pimboke6

kareru ajisai

kareru ajisai_b0170947_21471659.jpg

枯れかけたころのあじさいの色合いが好き。



わたし自身も枯れかけているわけだけど、
そうなって初めて気づく、自分がみずみずしかった時期。
いちばん水分が多かったのは、下北沢で働いていたころかな。

大学を中退して、駅地下の食堂や居酒屋で働いたあと、
縁あって、下北沢に新しくオープンした小さなカフェの従業員になった。
小さな店だったけど、毎日いい音楽が聞けて、面白い人たちがやってきて、いろんな刺激を受けて、
店主の気むずかしさをのぞけば、楽しかった。

街自体がいろんな個性を受けいれる共同体のようだった。
大きなチェーン店とかほとんどなくて、個人商店ばかり。
古いものと、新しいものと、普通のものと、変なものとが、ごちゃごちゃ混ざっていた。
みんなばらばらだけど、みんなそこにいる居心地のよさでつながっている気がした。
生活の必要も、文化的欲求も、その小さなエリアの中で満たせる感じだった。
カフェのすぐ近くに 「蜂屋」 というほんとに小さな食堂があって、
二十年間、値段を変えずに、貧乏な若者たちを食わせていた。
わたしがよく食べたのは、揚げ焼きそばと卵どんぶり。
どちらも200円だったと思う。
がんこなおじいさんと、負けずにがんこなおばあさんが、いつも喧嘩をしていた。

その蜂屋はだいぶ前になくなって、
久しぶりに行くたびに、有名ブランドの店なんかが増えて、
以前よく見かけた少しはずれた人たちのかわりにキャピキャピギャルがふえて、
だんだん原宿みたいになってきたなと思ったりもしたけれど、
それでも変わらない 「臭さ」 が今もまだある。

でもその下北沢が大きく変わるかもしれない。
中心部にどでかい道路が通って、大きなビルが建ったりするかもしれない。
何年も前からその計画に反対してきた住民もたくさんいるみたいだけど、
たぶん小田急電鉄とか巨大な資本の力はなかなかしぶといのだろう。
あるいはもっと別の力もあるのかな?
ともかく、下北の顔だった駅横の古い市場もなくなってしまうらしい。

もっと大きく、もっと便利に、もっときれいに。
ここでもまたその動き。

でも嘆いてばかりいないで、これからの下北沢をなんとかしようよ、
というイベントが今年も催される。
「下北沢で生きる」 8月25日(土)、26日(日)



These Streets by Paolo Nutini ♪
by homeopa | 2012-08-23 08:20 | 日々の暮らし