pimboke6

ask and wait

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 私の「体操は占である」というのは、私を生きものとして存在させている大自然の神(自然の原理)に、人間
(自分)とは何か、臍とは何か、尻とは何か、臀とは何か、性器はなぜそこにあるのか・・・と問い、聴く営みで
あるということになる。私の神は自分のからだにも内在し、自分の外のすべての存在にもあり、宇宙に遍満
してあるということである。このような生き方が、私にとっての「体操とは占である」なのである。

 「からだとの対話」というあり方で二十数年の間、体操という名の営みを続けてきた私は、甲骨文の世界に
入ってみて、重大な誤りに気がついた。「からだとの対話」というあり方は、自然の神と人間の意識が対等で
あるかのような、意識人間の傲慢さからくる発想であることに気がついたのだ。まさに愕然とし、あわてふため
いて、神を仰いだ。
 それから数年たった今は「自分とは問いかけをするだけの存在」で、あとは「自然の神にお任せする」、問い
かけだけが自分にできることのすべてだから、この「問いかけに命をかける」、あとは自然の神が問題を解い
てくれ、答えを教えてくれる。「体操とは占である」「体操とはからだに貞(問・聴)くことである」ということになる。
「信じて、任せて、待つ」ということのほんとうの意味が分かり始めたのだ。
 繰り返し問いかけを続けながら、からだのすみずみまで静かで澄み切った状態をつくる。神の声を聴くため
の準備である。神を迎える準備を更に丁寧に続けながら静かに待つ(からだの動きをすること、研究すること、
思索すること、なぞがその実態である)。神は何処からともなく向こうからやってくる。ある時突然訪れてくれる。
思いがけない素晴らしいおみやげを持って訪れ、全く新しい別の世界を私のからだの中に現出させてくれるの
である。私は、楽で安らかで疲れることはない。
                                             ---- 野口三千三 『からだに貞(き)く』







※はだしのゲン(アニメ映画)1983年6月公開









きくみみダイヤル --- おはなし聴きます
by homeopa | 2015-08-05 23:00 | 自然のちから