tsubaki
朝5時に起きて、高校生になった娘の最初の弁当をつくった。
つくりながらふと思った。
昨日も大きな地震があった。
日本で生きるということはこういうことなんだ。
地震の被災者になるリスクはいつもある。
原発だって、だいぶ前からずっとあって、
いつ事故が起きてもおかしくなかった。
わたしはそういう危機的状況のなかでずっと生きてきた。
ただそれを意識しなかっただけで、
リスクはずーっとそこにあった。
ほかの国でも同じかもしれない。
みんな常にいつ死ぬかわからない状況のなかで生きている。
そういうリスクのなかで毎日弁当をつくったり弁当を食べたり、
桜が咲けばそれを喜んだり、
人が死ねばそれを悲しんだりするのが人間なんだ。
明日には死ぬかもしれないというのは悲劇ではなく、
生物の日常にすぎない。
その点では、震災前と震災後でなにも変わっていない。
次の瞬間に何が起こるかわからないという前提のもとで、
毎日生きつづけることにはなんの変わりもない。
そう思ったらなんだか解放された気分。
そしてめんどくさいと思っていた弁当づくりが少しうれしい。
★福島原発10基の廃炉を要請する署名
★浜岡原発を止めよう 署名
★枝野さん、安全な電気が欲しいです。オンライン署名
★内閣府原子力委員会がみなさんのご意見を募集しています。
by homeopa
| 2011-04-08 22:13
| 風景