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自由にのびのびと

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「自由にのびのびと」というキーワードが降ってきたのは、
たしか昨年の今ごろだったと思う。
シータヒーリングというのを受けて、
そのなかでこの言葉に稲妻のように打たれたのだった。

わたしは自由にのびのびしたいんだ! ずっとそうしたかったんだ!



以来、自由にのびのびすることが、わたしの課題になった。
そうなればガンだって治っちゃうかもしれないし、とも思った。
そして先日、なかなか回復しないぎっくり腰の痛みでいらいらと不機嫌になっているとき、
そういえばこの一年間、
自由にのびのびしたいのに、できていない自分に、
いらだって腹を立てていたなあと気づいた。

ヨネコさんやセッちゃんから出る汁が増すにつれて、
おむつの交換が頻繁になり、
洗濯してそれを干したり畳んだりするのに時間がかかるようになって、
気がついたら仕事と食事の用意とおむつの洗濯と買いもので一日が過ぎていくようになった。


わたしが初めて自由にのびのびしている感覚を実感したのは、
このキーワードを意識する前、
何気なく始めた裁縫に熱中しているときだった。
急がず、焦らず、何も考えず、
ただ縫っているとき。


そのときの感じをまた味わいたくても、
裁縫をする時間もない。


でも先日、腹を立てていた自分に気づいたとき、
なんか変だぞと思った。

自由にのびのびすることを課題にしたときから、
わたしは自由を失った。
「自由にのびのびしたい、自由にのびのびしなければ」
と思った瞬間、
わたしはその思いに縛られるようになった。

笑っちゃう矛盾だ。

そもそも自由にのびのびしているとき、
人は自分が自由にのびのびしているとは思っていないし、
それは努力して何かをすれば得られる状態でもない。

気がついたら、なんだかいい感じ、という感覚。
それをあとで思いだしたときに、あの瞬間は自由にのびのびしていたな、と思うだけ。

それに「裁縫をすれば自由にのびのびできる」と思ったら、
わたしはその思いにもまた縛られるようになる。
裁縫ができなければ自由にのびのびできない、
という思いに縛られるようになる。
実際、わたしはその思いこみに縛られて、
つねに自分の状況に不満を覚え、いらだってきた。
とても不自由な心境だった。


人間だれだって、こうありたい、こうなりたいという思いはあって、
それを励みに生きているようなところがある。
でもそれがある限り、
本当に自由にはなれないんだと思った。

それはたいてい、今の自分や状況を否定することから始まるから。
何かを否定しているとき、
心はとても窮屈なものだ。
でも肯定すると、楽になる。

そんなことを友だちに話したら、
彼女はちょうどその前にクリシュナムルティの本を読んでいて、
そのなかにこんなことが書かれていたと教えてくれた。



以下はその友だちのブログからコピペ。

自由とはどういうことなのでしょう
自由とはたまたま自分に合ったことをしたり
好きなところに行ったり
なんであろうと好きなように考えることなのでしょうか
このようなことはどちらにしてもするでしょう

単に自立していさえすれば
自由ということになるでしょうか
世界の多くの人々は自立はしていますが
ほとんどが自由ではありません

自由とは大いなる智慧を意味しているでしょう
自由であるとは智慧があるということなのですが
自由になりたいと願うだけでは、智慧は生じません

それは環境のすべて、絶えず自分に迫りくる社会、宗教
親と伝統の影響力を理解しはじめるときにだけ生じてきます
しかし、さまざまな影響力を理解しそこから自由になるには
深い洞察力が必要です

しかし君たちは内的に怯えてているために
たいがいはそれらに屈してしまいます

人生でよい地位が得られるのか
宗教家がなんというだろうかと恐れています
伝統に従っているのか
正しいことをしているのかと恐れています

しかし、自由とは本当は恐怖や衝動がなく
安心したいという欲求のない境地です

私たちのほとんどは安心したいのではないですか
なんてすばらしい人だ、なんて美しい
なんととてつもなく智慧があるんだろう
と、言われたいのではないですか

そのようなものはすべて
私たちに自信や自尊心を与えてくれます
しかし、何かに「なりたく」なったとたんに
もはや自由ではないのです

権威の世界でも、精神世界でも
偉い人になりたくなったとたんに
もはや自由ではないのです

これらすべてのことの愚かしさを見て
欲望によって動かない人は自由です
その単純さが理解できるなら
そのとてつもない美しさと深みも見えるでしょう

自由とは
実際のありのままを見つめて
ありのままの自分を
刻々と理解するところにあるのです

By J.Krishnamurti  -「子どもたちとの対話」より抜粋-

(コピペおわり)



ここに書かれていることは、
わたしが先日感じたこととはすこ~し重点がちがうし、
わたしはここに書かれていることをすべて理解することもできない。
でもなんとなく、
自由になりたいと思うことにひそむ矛盾の一部が、
ここに示されているような気はする。

人間はつくづく自由になりにくい生きものなのだな。

ほんとは、おむつを干しているときだって、
自由にのびのびできるのに。






by homeopa | 2016-08-07 08:41 | わたしの乳ガン