっすぐ家に帰ればよかったと思った。
たとえ日暮里の易者さんの占いがはずれて、
翌日に死んだり、将来極貧にあえいだとしても、
それまではいい気分でいられただろうし、
死んでしまえばもうそんなこともどうでもいい。

魔が差した、というのはああいうことを言うんだと思った。
欲望だ、欲望。
足ることを知らない欲望。
もっと確認してもっと確信したいという欲望。

さすがにそれで懲りて、今回は素直に満足したけれど。

それにしてもあの説教ばあさん、
よっぽど人を恨んで生きてきたのかな?






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by homeopa | 2016-06-05 16:48 | おもしろいこと

オバマさんの冗談

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もうすぐ任期が終わる米国のオバマ大統領の自虐ビデオ。
「大統領でなくなったら何をすれば・・・・」
http://www.bbc.com/japanese/video-36185534?SThisFB
かなり笑える。
なかなか役者だな。引退後は映画とかに出演すればいい。


もうひとつ、最後のホワイトハウス記者会夕食会でのオバマ大統領のスピーチ。
http://www.bbc.com/japanese/video-36184841
これには、もっと笑った。


オバマ大統領には最初から好感を抱いていた。
わたしは革新好きだし、面食いだから。
実際に大統領としてどんな仕事をしたのか、正直よく知らないけれど、
この動画を見て、人間としてはやっぱり魅力のある人だと思った。
それに引き替え安倍晋三はハエみたいなもんだな。
ハエとしてもまるで魅力を感じない。
すり足の仕草さえ、うそっぽく見える・・・ハエのふりして、とか。
ただうっとおしくて迷惑なだけだ。

でも安倍晋三にかぎらず、
日本の政治家でオバマさんみたいなユーモアのセンスのある人はいるだろうか?
これまでいただろうか?



なんて考えていたら、
ちょうど読んでいた河合隼雄著 『生と死の対話』 という本に、
日本人と欧米人のジョークに対する思いの違いが書いてあって、
なるほど、そういう見方もあるかと思った。

その部分を引用しようと思って書きだしはじめたけど、
やたらに長いので要約することにした。

・何かを笑うためには、笑われるものと、笑う人とが分離し、
 笑う人が笑われるものを「対象化」しなければならない。
 そしてこの対象と適切な距離を置く必要がある。

・何かに真剣になっていたり夢中になっていたり緊張しているときは、
 自分自身がその状況にはまりこんで一体化しているので、
 その状況や自分自身を「対象化」するようなゆとりはない。
 だから笑えない。

・スピーチに際して、日本人は弁解からはじまり、欧米人はジョークによってはじまる、とよく言われる。

・日本人の場合は人が集まると、そこに暗黙のうちに一体感が生まれる。
 それは一種の絶対的平等感に根ざしている。
 そのため演壇に立つ人は、自分が特別でないということを示して、
 一体となっている聴衆に溶け込む努力をしなければいけない。
 そこで「私などはこのような場でお話しさせていただくべき人間ではありませんが・・・」
 などという出だしになる。

・欧米人の場合はたとえ集団になっても、個々人が他と区別されるものであることを、
 はっきりと意識しているので、簡単に一体感は生まれない。
 そこで講演者はジョークで聴衆と笑いを共有して、ある程度の一体感を生み出そうとする。
 さらに、自分が話の主題に対して、笑いを誘いだせるだけの距離をもっていることを示して、
 聴衆を安心させようとする。

・このように日本的一体感は、対人距離をかなり狭めるので、「対象化」を好まず、
 そこには笑いの入りこむ余地がない。
 だから日本人にはジョークを言う人を「フマジメ」と決めつけたりする傾向がある。


この説が正しいかどうかは置いておいて、
この一節を読みながらふと思った。
そういえば安倍晋三はよくジョーク(とおぼしきもの)を飛ばしてひとりでほくそ笑んでいるな、と。

彼にそれだけの余裕や距離感があるのは、
国民との一体感などみじんもないからだろう。
大学を卒業しても低賃金で非正規社員や派遣社員として働くしかない若者たちや、
働きたくても子どもを保育園に預けられず働けない貧乏所帯のお母さんや、
遠い異国で銃弾の脅威にさらされることになる自衛隊員や、
今も毎日、恐怖におびえ、生活の不便に苦しみながら過ごしている熊本地震の被災者や、
5年間も怒りと悲しみと不安とジレンマに苦しみ続けてきた福島原発事故の被災者や、
何十年も自分たちの島を蹂躙されてきた沖縄県民などに対して、
ひじょーーーに大きな距離を感じているだろう。
自分とは別世界の人々、
いやもしかしたら、別の種の生きものだと思っているかもしれない。
それだけ距離があれば、余裕こいてジョークのひとつも飛ばせるのは当然だろう。

でも安倍晋三のジョークは全然面白くない。
なぜなら現実を見ていないからだ。
見当違いだからだ。

面白いジョークを飛ばすには、まず現実を鋭く把握した上で、
ほんの少し視点をはずしてそれを茶化す必要がある。
大政治家の御曹司として雲の上で育てられた晋三くんには、
一般社会の現実なんてないも同然なのだ。

なぜそんな人が総理大臣になってしまったのだろう?
もしかしたら日本人は、意外とでっかいブラックジョークが好きなのかもしれない・・・・


FBで流れてきたオバマさんの動画が面白くて、
ただそれをアップしようと思っただけなのに、
なぜか安倍晋三をこきおろす記事になってしまった。
それはそれで気持ちよかったけど。









by homeopa | 2016-05-29 21:10 | おもしろいこと

what is the reality?

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だいぶ昔に読んだ英語の本がある。
夫婦の関係をテーマにした小説で、
その構成がおもしろかった。

まず表紙が裏と表にふたつ付いている。
一方の表紙をめくって読んでいくと、それは妻が語る物語で、
反対側の表紙から読んでいくと、夫の語る物語が書かれている。

当然、同じできごとが語られることもあるのだけれど、
それに対する妻と夫の感じ方がまるでちがう。
夫婦の関係に対するふたりのとらえ方もまったくちがう。
とても同じ夫婦生活について書かれているとは思えない。




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ホメオパシーの相談会でよくあることだけれど、
たとえば若い娘さんの相談会をしていて、
回数を重ねるうちに、お母さんとの関係についての悩みが出てくる。
そのうち娘さんの体調がよくなってきて、
お母さんも相談会を受けたいということになり、
お母さんと直接お会いしてみると、
娘さんの話から思いえがいていたお母さん像とはだいぶちがっていたりする。
そのお母さんが語る娘さんのイメージも、
わたしが何度も会ってつかんでいた娘さんの人柄とはだいぶちがっていたりする。



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やはり相談会でよく聞くはなし。
たとえばA子さんは子どものころ、友だちのB子さんにいじめられてものすごく傷つき、
以来、自信をなくして人間不信になった。
それは人生の大きなトラウマになっている。
ところが大人になって、クラス会か何かで何十年ぶりにBさんに会い、そのはなしをすると、
BさんはAさんをいじめたことを全く覚えていなかったりする。
あるいは、あれはちょっとからかっただけで、Aさんのことはずっと大好きだったと言ったりする。



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もっと単純なはなし。
わたしにはオレンジ色に見えるものが、ある人には赤に見えたりする。
わたしには可愛い花柄に見えるものが、友だちにはサイケデリックに見えたりする。



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わたしが乳ガンのことをブログに書こうと思ったのは、
体験から実感したことをシェアしたかったからだ。

病気 (というより症状) は、そんなに怖いものでも悪いものでもない。
むしろいろんな恩恵を与えてくれるものだったりする。
自分を苦しめたり不自由にしているものに気づくチャンスを与えてくれるもの。
それに気づくと、それまでより解放されてのびのびできる。

そういうことを伝えたかったし、そういうことを書いてきたつもりだった。

でも最近、それを読む人の受けとめ方が、
千差万別あることに気づいた。

上のようなことをわりとすんなり受けとめて、
その後のわたしの経過を好奇心をもって見守っていてくれる方。

かと思えば、「かみむらさん、ガンになっちゃったんだ! もうすぐ死ぬんだ! ああ、気の毒に!」と、
ガンは死に直結する重病であるという点に焦点をあてて受けとめる方。

かと思えば、好転反応のお問い合わせの最後に、
「かみむらさんも大変なときに、お手数をおかけして申し訳ありません」
なんて言葉を書いてくださる方。
たぶん病気はつらいものだという思いから、このような気遣いをしてくださるのだろう。

でも実際、わたしは以前と変わらず普通に相談会をやっているし、
ガンのせいで特に大変だったりつらかったりすることもない (おむつの交換と洗濯が面倒だけれど)。
ガンのありがたいところは、こんなふうに痛みや苦しさがあまりないことだ。
もし病気のせいで相談会にエネルギーを注げないような状態なら、
相談会はやめるべきだろう (だからどうぞお気遣いなく)。

自分ではガンのおかげで第二の人生がはじまったと感じているんだけど、
たぶんある方たちにとっては、かみむらはすでに終わった人になっているのかもしれない。

このギャップ。

でもその人にとっては、その人が感じたことが現実なのだろう。
わたしにとっても、わたしが感じていることが現実なのだろう。



だとしたら現実って何だろう?
というより、だれが見ても同じに見える確固とした現実なんてあるんだろうか?

たぶん、ない。




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そう思うと、ちょっと心許ない気分にもなるけれど、
一方で、なんだか解放された気分にもなる。

なぜなら、わたしたちは自分の現実をつくれるということだから。
同じ状況を、悲惨なものにも、喜ばしいものにもできる。
深刻なものにも、滑稽なものにもできる。

極端なはなし、わたしは美人だと思えば、それが現実なのだし、
ブスだと思えば、それも現実なのだ。
わたしがそう思ったら、だれにもその現実は変えられない。
実際、世の中にはそう思って生きている人がたくさんいる。
わたしから見ればブスでも、本人は鏡を見てうっとりしている。
そんなとき、わたしは相手を見下したりしていたけれど、それはまちがいだった。
その人がブスだというのは、わたしにとっての現実、美人はその人にとっての現実。

わたしの人生は不幸だったと思えば、それがわたしの過去になるし、
なんて幸せな人生を生きてきたんだろうと思えば、それもわたしの過去になる。

しかもまた、これがときどき揺らいだり変化したりするというのも、人生の妙味。

そうか、ある人々にとってわたしはもう終わった存在なのか、と先日気づいたときに、
自分でもなんとなくそんな気持ちになって、しばし絶望のかけらを味わった。
不治の病をかかえた映画のヒロインになったような気分だった。
しばらくするとまた自分の現実に戻っていたけど。

そうやってときどき揺らいで、別の現実を味わうのも、
人生を刺激して豊かにしてくれる。
自分の世界がすべてではないことを思いださせてくれる。

つまるところ、この世はすべて妄想なんだ。
妄想にいいも悪いもない。
正解も間違いもない。
でも人を幸せにする妄想と不幸せにする妄想がある。
どうせなら、わたしは自分を幸せにする妄想を抱いていたい。
ときどき不幸な妄想に揺らぎながら。






はなし変わって、今年の味噌をやっと仕込んだ。

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これで味噌を仕込むのは3回目。
1年目は生協の味噌づくりセットを買ったらやたらに豆が多くて、
その他もろもろすったもんだの大騒ぎになった。
できた味噌の味は、手作り感があってよかったけれど、おいしいというには今一歩。

そこで2年目は少し上等の豆を買ってつくった。
こうじの割合も生協のものより多め。
とてもおいしくできたけれど量が少ないので、
もったいなくてのびのび食べることができなかった。

上等の豆とこうじを2倍注文すれば、生協の味噌づくりセットと同じくらいの量になるけれど、
それではかなりお財布の負担になる。
だから今年は再び生協のセットを注文し、
こうじを増やしてみた。
そして煮豆のつぶし方も変えた。
漬物用に買ってあった厚手のビニール袋があったので、
煮上がった大豆をそこに入れ、口をしばって、足でつぶした。
あっという間につぶれた。
サル並みの学習能力はあるわけだ。

今年のわたしの手菌は昨年のそれとは多少ちがっているはずだし、
今年はどんな味噌ができるのか、楽しみ♪




でも・・・・・もしかして味噌を仕込んだというのは妄想だったりして。
発酵してるかな、とふたを開けてみたら、キムチができていたりして。
それはそれでいいけれど。

でもその場合、キムチはだれの妄想なんだろう?







※ホメオパシー入門講座やります♪ 
  2016年3月20日(土)14:00~16:00





by homeopa | 2016-03-14 14:36 | おもしろいこと

fujimaki kun

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昨日の朝、布団の中でうとうとしながら考えていた。
藤巻くんのこと、ググってみようと。

藤巻くんは高校の同窓生で、サッカーが大好きな人だった。
3年生になってみんなが部活をやめて受験勉強に専念するころになっても、
いつも放課後はグラウンドに出ていた。
わたしは一度も同じクラスになったことがないし、
直接話したこともなかったけど、
サッカーがあんなに好きなんだな、すごいな、と感心して見ていた。
そして翌年の2月、藤巻くんが東大に受かったと聞いた。
ますますすごいなと思った。

その藤巻君のことがネットで取りあげられていたのを、
つい最近、見たんだと思う。
今も横浜のどこかのサッカーチームで活躍していて、
そのチームは弱小チームなんだけど、
他の優秀な選手がみんなスカウトされて別のメジャーなチームに移っていったのに、
藤巻君だけはそういう誘いに乗らず、そのチームに残りつづけているというはなしだった。
お金や出世のためにサッカーをしているんじゃないんだって。
ただサッカーが好きで、最初に入ったチームが好きだからそこで続けているんだって。
ますますすごいなと思った。

それで朝の散歩を終えてまず最初に、
「サッカー 藤巻」 でググってみたけど、
それらしい記事が出てこない。
そこでやっと気づいた。
今も同じチームで活躍しているとか書いてあったけど、わたしと同窓生ならもう61歳だ。
ありえない。
つまり・・・・あの記事を読んだこと自体が夢だった・・・・

なんだか狐につままれた気分だった。
藤巻くんというのは実在の人物で、たしかに高校の同窓生だ。
サッカーが大好きで、勉強している気配もなかったのに東大に入ったのも事実。
でも親しかったわけではないし、わたしの人生に何かの意味をもっている人でもない。
高校のときにもっと親しくしていた人たちの名前さえほとんど忘れているのに、
なんでいきなり藤巻くん?

わけがわからないけど、
これが今年の初夢らしい。



はなし変わって、
年末に、「今年を漢字一文字で表すとしたら、どの漢字?」 とガガに聞かれて考えた。
生きるうれしさをじっくり味わった年だった。
そういうことを表す漢字はなんだろう・・・・
そしたらガガが、「愉はどう?」 と言った。

いいね、

じゃ、来年はどんな年にしたいかときかれて、と答えた。

ガガの場合、昨年は (生活も学業も恋愛も)、
来年は (自分の目標に向けて具体的に動くこと) にしたいそうだ。








La Familia de Ukeleles - La Familia de Ukeleles ♪








※TPP協定の 「医薬品」 と 「ISD条項」 を翻訳発表!
  太郎さん、あいかわらずいい仕事しています。
  これはほんとは政府がやることだろうに、頑としてやらない。
  
by homeopa | 2016-01-03 10:12 | おもしろいこと

シルバー川柳

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(ここからいただきました→ http://corobuzz.com/archives/42732

・歩こう会 アルコール会と 聞き違え
・恋かなと 思っていたら 不整脈
・自己紹介 趣味と病気を 一つずつ
・目薬を 差すのになぜか 口を開け
・妻肥満 介護になったら 俺悲惨
・ひ孫 孫 名前混乱 全部言う
・景色より トイレが気になる 観光地
・育毛剤 すりこむたびに 毛が抜ける
・無農薬 こだわりながら 薬漬け
・なあお前 はいてるパンツ 俺のだが
・この動悸 昔は恋で 今病気
・年重ね くしゃみするのも 命がけ
・いびきより 静かな方が 気にかかる
・カードなし ケータイなし 被害なし
・医者と妻 急にやさしく なる不安
・万歩計 半分以上 探し物
・LED 使い切るまで 無い寿命
・忘れえぬ 人はいるけど 名を忘れ
・土地もある 家もあるけど 居場所なし
・起きたけど 寝るまで特に 用はなし
・おじぎして 共によろける クラス会
・「アーンして」 昔ラブラブ いま介護
・なぜ消える メガネと鍵の ミステリー
・腹八分 残した二分で 薬飲む
・味のある 字とほめられた 手の震え
・誕生日 ローソク吹いて 立ちくらみ
・まだ生きる つもりで並ぶ 宝くじ
・目覚ましの ベルはまだかと 起きて待つ
・無病では 話題に困る 老人会
・食べたこと 忘れぬように 持つ楊枝
・聞き取れず 隣にならって ウソ笑い
・脳のシワ 顔に出てると 孫が言う
・厚化粧 笑う亭主は 薄毛症
・大事なら しまうな二度と 出てこない
・日帰りで 行ってみたいな 天国に
・延命は 不要と書いて 医者通い
・紙とペン 探している間に 句を忘れ
・三時間 待って病名 「加齢」です
・年かさね もう食べられぬ 豆の数
・躓いて 何もない道 振り返り
・二世帯を 建てたが 息子に嫁が来ぬ
・改札を 通れずよくみりゃ 診察券
・遺影用 笑いすぎだと 却下され
・女子会と 言って出かける デイケアー
・おじいちゃん 冥土の土産はどこで買う
・アイドルの 還暦を見て 老いを知る
・年上が タイプだけれど もういない



そしてじゃーん! 大賞はこの三句;

日帰りで 行ってみたいな 天国に

延命は 不要と書いて 医者通い

まだ生きる つもりで並ぶ 宝くじ


わたしが勝手に選んだ。








上と関係ないようなあるようなはなし。
最近ぱらっと読んだ本にこんなグラフが出てきた。
日本の医療費の変遷。(グラフの数字の単位は、兆円)

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                    (名郷直樹著 『健康第一は間違っている』 より)
すごい伸び率!

ふつうに西洋医学を信頼している人がこれを見れば、
日本人はこれだけ医療を受けているならさぞ健康になったのだろうと思うだろう。
たしかに日本は世界一の長寿国になった。

しかも日本の医療費の半分は70歳以上の老人が使っている。

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                     (名郷直樹著 『健康第一は間違っている』 より)



ところがこんなグラフもある。
日本人とアメリカ人の幸福度の比較。

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                      (名郷直樹著 『健康第一は間違っている』 より)
これを見ると、日本人は年をとればとるほど幸福感が薄れていく傾向がある。



それでも下のグラフでは、幸福度を判断するときのいちばんの要素は、
健康であるらしい。
だったら、せっせと病院に通って薬をもらって健康になれば、
その結果幸せになりそうなものだ。
(わたしの常識ではなく、世の中の常識で判断すると)

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                      (名郷直樹著 『健康第一は間違っている』 より)



でもどうやら、病院にかかれば健康でいられるというのが大きな幻想のようだ。

少し前にリンクを張った池田清彦さんのブログから引用。
http://www.mag2.com/sample/0001657188/html

「一昔前に「フィンランド症候群」と言う言葉が流行した。
フィンランドの保険局が、1974年に40歳から45歳の上級管理職1222人を対象にほぼ半分ずつ無作為に分け、第一グループの612人には、医師による、定期検査、栄養チェック、運動、タバコ、酒 などの健康管理を4ヶ月ごと5年間にわたって行い、必要ならば投薬による治療を行った。第二グループの610人には健康管理は本人に任せ、介入は行わなかった。実験が始まった1974年から1989年の15年間の総死亡者数は、介入群で67人、非介入群では46人(有意差あり)だった。内訳は心疾患死、34:14(有意差あり)、その他の血管死、2:4(有意差なし)、がん死、13:21(有意差あり)、外因死(事故、自殺、他殺)、13:1(有意差あり)、その他の死因、5:6(有意差なし) であった。
介入群のほうが死者数が多いことに多くに人は驚き、医者に診て貰ってかえって早死にする現象をフィンランド症候群と呼ぶようになったのである」



「実際、高齢者で徐々に血圧が高くなるのは正常な生理的反応で、フィンランドで、75歳から85歳までの男女521人を対象に降圧剤を飲まさずに経過を見たところ、80歳のグループで5年生存率が一番高かったのは最高血圧180以上の人たちだったのである。
75歳のグループでは最高血圧の違いによる生存率の差はなく、85歳では180以上の人たちの生存率はより顕著に高かったのである。最低血圧についてもほぼ同様で80歳と85歳のグループでは100以上の人たちのほうが生存率は高かった。75歳では100を超えると生存率が低下しており、この年齢では最低血圧が余り高いのは好ましくないのかもしれない。高齢者で血圧が下がるのは活力低下につながり、元気な高齢者は血圧が適度に高いと言えそうだ(もちろん余り高いのは問題であろうが)。80歳以上の人は高血圧だと言われて降圧剤を飲むとむしろ死期を早めるかもしれないね。50歳、60歳くらいの人でも旧基準で正常範囲の人は医者にすすめられても、降圧剤は飲まないほうが安全だと思う。それに降圧剤は一度飲みだすとやめたときのリバウンドがあるので、やめるのが怖くなり一生飲み続ける羽目になりかねない」 




さらに、だいぶ前にこのブログで書いた記事にも面白い動画が張ってある。
http://homeopa.exblog.jp/23157307/

過疎の町、夕張で、財政難のために病院が閉鎖になったら、
人々の死亡率が減ったというはなし。



そして日本人の長寿の正体について、
池田清彦さんのブログにこんなことも書いてある。

「2000年にWHO(世界保健機関)が「健康寿命」という概念を提案した。これは日常的に介護を受けずに自立した生活ができる生存期間のことである。
厚生労働省の2012年の発表によると2010年の日本人の健康寿命は男性70.42歳、女性73.62歳である。一方、2010年の日本人の平均寿命は男性79.59歳。女性86.35歳なので、男性では9年、女性ではなんと13年近く介護が必要な状態を経てからあの世に旅立つことになるわけだ。」



わたしの母はまさしく今こういう状態。
健康寿命を過ぎてもう10年くらいになるかな。
介護施設に会いにいくたびに複雑な気持ちになる。

ユーモアと自虐の効いた川柳なんかが書けなくなったら、
幸せもあまり感じられないかもしれない。
それでももっと生きたいと思うのが人間の欲深さ。
人間はたぶん死ぬまで欲を持ちつづけるのだろう。

それならそれで、ほんとに必要なとき以外は病院や薬に頼らず、自分で自分の健康をつくっていったら、
長生き=幸せにつながるのではないかと思う。



でも基本的に、
長生き=幸せ、ではないし、
健康=長生き、でもない。

健康=幸せ、だとは思うけど。
(ここでわたしが考える健康は、症状がないことではない。症状があってもエネルギーがよく流れている状態を健康と定義している)







きくみみダイヤル --- おはなし聴きます
by homeopa | 2015-10-13 21:42 | おもしろいこと

活元運動

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活元運動を初体験してきた。
活元運動というのは、あの野口晴哉さんが考えだしたもので、
自分の中から湧きあがる欲求のままに体を動かすことによって、
滞りをほどき、バランスを取りもどす、という健康法だ。

ずっと興味があったのに体験したことがなくて、
この前クライアントさんに、うちから電車で10分くらいのところに道場があるときいたものだから、
すぐに参加を申しこんだ。
このところ、腰が軽いのよ。

こんなの

スペイン人(?)だってやってる

これを見ると、神がかりとか、狐憑きとか、そういう言葉が浮かんでくる。
実際、道場で十数人の人たちがみんなでこんなことをしている光景は、
狂人の集団としか思えない。

わたしも実際にやる前は、あんなふうに動けるんだろうかと思っていた。
あんなに恥も外聞もなく狂えるんだろうかと。
神さまや狐さまが果たしてやってきてくれるんだろうかと。
でもやってみたら、なんとなくできた (たぶん、あれでよかったんだと思う)。
予想していたより単純なことなんだと思った。

体の力を抜いて自分の内側に気持ちを向けると、
「なんかこの辺を動かしたい」 みたいな欲求がむずむずむずじわじわと起こってきて、
その欲求の命ずるままに動きはじめると、あとは勢いと流れ。
だんだん欲求を意識することもなくなって、
欲求と動きが直結してくる。

神がかりや狐憑きは、外側の力に動かされるのだけど (なったことないからわからない)、
これは自分の原始的な欲求の命令で動く。
意識も理性もちゃんとあるけれど、
それは今は要らないのよ、というのを了解している状態。

たとえて言えば、人前でウンコやセックスをしているような状態かもしれない。
でも、みんなでやれば怖くない。

帰り道、一緒に参加した友だちが、「あれはヨーガより進んでるね」 と言うのを聞いて、
なるほどなと思った。
ヨガはだれもがレディメードの同じ動きをするのに対して、
活元運動はその人のその人のオーダーメードの動きだ。
たしかにウンコもセックスも、非常に個性がある。
同じようには出せないし、同じようにはイケない。
だからこそ快い。

オーダーメードの心地よさのおかげで、
運動中に何度か、おならをしてしまった。ブ~~~って。
それがまた快感だった。
わたしもだいぶゆるんだもんだ。
心も肛門も。




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「・・・・ちょうどいい時はいつでも快い。
  だから人間は快い方向に動いていれば健康になるし、健康になればどういうことをやっても快くなる。
そして、その快いという方向に逆らわないようにさえしていれば、自然に丈夫になっていく。それを意識で
「良薬は口に苦し」 というようなことを考えてしまう、それは間違っています。頭を通さないで、意識以前の
快さをそのまま感じて、それが行動につながるように生活すれば、人間は自然に丈夫になるのですが、
意識が発達しすぎるとそれがむずかしい。
  そこで意識をいったん閉じて活元運動を練習して、そうして自分の体の無意識の運動が活元運動に
よっていろいろと動けるように訓練されて、自由に動けるようになることが一番望ましい」
                                             ---- 野口晴哉 『整体入門』






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※安倍首相が安保の次は「改憲を争点にする」と宣言!

※緊急事態条項


※憲法が変わっちゃったら、どうなるの?




※TPP大筋合意で、遺伝子組み換え表示はどうなる!?






きくみみダイヤル --- おはなし聴きます
by homeopa | 2015-10-08 16:51 | おもしろいこと