pimboke6

あるもので何とかしちゃう

あるもので何とかしちゃう_b0170947_22314335.jpg



これ、最近の作品。↓
もともとギャザースカートだったものを、
ちょこっと切って縫ったら、袖ができた。
これを着て友だちとインドカレーを食べていたら、友だちが急にくすっと笑った。
「ウエストが首なんだと思ったらおかしくて」

あるもので何とかしちゃう_b0170947_2235154.jpg





我ながらいいアイデアだったと気をよくして、
すぐに次の作品にとりかかった。
何十年も保管していた麻の布。
たぶんどこかで端切れを安く売っていたのを見つけて、時間ができたら何か縫おうと思ったのだろう。
とても気持ちのよさそうな生地だ。
でもずっと時間ができなかった。
でも今できた。
ありがたや、ありがたやとつぶやきながら、幅広のズボンをつくろうと決めた。
麻だからちょっと 「たれん」 となって、今のわたしの精神モードにぴったり。

あるもので何とかしちゃう_b0170947_22354581.jpg




ところが、いそいそ裁断したものを見て、なんか小さいぞ、と思った。
体にあててみたら、ピチピチになりそうだ。
たれん、としない。
たれん、が欲しいのよ! たれん、でなければならないの!
しかもそれ以前に、体が入らないかもしれない。
ちょっとしたミスだったけれど、もともと端切れなので余分がない。

あるもので何とかしちゃう_b0170947_22355966.jpg





何十年間の夢 (そうとは思っていなかったけれど、できないとなったら急にそう思えてきた) が破れて、
打ちひしがれているわたしを見て、
スナフキンがかぶっているような帽子をつくったらどうかとガガが提案してくれた。
友だちは、細い布をつぎはぎしたスカートはどうだという。
結局落ち着いたのは、枕カバーだった。
(そもそもこの布を久しぶりに取りだしたときに思いついたのは枕カバーだったし、
 いちばん簡単で計算ミスを起こしそうにないものだと思って)

真ん中に継ぎ目があるので、これは裏にした。

あるもので何とかしちゃう_b0170947_11213721.jpg





表は、これも余っていた気持ちのよい布 (たぶん麻・綿混紡)。
ちょっと大きめだけど、これを頭の下にしいて寝たら草原の夢とか見られそうな気がする。

あるもので何とかしちゃう_b0170947_11225710.jpg





まだ少し布が余っていたので、
というより、上の枕カバーに表裏すべて麻の布を使わなかったのは、
これも作りたくなったからだ。↓
写真で見ると何だかわからないと思うけど、
これはアームカバー。
これを装着して行う畑仕事は、きっと高級感がちがう。

あるもので何とかしちゃう_b0170947_22393844.jpg






恐ろしいことに、まだ少し布が余っていた。
もうこのあたりでやめたくなっていたけど、
何十年もとっていた布をそう簡単には捨てられないし、
とっておいても二度と手をつけないかもしれない。
それで、マスクをつくろうと思った。
花粉症がひどいとき、夜寝ていると鼻が詰まって口呼吸になるのだけど、
口と喉の乾燥を防ぐための快適なマスクがない。

下は台湾に行った友だちが買ってきてくれたおみやげ。
タイペイは空気汚染がひどくて、人々はこんなマスクをしているそうだ。
そしてあちこちの店でこんなマスクを売っている。

自分で切った前髪の風情と相まって、言葉では言い表せない不思議で怪しい雰囲気。
台湾人て、顔がでかいのかな?
もう少し小さめで、あまり怪しくない雰囲気のマスクが欲しかった。

あるもので何とかしちゃう_b0170947_22363337.jpg



あるもので何とかしちゃう_b0170947_22364833.jpg



よく見ると、縫い目が4ミリぐらいで、日本製ではあり得ないほどつくりが大ざっぱ。
でもこういう雑さに、わたしは勇気づけられる。
細かいことなんてどうでもいい、とにかくやったもん勝ち、やったら楽しいよ!
と応援されている気がして。
そうやっていつも雑なものができあがるんだけど。
でも楽しい。

あるもので何とかしちゃう_b0170947_2237814.jpg





台湾のマスクを下敷きに小さめの型紙をつくって、
試作品がふたつできた。
この青い布は、友だちにもらった綿の着物の裾が長すぎたので切りとったあとの端切れ。
気持ちのいい布だったので、これも数ヶ月とってあった。

あるもので何とかしちゃう_b0170947_22372324.jpg





試作品がうまく行ったので、
いざ、麻の布で本番。
ひとつしかつくれないと思ったら、もう1枚、表地がとれたので、青い布を裏にした。
できたマスクは全部で4枚。
これで来春の花粉症の季節は万全だ。

あるもので何とかしちゃう_b0170947_2237382.jpg



家の奥に眠っているものがこんなふうに生き返るのは、うれしい。
そう思って家の中を見まわすと、
着ないまま眠っている服がけっこうある。
あるもののなかに、無限の可能性がある。わくわく。






あるもので何とかしちゃう_b0170947_2232077.jpg


あるもので何とかなるのは、健康も同じ。
というより、あるものでしか、本当は何ともならないのだと思う。

あるものといえば、
空気 (これを深々ととり入れている人はどれほどいるだろう?)、
日光 (これをたっぷり浴びている人はどれほどいるだろう?)、
新鮮な水 (東京にはなくても、美麻に行けばほんとに澄んだおいしい水があるよ)、
わたしたちのまわりを流れ、わたしたちの中を流れすぎていく宇宙のエネルギーまたは気
(これがするすると流れるのが健康というもの。流そう流そう)、
わたしたちに酸素や心のやすらぎやいろいろなものを与えてくれる木々 (都会はさびしい)、
同じく、微生物やミネラルやいろいろなものを与えてくれる土 (やっぱり都会はさびしい)、
弱ったときに、少しだけよといって助けてくれる野の草たち
(気づかずに踏んだり刈りとったり通りすぎていく人がどれほどいるだろう?)、
私たちの中にある、病気になる力と、それを治す力。
治癒力 (病気になる力 + 病気を治す力) は、上のすべてのおかげで活かされている。

こんなに多くのものに恵まれていながら、
それでは足りないといって病院にいそいそと通うのはなんでなんだろう?
足りないのではなく、その可能性を家の奥に眠らせているだけなんだけど。



一方、ないものといえば、
病気にならない身体や (健康だからこそストレスや変化に対応して病気になれる)、
死なない身体や (今まで死ななかった人はいない、と野口晴哉さんも書いている。
わたしは死にも目的があるんじゃないかと思う)、
病気を治してくれる薬。

ないものを求める人たちは、ないものを求める。
だから本来この世に存在しない化学合成の薬に惹かれるのかな。





    ※  ※  ※  ※  ※  ※  ※  ※

(以下 引用)

  人間は、その裡に生を全うする能力を持って生まれた。だから生まれたての子供でも、食べ飲み、
栄養とすべきは吸収し、余分なものは排泄する。悪いものがあれば吐く、尿もすれば屁もする。
  この生まれながら持っている能力を自覚し発揮すれば、自ら生を全うすることができる。
  健康法とか、治療法とかが要るつもりになっているのは、知識に酔って生の感覚が鈍くなっている
からだ。


戦災で焼けてから、書を深く味わうことを知った。
一枚のレコードも、丁寧に聴けば楽しいもの。
無ければ無いで、楽しさを掘り下げることを、いつか知っていた。
人間って、面白きもの、これから先も、どのようなことがあっても、楽しいことだろう。


  いのちのリズムが繰り返されて、その都度都度に自然の空気、無限の生くる力が、我が裡に流れ入り、
我が裡なる老廃の気は流れ出し、一呼一吸、息するたびに新しくなり、生気に満つ。
  いのちの続く限り、一瞬の休みもなく、この自然の恵み、息することは続けられて、我らは無限に新し、
嬉しきかな。


晴れあり、曇りあり。
病気になろうとなるまいと、人間は本来健康である。
健康をいつまでも、病気と対立させておく必要はない。
私は健康も疾病も、生命現象の一つとして悠々眺めて行きたいと思う。
                                             ---- 野口晴哉 『風声明語 2』










※世界中のガーデナーが憧れたターシャ・テューダー

※世界中のガーデナーが憧れたターシャ・テューダー2



きくみみダイヤル --- おはなし聴きます
by homeopa | 2015-09-27 13:34 | 日々の暮らし