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右脳をひらく

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右脳と左脳のことはちらほら耳にしていたけど、
ちゃんと調べたり読んだりしたことがなかった。

近所のブックオフの閉店セールスで100円で売られていたこの本を見つけたのは、
そろそろ読んでみたら? というお告げだったのかもしれない。
お告げがあってからも、2カ月ぐらい読まなかったけど。

 『「百匹目の猿現象」は右脳から』 船井幸雄・七田眞著 

簡単にいえば、右脳を開発することで人間の可能性は無限大に広がる、
ということが書いてある。

なぜそんなに広がるかといえば、
人間はたいてい脳細胞の2~5パーセントぐらいしか使っていなくて、
その2~5パーセントのほとんどが左脳なので、
右脳の力を引きだせば残りの95パーセントの能力がつかえるようになるということらしい。

でも左脳が3パーセントなら、右脳も3パーセントで、
合わせて6パーセントじゃないの?

それが違うのだ。

ポール・D・マクリーン博士の三重脳理論によれば、
人間の脳は、大きくわけて、三つの部分からできている。

下図は、この本にある図を少し簡略化したもの。

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① 脳幹=下のまん中の部分。
  ここはいちばん古い脳。
  生物の進化のなかで2億年前に完成した、爬虫類型の脳。
  人間の胎児では、受精後3週間めごろから形成される。
  この部分はテレパシーを媒体にして働く。

② 大脳辺縁系=脳幹を囲んでいる部分。
  ① の次に古い脳。
  1億5千年前に完成した、原始哺乳類型の脳。
  イメージを媒体にして働く。

③ 大脳新皮質=いちばん外側の部分。
  いちばん新しい、新哺乳類型の脳。
  ここは左脳と右脳に分かれ、そのふたつを脳梁がつないでいる。
  左脳は言語を媒体にして働く。
  右脳はイメージを媒体にして働く。


人間の脳は、胎児から成長する過程で、
① → ② → ③ と発達していく。
そしてなぜか (ほんとになぜなんだろう?)、
普段もっぱら使う脳も、 ① → ② → ③ と移っていく。

5歳ごろに脳梁が完成するまでは、
左脳も右脳も深部の脳 (①と②) とつながっているけれど、
脳梁が完成するとともに、
深部の脳から独立して働きはじめる。

しかしこの図を見ると、右脳とその下の大脳辺縁系のあいだに、
通路のようなものがある。

そう、右脳は深部の脳とつながる通路をもっている。
だから右脳の能力を育てると、
その下の深い脳の力も活かすことができる、ということらしい。
だから95パーセント。

なるほどねえ。
右脳の力は、右脳だけの力ではなくて、
その下の古い深い部分の力でもあるということだ。


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脳も身体の他の部分と同じで、
使わないと機能が衰える。
だから成長の過程で ①や② をあまりつかわなくなると、
大人になるころには ③ しか使えなくなってしまう。
それが今のほとんどの大人。
しかもたいていの大人は、
③のうちの左脳しか使えなくなっていることが多い。
なぜなら左脳は、
右脳とその下の深い脳の働きを抑えこむ傾向があるそうだ。

でも脳梁ができあがる5歳ごろまでに、
深部の脳をたくさん使っておくと、
右脳と深部の脳とのパイプが太くなって、
①や② の脳の機能を維持することが容易になる。

そこでこの七田眞さんという方が編みだしたのが、右脳教育。

右脳教育は、年齢が若ければ若いほど効果があがる。
でも大人になってからも右脳をひらくことは可能なのだと、
この本で七田さんは主張している。
もともとだれにでも備わっている能力なのだから、
訓練すれば、子どもほどではなくても、
眠っている能力を目覚めさせることができると。

これを知ってがぜん、興味がわいた。


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右脳と左脳の機能のちがいは一般によく知られている。
左脳は言語、計算、論理的思考を行う。
右脳はイメージ処理、直感的把握、創造的発想を行う。

七田さんは右脳のはたらきとして、
さらに詳しく次の四つを挙げている。

・共振共鳴機能
・イメージ変換機能
・高速大量記憶機能
・高速自動処理機能


◆共振共鳴機能

「すべては振動であり、その影響である。・・・・・すべての物は、固有の振動数(周波数)を持つ」
と言ったのは漁師力学、じゃない、量子力学の父と呼ばれる物理学者マックス・プランク。
らしい。
ホメオパシーはもろにこの振動数の恩恵にあずかっているわけだけど。

「すべての物質は一つひとつが固有の波動を発しており、右脳はそのすべての波動に同調して、
その情報をうけとる力があるのです」
と七田さんは書いている。

つまり右脳はアンテナのようにビビビビッと波動をキャッチして、
自分も震えるということか。

七田さんは、「右脳の五感」というのがあると主張する。
「人は目で見たり、耳で聞いているのではありません。目を通して見、耳を通して聞いていますが、
目や耳は感覚が経過していく感覚器なのです。・・・・・最終的に見聞きしているのは、脳なのです」

だからたとえば目が見えない人でも、
訓練すれば視覚的イメージを持てるし、
耳が聞こえない人でも聴覚イメージを持てる。

この人もそうかな…… 耳の聞こえないパーカッショニスト。
この人は、「身体で音を聞く」 と言っている。「聴覚は触覚の一形態なのです」 とも。
つまり耳ではなく身体に音を通過させて脳で聞いているわけだ。



◆イメージ変換機能

右脳はビビビッと受けとった情報を、
イメージに変換し、イメージで処理する。

すでに書いたように、そのイメージには視覚イメージもあれば、聴覚イメージもあり、
臭覚イメージもあり、味覚イメージもあり、触覚イメージもある。

だから右脳教育では、何よりもイメージする力を鍛える。
この本にはその具体的な方法が書いてあるので、
興味のある方は本を読んでください。

イメージで情報をとらえイメージで処理するというこの能力から、
次の高速大量記憶能力が生まれる。


◆高速大量記憶機能

わたしたちは(少なくともわたしは)文章を暗記するとき、
一行ずつ読んで順番に記憶していく。
次の一行を読むときには前の一行をもう忘れていたりして、
永遠に覚えられないこともよくある。
子供のころはこんなじゃなかったのになあ……。
これは左脳の働き方。

しかし右脳がよく働くと、
開いた本のページをイメージとして一瞬のうちに記憶し、
それをイメージとして再生することができる。
しかも一度覚えたことは忘れない。

本をぱらぱらめくって1冊をほんの数分で読んでしまう人とか、
よく速読術の宣伝で見るけど、
あれもこういうことなのだな。
実際、七田アカデミーで練習している子供たちの中には、
そういう子供がたくさんいるそうだ。

ただ、この記憶力を現実生活で活かすためには、
左脳の表現力や統合力を借りなければならない。
たとえば上の例のようにイメージで記憶したものを文章にして表すには左脳の力が要る。
だから左脳と右脳の共同作業が大事ということなんだけど。


◆高速自動処理機能

たとえば同じ法則で成り立つ数式を何種類も見たときに、
そこから直感的に法則を把握して、
新しい問題をすらすら解いたり、
未知の外国語をひたすら聞いているうちに、
そこに法則性を発見してぺらぺらしゃべったり、
そういう力のことを言うらしい。
これも右脳の力。

法則を教わらなくても、
じっと見たり聞いたりしているうちに、
自分で法則を見つけだしてそれを活用するということだ。

すごいなあ、右脳さん。


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でもすごいのは右脳だけではない。
というより右脳がすごいのは、下の深部の脳のおかげなのだ。

この本には大脳辺縁系②のことはまったく書かれていないけど、
脳幹①、とくにその中の間脳のことが書かれている;

間脳にはあらゆる神経が集中していて、
大脳新皮質③も間脳に統御されている、
間脳は脳の各部分をつなぎ統一する、
間脳は意識と記憶の中枢であり、脳の中枢なのだ、と。

左脳が得意とする言語処理機能でさえ、
その信号の起点は間脳らしい。

しかも間脳の中には視床下部、脳下垂体、松果体がある。
これはみなホルモン分泌に関係する腺だ。
神経だけでなくホルモンも情報伝達手段なのだと、
七田さんは言う。

考えてみたらそうだ。
わたしはホルモンの情報伝達というと身体の情報ばかり考えていたけれど、
そもそも情報は、身体と心、物質と非物質を区別しない。
だからホルモンは「分子言語」と呼ばれている。

視床下部は自律神経の中枢であり、ホルモン分泌の中枢でもある。
ここから指令を受けて、
脳下垂体がホルモンを出したり、ホルモンを出すよう各部に指令を出す。

つまり視床下部は間脳の中心だ。
しかし視床下部を働かせるには松果体が大事なのだそうだ。

松果体は爬虫類などの下等動物では目の役割をしている。
そして人間では、
「原始時代の祖先から受け継いできた「第三の目」の残跡と推定されている」

間脳が得意とするテレパシーによる情報処理には、
この松果体から分泌されるメラトニンとセロトニンというホルモンが、
大きな役割を担っているようだ。

「間脳は宇宙にアクセスするサイ情報回路の開け口で、間脳が目覚めると、
サイ情報を取り入れることが可能です。間脳が ESP (超感覚) の受発信基地なのです」

わお。なんだかすごいな。



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左脳は顕在意識の領域にある。
つまりわたしたちが意識することのできる領域にあるということ。

しかし右脳と大脳辺縁系①と間脳②は無意識(潜在意識)の領域にある。

使わないと脳の力は衰える、と上に書いたけれど、
そうではないのかもしれない。
本当は今この瞬間も、わたしの無意識の領域では、
右脳や間脳が爬虫類と同じようにしっかり活動しているのかもしれない。
でも左脳があまりにも強くなってしまったので、
その活動を意識できないだけなのかもしれない。

その証拠に、脳内出血で左脳の機能がストップしたとたん、
こんな右脳体験をした人がいる。

この動画を見ると、
右脳や深部の脳の活動は、衰えていたのではなく、
強力な左脳によって感じないようにされていただけというふうに見える。

だから左脳から右脳や深部の脳に通じる回路を太く育てれば、
わたしたち現代人も、
爬虫類や原始人のような感性を意識できるようになるのかもしれない。



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右脳教育のことをもう少し知ろうと思って、
こんな本を読んだり、
「右脳教育」 とか 「右脳開発」 でググったりしてみた。

そしたらネットでは、
「うちの子を天才にする方法」とか、
「右脳教育のおかげで有名大学に進学できました」とか、
「右脳教室に通ったら体操の大会で優勝できました」 みたいなことがひょこひょこ出てくる。

え、そこ?
と思って、ちょっとげんなりした。

わたしがこの本を読んでワクワクしたのは、
右脳がひらけたらもっと宇宙と仲良くできそうだと思ったからだ。

強力な左脳によって意識の奥に閉じこめられてしまった、宇宙と響きあう能力。
それがわたしにも使えるようになるかもしれないと思ったからだ。

「人間は本来、意識的に宇宙のエネルギー波動の全領域に同調して生きられる存在です。
肉体だけで生きる存在ではなく、肉体を超えて働く意識を持ちあわせています。
人間は宇宙と同化すれば、宇宙が持つ力をそのまま使える存在なのです」

「人間の脳も、実は音叉のようなもので、万物の発する波動に共振します。第2章で説明した右脳の
共振共鳴機能については、私たちの中にラジオやテレビがあると考えるとわかりやすいでしょう」

と七田さんは書いている。
また、以前の記事に載せたオランダの心臓外科医ピム・ファン・ロンメルのこんな言葉もある。

「人間の意識は肉体の中にあるのではない。 脳とは、肉体の外にある意識と肉体をつなぐ装置である。
脳は単なる意識を受け取る受信装置に過ぎず、その意識は時空を超えた特別な場所に存在している」

こうなるともう、「うちの子」も「わたし」もない。
すべては宇宙の力。

そう思ったらすごく気が楽になった。

「うちの子」 が東大に入っても、
「わたし」がすごい絵を描いても、
「うちの旦那」 がノーベル賞をもらっても、
自慢はできない。
東大の門をくぐったのは宇宙なのだから。

しかし「うちの子」 がテストで零点をとっても、
「わたし」 が朝食を食べたことを忘れても、
「うちの旦那」 が平社員のまま定年を迎えても、
自分を卑下する必要はない。
朝食を食べたのに忘れたのは、宇宙なのだから。

ああ、なんという解放感。
でも、話が大幅にずれた気がする・・・・

天才の語源は知らないけれど、
この 「才」 は、天からもらう 「わたしの」 才能ではなく、
天の才能、と解釈してもいいのではないかな。

そして天才たちは、
脳も含めた自分の身体で 「天の才能」 を響かせられる人のことなのだろう。
歴史上の天才たちはそういう宇宙と自分の関係をよく心得ていたようだ。

人間は宇宙を美しく響かせる空洞なのだと。




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私は基礎的な法則を発見するとき、論理の筋道をたどるのではなく、直感による。 
                                    ---- アインシュタイン

自分は思うのではなく、思わされているのだ。自分は楽器にすぎない。
音楽の方が勝手に自分の中を通っていく。---- アルチュール・ランボー

作曲するすべての曲が、どこからともなく聞こえた。
美しい彫像のように立体的に見えた。---- モーツァルト

たちまち曲想が神からじかに私の中に流れ込んできた。
そうして霊感的な気分にいる私に、一小節、一小節完成された曲がそっくり聞かされた。
                                          ---- ブラームス

ピアノの前に座ってピアノに両手を置いたら、後はスピリットに導いてもらうのです。
音楽をやるのは私ではありません。作曲は、まったくもって私の仕業ではないのです。
私はただの道具です。私はただ使われているだけです。
                    ---- 作曲家ルドルフ・フリムル

自分の歌は自分で作ったものではなく、授けられたものだ。
あるときは夢の中で授けられる。目が覚めるとすぐそれを書き写す。
また別のときには、突然音楽が聞こえてくる。
それらの言葉は自分が考えたものではない。
それはそこにあったもので、自分はただそれを持ってきて世の中の人々に
伝えるにすぎない。      ---- マイケル・ジャクソン

自分の歌は天から授けられたものであり、その歌と自分自身の間には何の関係もない。
自分は不完全で未熟な人間であるが、授けられた歌はすばらしく、
決して自分が作った歌ではない。 ---- ジョン・レノン

深夜に頭の中に白い光がさしてくると、ひとりでに書けてくる。
この光が消えてくると筆が進まない。 ---- 芥川龍之介

私の本の中の人物は、私の頭の中で勝手に生きているのです。
彼らが何を言うのか私は知らないのです。彼らはいつも私を驚かせます。
実際私は彼らの言う通りを紙に書いているだけです。
                            ---- 三島由紀夫

イメージが次から次へと湧いてきて、自然に歌がつくられるのだ。
                             ---- 石川啄木
                  
本を書くために机に向かっていると、
何か慈悲心に富む力がすべてを自分に見せてくれる。
                ---- チャールズ・ディケンズ

蝶々夫人は神の口述によるもので、私はそれを紙に写すための器にすぎなかった。
                                         ---- プッチーニ

小説を書くとき、自分は霊媒者のような感じになる。
イメージが先に出てきて、そして言葉が出てくる。
                  ---- ソウル・ベロー
by homeopa | 2014-06-17 21:13 | 身体のこと